第9話 私の大切なもの
10分ほどで、リンズ刑事が車掌室に戻ってきました。
「おまたせ。名探偵さん」
私の前に座り、しっかりと私を見つめています。何を言い出すのかわからない怖さがありました。
「その呼び方は好きではありません。リンズ刑事、あなた犯人がわかっていましたね? 事後詠唱でごまかしましたが、あれ程の魔法を即座に発動できるとは思えません。あらかじめ、犯人が誰かわかっていないと」
あーやっぱりバレてた? という顔。
「言っただろ。犯人はわかっていると」
「私のことじゃなかったと?」
「うん。犯人の目星はついていた。でもね、どうやったかがさっぱりでね」
「まさか、それで私に推理させたというのですか?」
「御名答。しっかり君は推理してくれた。素晴らしい成果だ」
「あきれた……あなた、本当に刑事なのですか? まだ私は、テロリストではないかと疑っています」
「僕がテロリストだったらこの国はもうとっくに転覆しているよ」
「たいした自信ですね」
「それじゃあ、君の話の続きをしよう」
「私の話?」
「君の、将来の話だ」
「私の将来と、あなたにどんな関係が?」
これが、面接ということ?
「大きく関係しているんだ。これを見つけてね」
リンズ刑事は机に小さな瓶を置きました。
「それは……」
私の大切な大切なもの。
真犯人に殴りかかられた時以上に、体が硬直しました。思うように、声が出ません。
他の人にならいいのです。ですが、この人には知られたくなかった。机に置かれたのは、布に包まれた、小さな瓶。
「荷物の中に入っていた。僕も子供の頃、よくこれで遊んだよ」
「刑事になるほどの人でしたら、とても良く飛んだのでしょうね」
鼓動がとても早くなっていました。
静かな部屋でしたから、彼にも聞こえているかも。
「僕は何も、君を追い詰めようとしているわけじゃない」
「そんなこと言う人が、それを持ってきたりはしません……」
私は下を向いて、涙を隠します。
「毒薬の類いかと思った捜査員がいてね。中を改めさせてもらった」
中に入っているのは、一輪の花。珍しい花ではありません。そこら中に咲いています。
「ここからでした。この花が、私を狂わせたんです」
ケケの花。他の花より、軽く、飛びやすい性質を持っています。植物学者によれば、花自身が飛んで受粉に向かうのだとか。
よく、子供たちが魔法の練習に遊ぶ花なのです。青い花を手のひらに載せ、魔力を通わせる。花は回りながら空に舞い上がります。
私がいくら念じても、ただただ手のひらの上に存在し続けました。周りの子供達は次々に空高く飛ばし、その高さを競うのです。
一度だって忘れたことはありません。
私だけが、呆然と手のひらを見つめていました。
「笑ってください……」
この花を私はいつも持ち歩いていたのです。毎朝、この花に向かって念じるのです。私はある朝、魔法が使えない体になっていました。だとすれば、ある朝使えるようになっていたっておかしくないでしょう?
「なぜ笑う必要がある?」
「そんなことあるはずがないのに、私は毎日、この花が飛ぶかどうか試していたんです。滑稽でしょう?」
もう、隠せないほどに涙があふれていました。私は気丈に振る舞っていました。魔法が使えなくなった理由は自分の手で解き明かすと。その裏で、私は毎朝念じていたのです。
「あなたのことをテロリストかもしれないと疑っていた名探偵は、毎朝花びらに念じては涙を流していたのですよ? 犯人を見つけ出すと宣言しておきながら、泣きながら自首を願っている探偵を誰が信用しましょう」
「恥じることはないさ。誰だって弱さを隠して生きている」
「私の弱さを暴いたあなたは、私に何を要求するのですか?」
「君がこれまで、周りからどんな言葉を投げかけられてきたか、想像に難くない。無駄なあがきだと、足を引っ張るなと言われてきたのだろう」
「それももう、今日でおしまいです」
まったくわかりません。
何がしたいのでしょう。
ただのサディスト?
私が泣いているところを見て悦に浸っている?
