第二章 久世の旅館

序章

嘗て神々が存在した証と噂される場所が世界各地に存在する。

そこには総じて圧倒的な超自然現象が随時発生しており、人間の住めぬ地獄と称される場所もあれば極楽と称される場所もある。

そんな極楽と地獄の一部が日ノ本にも数十箇所、存在する。

雲を衝くはるか天に届く程の山々、その山間には神河が流れており、人の住む下界に数百キロに渡る大滝となって流れ落ちる。

大滝の麓は常に清涼感と神気に満ちており、『天墜あまおとし』と称されるその地は天帝すら慰安に訪れる事がある。

無論、一般には公開されておらず経済界の重鎮や海外VIPの中でも本当に限られた者しか招かれない、日ノ本が誇る魅惑の地。


その日、日ノ本の総理大臣、はぐれ組合の長、そして陰陽寮の筆頭といったこの国の中枢人物が集う緊急集会が『天墜』で開催された。


あるはぐれの報告によると、はたまたま居合わせた馬車と陰陽師を襲い東の空に去っていったという。

妖による被害は今なお多く、陰陽師が仕事にあぶれることはない。妖に返り討ちに遭う陰陽師もおり、今回のようなことはここまでの大事にはならない。

だが、この一報はいつもと違う。


『百鬼夜行』の出現。


それはつまり50年前に天帝と玉藻、そして当時の筆頭陰陽師によって滅ぼされた妖達の集団が復活したことを意味する。


「これは……直ぐにでも国民に緊急宣言を発令すべきなのだろうか」


常に自信に満ち、確かな学力と家柄に加え、自身の胆力とカリスマであらゆる政治派閥をまとめ上げ、この国の総理大臣にまで上り詰めた男が、大滝を眺めながら心底困り切った声色で独り言を漏らす。


