第72話

 「がはっ……」


 腹部に重い一撃が入り、杏嘉は思わず地面に膝を折った。胃液が逆流したのか、口の中が苦くなる。血反吐と一緒に吐いたのだろうが、杏嘉は目の前に立つ豹禍を睨もうと顔を上げる。

 人狼と化している豹禍の力は、今の杏嘉よりも数倍以上の力を振るう事が出来る。人間の姿となっている間に発揮できる力を2割だと仮定した場合、人狼となった豹禍が発揮できる力は約10割と言えるだろう。

 だがしかし、杏嘉は知っている。その状態が豹禍の……獣人族である者の本気ではない事を。何故なら本気となった場合は、今の程度ではないという事を知っているからだ。


 「……お前、本気で殺し合うつもりあんのか?このまま踏み潰しても良いんだぜ?あぁ?」

 「ぐっ」

 「チッ、本気を出す気が無ぇならそのまま這い蹲ってろ。惨めに這い蹲ったまま、他の奴らが蹂躙されていく様を指を咥えて見てるんだな」

 「がっ……!」


 蹴り飛ばされた杏嘉は、蹲ったまま壁に転がった。最初の一撃を受けてから、反抗する様子の無い杏嘉を見て豹禍は舌打ちをした。やがて諦めたのか、杏嘉に背中を向けて小さく呟いたのである。


 「お前が起きねぇなら、またお前の大事な物を奪うだけだ」

 「妖術。――爆粘糸ばくねんし

 「――っ!?」

 

 そう告げた瞬間だった。杏嘉の視界の中で、豹禍が爆風に包まれた。何が起きたのか把握出来なかった杏嘉だったが、上から近付く気配を感じて目を疑った。

 そこには、ボロボロな姿で煙管を咥える綾の姿があった。


 「どうやら、間に合ったようじゃのう。莫迦狐」

 「……なんで」

 「何でじゃと?ワシはで、主もじゃろ?――同じ組に属する仲間なのじゃから、助けるに決まっておろうが莫迦者め」

 

 阿呆が、と言葉を付け足した綾。そんな綾の言葉を聞いた杏嘉は、ユラリと体を揺らしながら立ち上がった。そして背後に居る綾に背中を向けたまま、振り返らずに笑みを浮かべて言うのである。


 「うるせぇ、余計なお世話だ……クソが」

 「安心せい。主が暴走した所で、ワシ等鬼組に止められぬ者等おらんよ」

 「あぁ、そうかよ」

 「じゃから、存分に暴れて来い。……杏嘉」


 綾はそう言いながら、杏嘉の背中を押した。背中を押された杏嘉は、呼吸を整えて一歩前に出た。爆風の中に居る豹禍を見据えつつ、杏嘉は確実に一歩ずつ進むのであった。

 そして、杏嘉は静かに笑いながら言った。


 「妖術解放……待たせたな豹禍、勝負はここからだ」

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