【番外編】 side ギュート
その少年の目を見たときから分かっていた。
彼が、決して陸で生きる男ではないと。
「それでね そのふねは ほんとうは タコの おばあさんが うごかしていたの。おおきな からだが ふねのそこに とじこめられちゃってたんだよ」
食事の席では先程から、モラが土産話を披露してくれている。拙いながらも一所懸命な話し振りに、自然と私の頬も緩む。と、そのモラの隣のオーガストが、短く彼を叱咤した。
「おい、大概にしろモラ。さっきからお前の話ばかりじゃねぇか」
「何、構わぬ。楽しませてもらっているよ」
そう言葉を挟むとオーガストは少し躊躇し、モラはきょとんと私を見た。
「続きを話しておくれ、モラ」
促すとモラは、笑顔になって話を再開した。
オーガストの気遣いもわかる。
長いこと実の孫を探していた私と、自身の出自を求めていた少年。
しかし、その奇跡のような再会を果たした私達の間に、殆ど会話はなかった。
ヨシュアは何も語らぬまま食事を続けており、私は先程からモラの話に相槌を打っていた。
「今日は皆、泊まっていってくれるのだろうな? 出航まではまだ日があるだろう?」
「いいの!?」
モラが目を輝かせて身を乗り出す。途端にオーガストが渋い顔をする。
「だから、お前はもう少し慮れって……」
そんな苦言にもモラはにこにこと首を傾げるだけだ。ふと見ればヨシュアは、変わらず落ち着いた表情で、ただ静かにワインを飲んでいた。
◆◆◆
食事を終えてからも私とモラは、話に花を咲かせていた。夜も更け、モラはあくび交じりになってもまだ、私の傍を離れたがらなかった。
と、赤い髪の少女が、モラの袖を強く引いた。
「ほら、マンボウ! もう部屋に行きましょ。ね?」
「でも ぼく もっと おはなししたい」
「舟こぎながら何言ってるのよ。ほら、行くわよ」
そう言って半ば引きずるようにして、彼女はモラを連れ出した。部屋を出る前に彼女はちらりとヨシュアを見、それから私にぺこりと頭を下げ、そそくさとドアを閉めた。
「ではギュート公、俺も今夜はこれで」
オーガストまでが立ち上がって、深々と礼をした。そうして応接間には、私とヨシュアの二人だけが残された。
しんと静まり返った室内。先に沈黙を破ったのはヨシュアだった。
「あいつら、妙な気を遣って……」
その台詞に、私も苦笑する。私達は顔を見合わせると、静かに笑い合った。
言葉など、必要ないのだ。
ずっと夢見ていた。ヨシュアを見つけたら、何を話そうか、何を聞こうか。与えたいもの、贈りたいもの、尋ねたいこと、それらは沢山あった筈なのだが、いざ本物の彼と向かい合うと、何もかも無用であることに気付かされた。
彼の眼は海を見ている。
そこに言葉など必要ない。それはきっと、ヨシュアも感じていることだった。
「……行くのだろう?」
私の問いにヨシュアは、静かに、深く頷いた。
分かっていた。彼は、大人しくこの屋敷に留まるような男ではない。
「船はどうするつもりだ? ロートレック号はもう無いのだろう?」
「ノースフィールド号の副船長に誘われている」
成る程……しかし、それならば。
「彼女はどうするつもりだ?」
尋ねるとヨシュアは、この屋敷に来て初めて狼狽を見せた。大人びて見えてもそんな様がいかにもまだ少年で、私はつい声を立てて笑ってしまった。
花のように紅い髪をした華奢な少女。彼女を海賊船に乗せていけるとは思えない。
ただでさえ船は重労働の場、更に、船に女を乗せることは不吉とされている。ジャヌアリー嬢のように女だてらに海賊をやってのけるのは、非常に稀な例だ。
ヨシュアはしばし悩んでから、けれど答えを見つけられずに、たった一言、搾り出した。
「……手放したくは無い」
「ならば、ここに留まらせてはどうか? もちろん、彼女さえよければ、の話だが」
私の提案に、ヨシュアは目を見開いた。
「お前の帰りを一人で待つことには、もう疲れたのでな。共に待つ相手がいてくれれば、寂しさも紛れるというものだ」
それに、と付け加えて私は、少し意地の悪い訊き方をした。
「ひ孫の顔くらい、見せてくれるのだろう?」
「っ!」
端正な顔に朱が入る。私はたまらず、くっくっと低い笑い声を洩らした。手の甲の痣があろうと無かろうと、疑う余地などあるものか。彼はこんなにも、こんなにも私に似ている。
「気をつけて行け。貴公らの旅に、良き風が吹くことを」
「ああ。ありがとう――祖父殿」
少し照れ臭そうにそう言ったヨシュアの肩を、私は黙って軽く叩いた。そうだな、次に会うときは、お前からも聞かせてくれ。とっておきの、土産話を。
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