「さてのう。全国の組合には百鬼夜行が復活した旨を連絡する故、遅かれ早かれ国民にも知れ渡るじゃろ」


妙に古めかしい言葉使いの女の声に、大倉順一は振り返る。


「これはこれは玉藻様。お久しぶりでございます」


この国の政治の頂点が恭しく礼をするのは、彼女の年齢や立場によるものではない。

彼が総理大臣に上り詰めるまでに、彼女の補助という名の奸計に大きく助けられたからだ。


────余談ではあるが玉藻はこうして、決して天帝に雑事が及ぶ事がないよう、優秀かつ手駒になりそうな者が要職につくよう暗躍している。


無論、それはあくまで政治家の話。

完全実力主義の陰陽師となると話は変わってくる。


「ほう、玉藻に大倉殿か。同じ大和にいるが、機会が無いとなかなか会わなぬものだな」


大倉は聞こえてきたその声に肝がスゥッと冷えるのを感じた。

何かをされたわけではない。

遺恨があるわけでもない。

ただ、声を聞くだけで、その者には勝てないと悟る、本能からの敗北感のようなものが己を震えさせる。


百二十六代筆頭陰陽師、芦屋道満あしやどうまん


一言で表すなら獰猛。

目つき鋭く、百九十に近い身長とその引き締まった体から圧倒的強者の風格を醸し出す男。

とあるはぐれが醸し出す、怪しさと妖艶さを正面から打ち砕きそうな生まれながらの捕食者とも呼べる男。

仲間の面倒見よく、彼を嫌う人間すら会えば数刻のうちにその豪気に呑まれいつしか心酔してしまう。

だが一度戦いになれば敵に容赦なく、調伏した化物は数知れず近代兵装で武装した軍隊ですら、単独で滅ぼす日ノ本最高戦力の一人だ。

その外見から女性人気も高いが、その実力と風格から男が慕う男として男性ファンも多く、彼の下で働きだがる人間は後を絶たない。

百鬼夜行を滅ぼした先代筆頭陰陽師賀茂忠行かもただゆきすら超える、歴代最高の陰陽師と呼び名の高い現陰陽寮の最高責任者だ。


「しかし、百鬼が現れたと聞いたがやはり陛下はおらぬか」


彼自身は、天帝御前試合と筆頭陰陽師拝命の儀の二回しか天帝に会った事は無く、いずれもその姿を直接拝謁したことはない。

すべて簾越しに声をかけられる程度で、それは例え筆頭ですら意に介さない天帝の心だと道満は感じていた。


「陛下は御所でお休みじゃよ。細事は妾に任されておるのでな」

「くはははは! 百鬼夜行の復活を細事とは余程の阿呆か化物か!」


──ゆらり、と。

玉藻の体から、妖気が陽炎のように昇る。


「道満──陛下への侮辱は許さぬぞ」


大倉順一は彼女が感情を露わにするところをそれなりに見てきた。

だが、今回は少し毛色が違う。

『殺意』を放つ彼女に思わず呼吸を忘れる。

だが、この男は違った。

ただ冷静に玉藻を見つめ返し、何ら感情を動かすことなくまるで日常会話の続きのように言い返した。


「いや玉藻お前に言うたのだが、それはもしや陛下のお言葉か?」


玉藻の殺意など微塵も気に留めず、天帝の言葉かどうか、

その飄々とした様に、ある人を思い出した玉藻は冷静さを取り戻す。

細事と言ったのは天帝だが、それはこの男の預かり知らぬこと。

とある二人の事となるとすぐに感情的になる己の悪癖に、玉藻はほんの少しだけ反省し話題を変える。


「ふん、どちらでも良いわ。それより今後の対策じゃが……」

「組合と陰陽寮全ての陰陽師に百鬼の情報を収集させ随時、この三人で共有する。差し当たってはぐれどもの管理は玉藻、お前に任せたぞ。この際、陰陽師とはぐれのプライドの戦いなど下らぬ事に囚われぬよう俺が勅命を出す」

「よかろう。お主の勅命なら陰陽師どもも渋々ではあるが協力するじゃろうて」

「なら私はこの後百鬼夜行復活の緊急会見を行おう。外出禁止までは行かぬが、五十年ぶりに百鬼警報を出し奴ら動向を随時国民に知らせよう」

「国内外の情勢についての仔細は政治家同士で決めるがいい。三権分立の外に陰陽寮がいることを忘れるなよ」

「わかっている。だが有事の際は軍部との協力を要請するが頼むぞ?」

「逆だ。百鬼相手に兵士など餌にすぎん。戦闘はこちらに任せてお前たちは全て補佐にまわれ」

「道満殿、そういう態度は要らぬ反発を軍部から招く…」

「くはははは! ならその時は軍部の誇る一個大隊でも俺一人で潰して見せればこちらのいうことを聞くだろう。何、まだ二百年前の大戦の被害を覚えているものは上層部に多い。妖被害となればこちらに協力せざるを得ないのは十分骨身に染みているだろうて。──なあ、玉藻?」


人を食うような笑みを浮かべ玉藻に話題を振る道満。


「……ふん」


玉藻はつまらなさそうにそっぽを向き、どうやらこれ以上この話題について語る事はないようだ。


「しかし百鬼夜行か。歴史を紐解けば、人間同士の争いに乗じて人を滅ぼそうとした事例は数多く残っているが何故この時期に……今この国は内乱も戦争も起こる気配はないんだが」

「奴らの考えは解らんが、のだろうな」

「自信?」

「今この国にはオレも含め天帝陛下、ここにいる玉藻、過去の百鬼夜行なら調伏できるだけの猛者たちが揃っている。それに俺たちに及ばぬながらも優秀な陰陽師も多い。無論、奴らもそれくらいの情報は得ているだろうが、この時期に姿を表したとなると……余程、自信があるのではないかな」


人智を超えた化物による未曾有の危機ですら、豪快に笑い飛ばしていた道満の神妙な面持ちに、大倉は最悪のケースを思い浮かべてしまう。


「それは、つまり玉藻様や道満殿だけで無く陛下にすら勝てる化け物が生まれたという事か!?」


大倉の焦りを含んだ問いに、道満は無言で返す。


「……貴方たちが太刀打ちできなければ、どう足掻いても終わる……先の戦争もそうだった。この世には決して触れてはならない化物がいる。カムイ様の御技を引き継ぐ者たちに縋るしかない」

