一話

奥秋寒おくしゅうかん


それは常秋の地。

千年紅葉と稀に降る雪。

天龍山脈を越えた山奥のこの地域には四季がなく、常に秋と冬の境目のような気候が続いている。

昼は短く夜は長い。

作物も育ちにくく、人が住むには適さない地域であるが、そこにある街には住民も多く、また国内外から来訪する観光客で賑わいを見せている。

理由はここにある温泉郷だ。

そこにある温泉は美肌や健康促進だけでなくの霊力回復の効能を謳っており、陰陽師でさえ湯治目的で訪れることがある日ノ本最大の温泉郷の一つだ。

当然、こちらにもはぐれのギルドがあり、無明とハルはそこにいた。


「百鬼夜行ですか……」


奥秋寒の女ギルドマスター、花道小雪はなみちこゆきは物憂げに呟いた。


「ああ、残念ながら件の陰陽師は食われてしまったようだ」


信林檎から出発する際、玉藻からの命令でとある陰陽師と共同でこの地に起きている怪異を解決するよう命じられた。

だがその陰陽師は、数日前に出かけてからは音信不通になっており、伝え聞いた馬車の特徴は百鬼に襲われた馬車と一致する。このギルドでもそれなりの実力者だったらしいが、あの時の妖どもの話からすると力が及ばなかったようだ。


