第62話 満を持して! その名はエヴァンジェリン
ポン! と煙が出ると、ひとりの少女がベッドに横たわる。
俺が封印したときのまま、胸の上で手を組んだ状態で眠っていた。
「わぁ……美人さんだ」
イツナが思わず感嘆の声を漏らす。
人間離れした美貌にシアンヌまでもが目を見張っていた。
紫を基調とする髪とローブ。
手首や腰、胸元など……ところどころ黒い帯紐で結ばれ、きつく締められている。
その首筋から見え隠れする肌の白さに今更見惚れはしない。
むしろ押し寄せてきたのは本当にこいつを起こしてよかったのかという後悔の波だ。
まあ、起こすたびに後悔するから恒例行事なんだが……。
ぱちり、と眠り姫の両瞼が開いた。
姿勢を維持したまま、瞳だけをこちらに向けてくる。
「おはようございます、マスター」
小さく可憐な唇から漏れ出たのは透き通るような、聞き慣れた美声。
「ああ、おはよう」
俺がひりつく喉で挨拶を返すと、少女が無駄のない、それでいて自然な動作で半身を起こした。
「早速ですが、いっそエンジェルフリートに人間どもをすべて
そこまで言いかけて、周囲の部屋が自分の記憶と食い違うことに気づいたのだろう。
首を横に振ってから目を瞑った。
「失礼しました。もう別の世界なのですね」
「ああ、お前を出すのは俺の主観時間で3年5ヶ月ぶりだ。悪い」
謝る俺の顔を少女が不思議そうに見上げる。
「何故謝るのですか? ルール7の適用内です。何ひとつ問題ありません」
「お、おう。そうだったな」
俺がたじろぎつつも頷くと、少女が何事かを吟味するように頬に手を当てた。
「3年ですか。その前までに新人として会ったのは確かミレーネさんとサリファさんでしたね。今でも壮健ですか?」
「ああ、ミレーネはまだいるけど……サリファはリリースだ。メガミクランに誘われて行っちまった」
「そうですか。彼女は見込みがあると思ったのですが」
残念そうに呟きながらベッドから起き上がり俺たちをぐるりと見回すと、少女はクスリと微笑んだ。
その背はイツナより少し高く、シアンヌよりはかなり低い。
「と、いうことは。そちらの御二方が今回の新人というわけですね。わたくしに言われる前にきちんと封印珠から出しておいたのは賢明な判断でしたよ、マスター」
「もちろんだ」
どうせ交渉材料としてイツナたちに会わせることになる以上、少しでも好感度を稼いでおく必要があるしな。
いや、好感度はある意味カンストしてるんだけど……。
なんて思ってたのが油断だったのか。
目の前の少女が悪戯っぽく微笑んだ。
「では、ハーレムルール暗唱も完璧な状態での面通しだと判断してよろしいですね?」
あ。
「す、すまん。忘れてた!」
「おや」
俺が手をあわあわさせた様子がおかしかったのか、少女はコロコロ笑いながら手を振った。
「いえいえ、いいですよ。そういうことであればテストを緩くしますから」
「え、マジで!?」
おおう、嬉しい誤算!
寝起きだから心配してたけど、なんか機嫌が良さそうで助かった!
「さて。どうせズボラなマスターのこと。わたくしの名前も聞かされていないでしょうから自己紹介させていただきます」
コホンと咳払いすると、紫色の少女が優雅に一礼する。
「わたくしはエヴァンジェリン。エヴァとお呼びください。マスター……逆萩亮二様の25人目の嫁にして、ハーレムルールを創設した者です。以後、お見知りおきを」
「ルールを創設、だと……?」
シアンヌの怪訝そうな呟きにも、エヴァはクスリと微笑み返すのみ。
「えっと、鳴神佚菜です!」
「シアンヌだ」
やや強張った表情のままイツナ達が名乗った。
「そのように緊張なさらなくても結構ですよ。マスターにいろいろ脅されているのかもしれませんが、別に取って食いやしませんから」
エヴァが朗らかに笑いながら、俺の方にウインクする。
うーむ、どういうことだ。
ここまで愛想がいいと逆に不気味だぜ。
ちなみにいつもならもうちょっち無表情、無愛想。
結果、当時新人だったサリファと派手にやりあって、リリースの遠因になっちまったし。
でも、この様子ならイツナとシアンヌはいけるか……?