「そうは僕がさせない」
「はい?」
「僕が何をしたいのか。その謎は解けそうかい?」
「だめ……」
震えが、止まりませんでした。
「それは、それだけは、考えてはだめ……」
「君は、人に興味を持てないんだね。いや、興味を持てないのではなく、興味を持ってしまうと、君は崩壊してしまう」
図星でした。
「認識しています。学園に入るまでは、ただただ事象について、原因と結果について考えていればよかった」
「学園ほど人間関係が濃密なところはないんじゃないの?」
「そうでもないですよ。逆に、単純だったんです」
「単純?」
人間関係が単純なわけがないだろうと抗議しているようです。
「ええ。学園のみなさんが私に向けていた感情はとても単純でした」
「嫉妬、憎しみ、蔑み……か」
「ええ。単純でしょう?」
「君は……その歳で一体どれだけのものを背負ってきたんだ」
「さぁ? 魔力と一緒に、人の心も失ったのでは? 結局、あなたは何をしたいのでしょう?」
「僕に興味を持ったかい?」
「それは愛の告白?」
「僕の感情を一般化して理解しようとしているね。良くないよ、そういうのは」
「人の感情だって歩く走る座ると似たようなものでしょう?」
「そこまで単純じゃないよ。君は、謎を解き続けることで君の謎も解けると信じていると言ったね」
「ええ」
「だけど、君は人の感情が関わる事象について、謎と認識していないのではないのかな? あるいは、意図的に認識していない」
そう。そこが私の弱点。
人の心は無限に広がっている。
人は人を理解することができない。
人は人を解き明かすことができない。
朝食にパンを食べる理由すら、曖昧で不明確で、理由をはっきりと説明できない。そんな人間を、謎と認識してしまえば、私は崩壊してしまう。
「あなたに興味を持ち始めている自分が怖い……」
「それは愛の告白?」
「ええ。そうでなければ困ります」
「それはまた、不思議な告白だ。なぜかはわからないけれど、僕に興味を持ってしまった。そんな理由は許されないんだね。自分の感情すら、何かに規格化してしまわないと君は苦しんでしまうのか」
「はい。もっと単純で根源的な理由でないと、私は私でなくなってしまう」
「単純な感情なら、君は謎として扱える。だけど、複雑な感情は理解できない」
「理解できるわけないでしょう? 私はあなたではない。あなたは意図的に、自分に興味をもたせるように振る舞った」
「僕のことを、サディストかもっと別な異常者だと思ってる?」
「はい」
「いい返事だ。謝るよ。君を、試させてもらったんだ」
試す?
「君の本気度が知りたかった。君が本当に、魔法を取り戻したいと思っているかどうか、知りたかったんだ」
「結果はどうでした?」
「予想以上だった。でも、足りない。とても惜しい」
「人に対する理解が? でもそれが、何の関係が?」
「おおありだ。君は君に起きた事象が、謎を解き続ければ解決できると信じている」
「それが?」
「そのままでは、解けない」
解けない? なぜあなたがそんなことを言えるの。
リンズ刑事は、一瞬目をつむり、何かを決心したように目を開き言いました。
「君の魔力消失は、人為的なものだ」
息が、できませんでした。
人為的……?
「捜査情報だからね。誰にも言わないでほしい。でも、警察は君のような事例を把握している」
「そんな……」
「ああ。把握はしているが、当事者には知らせていない」
「人が、関わっている。それも、とてもややこしい」
「そう。僕はその事件を追っている。内緒でね。君に協力して欲しい、君の力が必要だ」
にわかには信じられません。人為的だなんて……。
「私に人を殺すかどうか聞いたのは」
「ああ。君から魔法を奪った人間を、君は逮捕できるのか」
「自信がありません。殺してしまうかも」
「正直だね」
「嘘でも殺さないって言っておいたほうが良かったでしょうか?」
「いいや、そんなの嘘くさくって信用できないね」
「でも私、試験落ちちゃいましたよ?」
「ああ。それはまぁ。なんとかなるさ。筆記試験は自信あるんだろう?」
「満点だと思いますよ?」
リンズ刑事は口笛を吹いた後、部屋を後にしました。
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