「なぜこの地に居たのかは知らんが、既に北東の空に去っていった。当面は百鬼による危機はないだろう」

「そうですか……」


そう伝えると小雪はあからさまにホッとする。

観光地とはいえ秘境と言われる場所。

その気になれば大都市すら壊滅させる百鬼夜行に襲われれば一日持たず壊滅するだろう。


「それで、この地の怪異とは?玉藻より承った依頼では内容までは聞いておらぬ。説明を頼めるか?」


無明は話題を切り替えると、小雪に問う。


「は、はい! それでは────」





「むみょー、おおきい!」

「こらこら、受付を済ませるまで大人しくしてなさい」


案内された旅館を見るや、ハルが珍しくはしゃいでいる。

老舗旅館の天龍庵。

玉藻が事前に部屋を予約したと聞いてチェックインにやってきたのだが。


「むみょー、大丈夫?」


どうやらこの立派な旅館を見て、こちらの懐事情を心配しているらしい


「玉藻が全額負担してくれているのでな。問題無いぞハル」

「おおー!」


そう言うとまた館内を走り回るハル。


「全く……」

「うふふ、元気な娘さんではないですか。では、お部屋の方にご案内しますね」


受付を済ませ、そのまま女将に案内され部屋に入る。


「おおー」

「ほう、これはこれは」


広い和室の中央にはガラスで囲った枯山水の庭園が拵えており、窓からは紅葉が咲く山々を一望できる絶景。

そのベランダには温泉が引かれている浴槽があり、内風呂として使用もできる


「この宿一番の富士の間でございます」

「むみょー、おにわ!」

「ふむ、なかなかに雅なものだが、よくぞここまで良い部屋を用意してくれたものだ。仕事というのを忘れてしまいそうになる」

「はい、何せ玉藻様のご紹介とあれば。本日はどうぞごゆるりとお寛ぎください」

「感謝する、女将。ところで例の部屋は?」


忘れない内にここにきた用件を確認しておく。

女将は先ほどと変わり、表情を曇らせた。


「ええ、今は使用禁止にしております」


──曰く、この旅館を訪れる者は荷物を残して忽然と消えてしまうことがある。

──曰く、ある日起きると館内が無人になっている。

──曰く、無人のまま定刻には食事が用意され、部屋も衣類も気づけば掃除洗濯されている。


気味悪がり外に出ると、全く関係ない街に気付けば一人佇んでいる。

天龍庵の怪。

訴えが少なく調べに入った警察も陰陽師も何ら手がかりを掴めなかったため、宿泊客の嘘と判断された怪異だ。

実害がない(強いては旅館からの払い逃げだが宿泊料を前金制にすることで対応している)ため、放置されていたが事態は変わる。

宿泊客が頻繁に消え始め、更にはそのまま戻らない。

これには流石に嘘と判断していた警察も陰陽師も、本腰を入れ始めたが以前として手がかり掴めず捜査は難航した。

だが、とあるはぐれの報告により状況は一変する。


────無人の旅館で恐ろしい鬼を見た。


そのはぐれ陰陽師、源庵は興味本位に旅館を訪れ、そして怪異に遭遇した。

何とか戻ってこれたのは、中で出会ったある女の手引きによるものだと言う。

だが既に行方をくらましている他の宿泊客については、きっと鬼に喰われてしまっていると報告したらしい。

そのため、源庵と共同で解決するよう玉藻から依頼(強制)されたのだが、肝心の本人が先の百鬼夜行に馬車ごと襲われ帰らぬ人となってしまった。

ただ運が悪かったのか、はたまた百鬼にとって都合が悪い情報を持ち帰っていたのか、全ては闇に葬られてしまい手掛かりなしで対処しなければならない。


「ふむ、その部屋を使用する者だけが?」

「はい。今までは失踪されたとしても、必ずどこかしらで発見されていたのですが……」

「ほう……従業員に失踪したものは?」

「いえ、おりません。全てその部屋にお泊まりになられたお客様だけです。必ず起きるという訳で無く本当に忘れた頃にポツポツと……迷い家の怪がまさかうちの旅館で起きるなんて、信じられませんでした」

「まよいが?……しきふ!」

「くくく、ハル、それは別だ」

「お嬢ちゃんは知らないかしら? 旅人が道に迷うと立派な武家屋敷に遭遇するという怪異の話を」

「お屋敷?」

「そうよ。中には誰もおらず、その家財を持ち出せば富を得られるという伝説が日ノ本各所であるの」


女将の話にハルは何やら考え始める。

何か思い当たる節でもあるのだろうか。


「………ハル知ってる。でもそこ、男の人がいる」

「あらあら、そうなの?きっといろいろ噂が大きくなって伝説が分かれているのね」


────────ふむ。


「迷い家の怪、か。ハル、今日部屋で寝る際は二人で寝るよう気をつけなければな。ここは大丈夫だと思うが念のためだ。それに女将、折角の好意を申し訳ないが明日からはその部屋で寝泊りするので、部屋を整えておいてくれ」

「だ、大丈夫なのですか?」

「虎穴に入らんば虎子を得ず。陰陽師も警察も手掛かり無しであれば体験する方が早い」

「わかりました……お一人で?」

「いや、今回はこの子も連れて行く。ハル、済まぬが力を貸してくれ」

「ハル、やる!」


むふー、と。

やる気を出し始めるハルを、女将は心配そうに見つめる。


「よ、よろしいのですか?」

「ああ、この子の力が今回は必要だ。陰陽師に連れ添うのは伊達では無いのだよ」

「……かしこまりました。しかし、もう一人のお連れ様はどうされるので?」

「ん、もう一人?」

「はい、玉藻様から三人分のお食事とお布団を用意するようにと承っておりますので」

「いや、聞いておらぬが……」

「おやおや、素晴らしい部屋だな」


不意に会話に割り込んできた女の声。

嫌な予感がして振り返ると、巫女装束に弓を背負い刀を腰に履いた女が部屋に入ってきた。


「玉藻め……」


女狐のほくそ笑んだ顔が目に浮かぶ。


「むみょー、だれ?」


ハルが不思議そうにその巫女を見つめ尋ねてきた。


「これはこれは。はぐれと共に事に当たれとの指示だったけど、まさかアンタとはね」

「ああ、久しいな巴。まさかそなたが派遣されるとはな」


冷たくこちらを見据えて来るのは陰陽寮所属の陰陽師、巴。

次世代の筆頭候補とも名高い才女、陰陽寮の中でも特にはぐれ嫌いで有名なお方である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はぐれ陰陽師 @sokoichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