「ほう! 其方はカムイの神話が史実だと信じるのか?」


今まで黙っていた玉藻が嬉しそうに大倉に尋ねる。


「そうですね、これでも信心深い方なので。それに、神を見た事はありませんが、神かと疑うような化物の存在は総理にもなれば嫌でも耳に入ります。それが未だ現存していることも……神秘が今よりはるかに深かった二千年以上前ならばより恐ろしい化物も数多くいたでしょう。その中で人間が繁栄していくなど不可能なのではと、現実的に考えてしまうのですよ」

「左様か左様か……くふふふふ、そうじゃの其方らはカムイ様の御技によって今があるのじゃ。努努、感謝する事じゃな」

「なんだ玉藻、お前もしかしてカムイに会った事があるのか?」


道満は興味深そうに玉藻に尋ねる。

余分な一言を添えて。


「お前一体何千歳なんだ」

「たわけ! 妾はまだ三百もいっとらんわい!!」


牙を剥いて若さアピールをする玉藻に、いや十分だろうと道満は思うが決して口には出さない。

陰陽寮のトップ、それも稀代の天才陰陽師ともなれば、それなりに陰陽術の真理にも近くなる。

神話ではカムイが人間のために残したのが陰陽術とされているが、そうとしか思えないような体験もそれなりにしてきた。天帝が保管する古書『占事略决』には陰陽術の根幹、カムイの残した何かがあると噂されている。

だがそれでも道満は神話を尊ぶ感傷を持ち合わせていない。

この国の人々を守るため、先を見据え全てを己が力に変え今を進んで行くしかないからだ。

それが陰陽寮の筆頭に課された責務と自負するが故。


「さて話を変えよう玉藻。せっかくお前と会ったのだ、少し話がしたい。……実はある怪異の噂が俺の耳にも届いている。率直に聞こう、はぐれはどこまで関与しているのだ?」

「ああ、例の旅館の件かの?」

「そうだ。起きていい怪異などないが、他よりも優先せなばならんのでな。あそこは特に場所が悪い、育つ前に狩らねば……それに百鬼夜行が目撃されたのは確かそこの付近であろう?」

「わかっておる。安心せい、ちゃんと腕利きを派遣しておる。くふふふふ」

「女狐め、何をニヤニヤ笑っておる……ならばこちらからも派遣して共同で事にあたらせよう」

「よかろう。丁度はぐれが一人、百鬼に喰われてしもうたからの。……くふふふ、お主が直接行っても面白いのじゃが」


怪しく告げる玉藻に、道満は少し苛立つ。


「それが一番手っ取り早いが、俺はこれでも忙しくてな。全く、何を企んでおるのやら」

「ちょっとまった、旅館とは? 何か百鬼夜行と関係が?」


聞き捨てならないと大倉が尋ねる。


「ふむ、わからんというのが答えじゃ。百鬼ならば遠回しなことをせずとも、そのまま街を襲うなりなんなりすればいいのじゃが……」

「そうだな、あれは備えたところでどうにもならん。俺か玉藻のいる所にでも出てくれれば、すぐさま滅ぼすのだがな」

「確かにお主なら五十年前の百鬼夜行なら滅ぼせるじゃろう。だがそれは、あくまで当時の百鬼の話。此度の百鬼の主はまだ妾ですら全く情報を掴めておらぬ。あまり自信過剰にはならぬ事じゃ」

「百鬼夜行はその主人によって強さが変わるのであったな。くっはははは! どれほどの実力者なのか楽しみというものよ!」

「奴によると百鬼の主人と思わしきモノは一見、人に見える白髪の男としか報告はなかったのう」

「そういえば百鬼から生き残ったはぐれがいると言っていたな。今回の一報はその者からと聞いたが、よく生き残れたものだな」

「本人曰く、式符を駆使して隠れ潜んだとのことじゃ」

「ほう? 百鬼夜行をやり過ごすとはなかなかの実力者ではないか」

「それはそうじゃ。何せ無明じゃからの」


玉藻が薄く笑みを浮かべながらその名を道満に告げる。


「────ああ、そうか。奴が──」


道満は面を食らったかのように呆けると、一人呟いた。

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