第29話 少女と因縁、時々、異世界帰り 4

「ぐっ…」


「息ができなくて苦しいでしょ?僕は毒でじわじわとのたうちまわって死んでいく人間と、息ができなくて死んでいく人間が堪らなく好きなんだ。死の間際に見せるあの苦悶の表情、希望が絶望となって瞳から失われていく光が最高でね。君はどんな表情を浮かべてくれるのかな?」


ゆっくりと己の身体を蝕む毒の影響で窮地に陥った若菜は、なすがままに首を牛鬼に掴まれて持ち上げられる。


「馬鹿野郎が、油断しやがって。負けるなら全力を出しきってから実力差で完膚なきまでに叩きのめされてから負けろ。よりにもよって毒などというつまらない小細工で窮地に陥るなんてな。俺がせっかく修行に付き合ってここまで鍛え上げたというのになんて様だ。」


(全くもってその通りだわ。せっかく、修行をつけてもらったのにこの様じゃ…つけてもらう前なら私は確実に瞬殺されていただろう。ごめん、お父さん、お母さん。私、駄目だった。死に物狂いでやっとここまで強くなったのに…)


自身の驕りが招いた結果によって今まさに殺されようとしている自分へと投げ掛けられた辛辣な言葉にとうとう若菜の心は折れる。


まもなく毒は全身に回り、その先に待つのは確実な死。今まさに津守若菜という人間の人生が幕を下ろそうとしていた。しかし、幕引きにはまだ早いと言わんばかりに和彦は言葉を続ける。


「本当に無様だ。俺だったらこのまま死ぬくらいなら惨めすぎて自ら腹を切って自害するくらいにな。だが、ここまで修行に付き合った人間の誼みよしであえて言わせてもらう。どの面下げてあの世の親父とお袋に顔向けする気だ?「死んじゃった、仇討ちできなくてごめんね、てへぺろ。」なんて言うつもりじゃないだろうな?いい加減にしろ!それが命より大切な愛する娘たちを命を賭して守った両親に対する冒涜だということがまだ気付かないのか。そんな暇があるなら、腕だろうが足だろうが全てを切り落とされて地べたを這いずりまわることになったとしても死ぬ気で生き残れ、津守若菜!」


「…ハァ…ハァ…さっきからおとなしく聞いていれば…ハァ…いけしゃあしゃあと…知ったような口で好き放題言ってんじゃないわよ!」


和彦の激励に己の肉体に残ったわずかな力を振り絞って毒に抗い、自身の首を掴んでいた牛鬼の手を振りほどき、両の足でなんとか立ち上がった若菜は声の出る限り、力任せにそう叫ぶ。


「あんたなんかに私の何が分かるって言うのよ!この10年、夢の中だろうと片時も忘れることのできない復讐のために全てをひたすら捧げて生きてきた私の気持ちが!両親に対する最大の侮辱?馬鹿にすんな!そんな当たり前のこと、あんたに言われなくたって嫌というほど分かってるわよ!私には私の帰りを待ってくれている人がいる!その人のためにも私は勝つ!雲の上で見ている両親のためにも私は勝って絶対に生き残る!」


生きることを諦め、死を覚悟し、すでに光を失っていた両の瞳に炎のごとく燃え盛るような闘志が再び宿り始める。


「ふーん、あれだけ毒を吸い込んでいて、まだ立つんだ。あんまりにも反応が無さすぎてもう死んじゃったんだと思っちゃったよ。」


「おあいにく様。これでも生命力には自信があるの。可憐な身体付きだからって侮らないことね。」


「…まぁ、いいや。今度こそ楽に殺ししてあげるよ。」


(本当は徹底的に陵辱してから殺そうと思っていたけど、こっちも最初の攻撃で受けた傷が大きすぎてそろそろ限界が近い。こいつを補食しなければこっちが死ぬ。)


自分より非力で遥かに格下であるはずの人間ごときに命が脅かされることになろうとは。しかも、その人間があの男の実の娘などという甚だしい屈辱。


思えばこんなことになったのは10年前からだ。今も脳裏に纏わりついて離れないのは自分を窮地に追い込んだあの男、津守雄一の汚物を見るような目で見下されている自分の姿。


憎い、憎い憎い憎い。|貴様もあ・の・女・と同じような目で見るのか。そればかりか、貴様の肉体を乗っ取った私ごと丸焦げになるだと?幸か不幸か、死にはしなかったが、そのせいで本来の力をこうして全て取り戻すのに10年という歳月を費やした。死んでもなお、貴様はどこまで私を苔にする気だ。


腸が煮えるどころか焼き尽くされるようなこの怒り、貴様の一番大切なものを壊してやらないと収まりがつかん。津守の娘よ、貴様が今まさに因縁を絶ち切ろうとしているように、我もここで絶ち切らせて貰おうぞ。貴様の背後に宿る、あの男の亡霊を。


(勝負は一瞬で決まる。強ければ勝つ、弱ければ負ける。速い方が生き残り、遅い方が死ぬ。単純かつ明快の摂理。ならば、この術式に私が乗せられるありったけを全て注ぎ込むのみ!)


(とか考えているんだろうね。とすれば、僕も全力でありったけをぶつけるとしようかな。今までこれを受けて生き残った人間はいない。僕の勝ちで決まりさ。)


(さて、帰る準備でもしとくか。どうせこの勝負、次で決まるだろうしな。あの作者ゴミ虫の性格的にあいつが勝つような話にするのは目に見えている。未来を予知しなくても分かることだ。)


三者三様、それぞれが各々の決意を胸に10年という長い間、続いてきたこの戦いに終止符が打たれようとしていた。前にも言ったが、この戦いもどちらが勝つのか、それは誰にも分からないであろう。ここにいる未来を思うがままに見透かすことのできる異世界帰りの魔導王ただ一人を除けばの話だが。


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