#019 塗りかえられる国境⑤

「えっと、こうですか?」

「ダメダメ! ちょっと貸して!!」

「あ、はい」


 リアス砦内にある厨房で、騎士のリザが呆然と立ち尽くす。


「シロナお姉ちゃん。沸騰したよ~」

「それじゃあ、そっちは弱火にしてジックリ煮込んでちょうだい。あと、定期的に鍋を確認して、アク取りもしてね!」

「は~ぃ」


 王宮でもなかなか見られない高度な調理に、なんとか着いていくのは半獣人のリエル。彼女は牛系の半獣人であり、その影響で高い腕力と持久力、そして何より草食動物由来の繊細な味覚をもっている。代わりに素早い動きや判断は苦手だが、半獣人化した影響か肉類も(好きではないが)食べられるようになった。


「あの、すでに煮え立っているのに、まだ煮るんですか?」

「沸騰しているのは水分だけで、骨の芯の部分はまだまだだからね」

「はぁ……」


 作っているのは鶏がらスープ。本来は廃棄される様な部位に青ネギとショウガを加えて長時間煮込んで作られるスープで、様々な料理に合わせて使える汎用性と(骨系スープの中では)比較的簡単に短期間で作れる上に応用範囲が広いのが魅力だ。


 シロナは、仕入れた食材をそのまま食すだけでなく、様々な加工技術をリエルに教えた。


「お城とかでも、こんな感じのスープ作りはやらないんですか?」

「どうでしょう? 軽く除いた経験はありますが……慌ただしいばかりで」

「あぁ、振舞う規模が違いますもんね」


 この世界にも骨からダシをとる概念は存在する。しかしそれは、宮廷料理レベルの話であり、一般的には例えば3日間スジ肉を煮込む、なんて手間暇のかかる調理はしないし、存在すら知られていない。


「リエル、ここはお願い。私はお店の様子を見てくるわ」

「は~ぃ」


 おっとりとしたリエルの声が響く。獣人系の特徴の1つに『種族や個人で得意不得意が明確に分かれている』と言うものがある。リエルは、速さが求められるような料理は殆どできないが、仕込みに関しては1日で基本を覚え、極短期間でシロナの留守を任せられるまでに成長した。残念ながら他の仕事は壊滅的だが、好奇心から突然予想外の何かに失敗する事も無いので、かえって留守を任せやすい一面もあった。





「あ! シロナお姉様、お疲れさまです!!」

「うん、ノアもお疲れさま」


 参道を下り、街の近くまでやって来ると、犬系半獣人のノアが(仕事を一時止めて)シロナのもとに駆け寄ってきた。


「今、仕入れの人たちが帰ってきて、商品を選別していたところなんです!」

「そっか。とりあえず、屋台おみせで話そうか」

「はい!」


 犬系は狼系の派生で、知能と社会性が高く、戦闘能力や身体能力が低い傾向にある。なにより従順で、異種族であっても"主"を裏切らないことから、人族と共存に適しており、権力者が秘密裏に側仕えとして抱え込んでいるケースも存在するようだ。


「あぁボス! ちょうどイイところに。見てください、これだけ仕入れられました」

「また、増えたわね……。この調子だと、輸送部隊の増員を急がなくちゃね」


 屋台の裏にある仮倉庫には、周辺の農村から買い付けられた作物が大量に積み上げられている。これは、街で消費される量と比べれば遥かに少ないが、少数であるシロナ陣営の胃袋を満たすには"過剰"と言える量だ。


「うぅ、例の村だけならまだしも、これだけ獣人かれらと取引する者が現れようとは……」

「ははは、まぁ、問題なのは売る側じゃなく、"買う側"ですよ」

「そう、ですね」


 実際のところ国は『農民はシロナたちに作物を一切販売しない』とは考えていない。そこは値段次第であり、偏見があっても生活が苦しいものは金額に釣られて折れるであろうと予測していた。しかしシロナ陣営は少数であり、食糧を殆ど自給できるので、(短期的な需要の変動用の)補充あるいは嗜好品程度の買い付けであると予測した。それに何より、保有している貨幣的に高価買い取りには限界がある、はずであった。