「どのような経緯、動機によってマスターの嫁になっているかは敢えて聞きません。大切なのは今、マスターの嫁であるというその一点に尽きますからね。そういうわけで、お互いの過去については知らないようにしましょう」
「む、そうか」
いつもどおりさりげなくルール創設者であることを知らしめつつ、それに関する質問を封じるエヴァ。
案の定、仇討ちという理由で俺の嫁になっているシアンヌが言葉に詰まる。
「わたくしが新人の御二方に求めるのは、ハーレムルールの遵守。それだけです」
始まるか?
「本来であれば暗唱できて当然なのですが……今回はマスターの手抜かりもあり、抜き打ちというハンデも考慮して3つ。ふたり合わせて3つで結構です。ルールナンバーとその内容を暗唱してみせてください」
マジで大盤振る舞いだな。
いつもの悪辣さを考えれば、かなりの低難易度だぞ。
ルールと言われて素早くメモを取り出すイツナ。
しかし……。
「鳴神佚菜さん。暗唱と申し上げましたよ?」
「あう」
ぴしゃりと言い切られ、イツナがおずおずメモをしまう。
ここから先は俺でも一切口出しできない嫁同士の世界。
ふたりとも、頑張ってくれー。
「ルール5」
シアンヌがイツナに先んじ、冷静に言葉を紡いだ。
「俺に求められたら拒否するな。常に夜は準備をしておけ」
「正解です」
うん、シアンヌはルール5大好きだもんね。
おや、何やらイツナが小首を傾げているが……。
「あ、ルール3!」
シアンヌの正解に乗じるように勢いよく挙手する。
「俺はしょっちゅうお前らに嘘をつく。本当のことを全部言わない。それでも疑うな!」
「そのとおり」
おお、アレを覚えてたのか。
そういや、イツナにはルール3の裏の意味も込めて教授したっけ。
特訓しておいた甲斐があったな。
「「ルール番外!」」
最後はふたり同時だった。
「「俺は勝手にルールを増やす。そんときお前らは黙って従え!」」
「素晴らしい。合格です。事前の予習なしでそこまで言えるなら充分ですよ」
エヴァが拍手でふたりを祝福する。
ふぅ、第一関門突破ってところかな……。
「では、最後にわたくしがルールを暗唱します。よく聞いてください」
エヴァが美しい声でハーレムルールを謳い上げた。
「ルール1.俺は基本、嫁になることを承諾した女しか連れて行かない。
ルール2.俺は誓約を果たすためなら、どんなことでもやる。そこにお前らの倫理観を持ち込むな。
ルール3.俺はしょっちゅうお前らに嘘をつく。本当のことを全部言わない。それでも疑うな。
ルール4.俺には既に何人か嫁がいる。そいつらと仲良くやれ。
ルール5.俺に求められたら拒否するな。常に夜は準備をしておけ。
ルール6.俺はお前らを幸せにしない。お前らが自力で幸せになれ。
ルール7.俺は用のない嫁を寝ている間に封印珠に入れることがある。目覚めたら百年経ってても文句を言うな。
ルール番外.俺は勝手にルールを増やす。そんときお前らは黙って従え」
俺の適当な暗唱とは違い、荘厳さを感じさせる力強い詩。
惚けたように遠い目をしているイツナたちに、エヴァが優しく語りかけた。
「どうか今後はお忘れなく。とはいえ……おふたりがマスターの嫁としての資格を備えていることは一目でわかりました。貴女たちのような方がわたくしがいない間マスターを支えていてくださっていたこと、嬉しく思います」
エヴァが口元に手をあてて、ころころと笑った。
「え、何。どういうこと?」
さっぱり話が分からないので口出しすると、エヴァが意外そうに目を丸くする。
「だって御二方とも、卒婚嫁だけが与えられるはずの『召喚と誓約のチート』を賜られてらっしゃるでしょう?」
「あ、そっか。鑑定眼を使えば一発でわかるわな」
最初に俺たちを見回したときか。
自然過ぎて、起動がまったくわからなかったぜ。
「新人嫁にアレを渡すなど、これまで有り得なかったことです。マスターが誰より信頼を寄せている証ではありませんか」
「ひょっとして機嫌がよかったのって、それが理由か?」
「ええ、他に何があるというのです?」
俺たちの会話にイツナとシアンヌが首を傾げた。
「どういうこと?」
「何の話なんだ?」
「まあ、ふたりは大丈夫ってことだ」
いやー、一歩間違えばリリースされる危険性があったなんてこと、口が裂けても言えないぜ!
