【番外編】 side ジュン

「それ なあに?」


海図を書いていたら、ふいに声をかけられた。こののんびりした声は。


「モラ」

「ねえ ジュン なにしてるの? それは なに?」


僕はくすりと笑ってテーブルから身を起こした。この好奇心旺盛な新入りには敵わない。


「これは羅針盤。今、この船がどの方角に向かってるか計るんだよ。こっちのは天測器。ほら、ここをこうして……ここを覗き込むと、太陽の高さを測ることができるんだ。この数字を暦に合わせると緯度が……って、ちょっとややこしかったかな」


見ればモラは頭に疑問符をたくさん浮かべて首をかしげていた。僕は苦笑してペンを片し始めた。


「つまりね、この船が今どの辺りにいて、どこへ向かっているのかを計るんだよ。わかる?」


かなり簡単に端折って言うと、モラもうんうんと頷いた。ホント、素直だなぁ。僕の頬も自然と緩む。


「このふねは これから どこに いくの?」


その問いに僕は海図を広げて指をさした。


「今、僕らはこの辺りにいるんだ。向かっているのはここ……ルートルード島」


ルートルード島は海賊達の集う密貿易の中心地だ。通称「世界の掃き溜め」。

そんな場所にこのモラを連れて行くのはちょっと心配だけど……でも、まぁ、オーグが一緒なら平気かな。


当のモラはと言えば、そんな僕の心配をよそに目を輝かせて海図を指でなぞっていた。それからぱっと顔を上げて嬉しそうにこう言った。


「ぼく ぼく りくに あがるの うまれて はじめてだ!」


……やっぱり。これは、ハッサンの読みが当たってたかな。


この間、ハッサンとユーリと話してたんだ。「モラは何者なんだろう」って。



◆◆◆



「海の真ん中で、裸で浮いてて。難破した船の残骸がそばに浮いてる訳でもないし、本当に謎なんです、彼」


チェスを弾きながら、ぼそりとユーリが言った。普段必要最低限のことしか喋らないユーリが自ら話すのは珍しい。ハッサンがユーリのポーンをビショップで捕りつつ、「それなんですけど、」と少し神妙な声を上げた。


「彼、名前もなかったそうじゃないですか。それだけじゃないんです。彼……真水を飲んだことが無かったんですよ」


さすがにこれには驚いて、僕とユーリは顔を見合わせた。


「ええっ?」

「水を飲ませたら、『しょっぱくなくて きもちわるい』って言って受け付けなくて……きっと、よっぽど酷い環境に身を置いていたのでしょうね」


それじゃあ、やっぱり……。


奴隷。


……だったんだろうな。


だから、拾ってくれたオーグにあんなに懐いて。まるで親の後にくっついて歩く雛鳥みたいにまとわりついて。


今まで辛い目にあった分、これからはいっぱい笑ってくれるといい。

もっと、もっと。



◆◆◆



「ジュン ジュン」


呼ばれて僕ははっとした。気付けばモラが心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。


「ああ、ごめん、ちょっと考え事。っと、もうこんな時間か。モラ、ナナイのところに行って帆の角度の調整を手伝ってくれないかな。僕もすぐ行くから!」


モラは元気良く「うん!」と頷くと、あたふたと船室を飛び出した。その後ろ姿を見ながら、僕は思わずくすりと笑ってしまった。


彼がこの船に来てから、少し空気が変わった気がする。特にオーグ。なんだか笑うことが多くなったみたいだ。


「さて僕も、もうひと踏ん張りしよっと!」


僕はうーんと背筋を伸ばすと、海図をくるくる細く丸めた。

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