 しかし、シロナ陣営の資金がつきる事は無かった。なぜならシロナは、仕入れた食材の加工・販売をおこない、僅かではあるが利益を出していたからだ。


「お~ぃ、串焼きをくれ」

「こっちはスジ煮を頼む」

「はぁ~ぃ」


 食材は料理となり、屋台で冒険者などに向けて販売された。当初の売れ行きはそこまででは無かったが、好奇心の強い冒険者は比較的抵抗が少なく、味の評判は瞬く間に広がった。


 しかし、シロナや半獣人から食べ物を買うのは抵抗があり、なにより"世間体"がある。街に暮らす人や商人は、大っぴらに屋台を利用する事は無かった。国や街の役人は、その光景を見て安堵し、シロナ陣営の資金が尽きるのは時間の問題と考えた。


「おぃ、"いつもの"を売ってくれ。この鞄に入るだけだ」

「はぁ~ぃ。鶏とオニオンですね」


 フードで顔を隠した商人が、屋台の裏から顔をだし、瓶詰の粉末や液体を買っていく。この瓶詰は、シロナが作った各種調味料やダシ粉であり、街の料理人が秘密裏に仕入れに来ているのだ。


 この調味料は、一匙入れるだけで料理の味を格段に向上してくれる。これが有ると無いとでは売り上げに大きな差が生まれ、どこの料理店も毎日のように手荷物に忍ばせられる量を、秘密裏に買いに来るようになった。


「あぁ~、やっぱりココのメシが1番美味いよな」

「だな。最近、街のメシは高くなってきているし、安いままなのは助かるぜ」


 冒険者たちが料理を囲み、屋台の料理に舌鼓をうつ。彼らは当初こそ12宮に挑戦していたが、今では挑戦を諦め、わざわざ食事のためだけに、この場に集まっている。


 なぜかと言えば、味もそうだが、街の料理全般の価格が高騰している事が上げられる。その理由は、もちろんシロナの買い付けだ。通常の買い付け価格の5~10倍を提示されれば、生活が苦しい農民はこぞってシロナに収穫物を売るようになる。


 それまでの買い付けは、"買付商人"に足元を見られる形で、売ってもほとんど利益の出ないアンフェアの取引であった。そして買付商人はその分の利益を懐に入れ、更に街(関税)や商会(卸し)、そして販売店が利益のために価格を雪だるま式に増加させていく。つまり、買い取り価格が10倍になっても中抜きが無いなら同等の価格で販売出来るわけだ。なおかつ買付商人の立場が弱くなったことにより、仕入れ値は急増。入れ替わりが早い生鮮食料の売価は2倍以上に跳ね上がり、更に増加傾向にある。


「それで、ココだけの話なんだけどよぉ……」

「なんだよ、藪から棒に」


 冒険者が小声で耳打ちする。その内容は『冒険者の手荷物を利用して販売店に食材を届ける』と言うもの。もともと冒険者はクエストの関係で非課税の持ち込み枠を持っており(卸しレベルの取引には使えないが)これを利用して小規模店舗相手に手間賃を稼ぐ金策だ。普段の取引価格なら利益は見込めないだろうが、食品の価格が高騰を続けている現状では無視できないビジネスになり始めている。


 因みに冒険者たちは、すぐ近くにいる麦わら帽子の少女と鎧を纏う女戦士が、亜人組織のトップと、正規の騎士である事実は……知らないのである。


「はぁ~~、御上になんと報告したらいいものか……」

「いいんじゃないですか? もともとリアスは"シッポ切り"するつもりだったんでしょ?」

「その通り、なんですけどね……」


 冒険者の話を聞き流しながら2人が次の展開に思いをはせる。現在は停戦中であり、武力衝突は出来ない。しかし、国が戦力を整えている間、シロナは実質的にリアス近郊を支配していた。もちろん、政治的な支配権は無いが、シロナを支持する農民の生活は劇的に向上しており、反対派の立場は地に落ちつつある。商会およびリアスの街も収入が劇的に減っており、今後の経営について危機感を募らせていた。


 今後は、多くの商会が経営の見直しとリアス撤退に踏み切り、村や街が政治的にもシロナたちを無視できなくなる。もちろん、街も何らかの対策は講じるだろうが……そもそもシロナたちを法律で縛る事は出来ず、本人や関連する規制を新設すれば停戦協定に抵触する可能性が出てくる。加えて、秘密裏に暗殺しようにも、それが可能な相手ではないときている。




 こうしてシロナ陣営は、血を流すことなくリアスを手中に治めた。

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