エヴァの解釈次第では『召喚と誓約』自体が一発アウトも有り得たわけだし。
ま、結果オーライだな。
「ともあれ、わたくしともルール4をお守りいただければ幸いです」
「よろしくね、エヴァさん!」
「ああ、よろしく……」
イツナの方は問題ないとして、シアンヌもやや警戒気味だけど格の違いは察したみたいだな。
この分なら無闇にいがみ合ったりしないだろう。
「さて。わざわざ新人の面通しのためだけにわたくしの封印を解いたわけではないのでしょう、マスター?」
俺の方を振り返ったエヴァの表情が突如として真剣味を帯びる。
「ああ」
そう、むしろここからが本番。
何しろエヴァは俺に絶対服従の嫁ってわけじゃない。
交渉や取引で気を抜くわけにはいかない相手だ。
「この世界の星の意思に会いたい」
召喚者がすぐ側にいない場合、いくつかのケースが考えられる。
そんな中でも魔法陣がきちんとあって、尚且つ世界が破滅的な状況に陥っている場合に誓約者の可能性が一番高いのは星の意思。
すなわち、異世界自身だ。
「星の意思に喚ばれたのですか」
「ああ、たぶんな」
俺の行き当たりばったりな方針に首を捻りながらも、エヴァが必要事項を確認してくる。
「星の意思に会うとなると、星の
「いいや、フラついてる最中に適当に探してたんだが、まだだ。だからとりあえず夢見の方で頼みたい」
「マスター、それは危険です」
エヴァの気配が一気に剣呑なモノへと変わった。
イツナの肩がビクリと震え、シアンヌの表情が再び強張る。
「星の意思との接触はただでさえ使徒を刺激します。夢見だと一歩間違えば戻ってこれぬやもしれません」
「その点については多分心配ない。この異世界の『星』のエネルギーは尽きかけてる。だから星の使徒の心配もいらない。今のままで充分やれる」
「ふむ」
この辺は今まで集めた確かな情報だ。嘘も交じってない。
エヴァもそのあたりをきちんと察して頷いた。
「わかりました。ただし、わたくしがこの異世界の状況を確認するまでお待ちいただけますか?」
「ああ、構わない。でもそんなに時間がないから急ぎでな」
「では、結界を解いてください」
結界を解除しようとしたところでイツナが難しそうな顔で聞いてくる。
「ねえ、何の話?」
「大した話じゃない」
「ルール3ですよ、鳴神佚菜さん」
俺のセリフを引き継いだエヴァの一言でイツナがパッと口元を両手で覆った。
シアンヌも何か言いたげにしているが、ルール3を持ち出されて渋い顔のまま口を閉じている。
「では、しばらく失礼します」
俺が結界を解くと、エヴァが光の粒子を伴って消えた。
「ふーっ」
「くっ!」
部屋に充満していたプレッシャー源が消えてふたりの緊張を解けたのは、しばらく経ってからのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます