第3話 虚無

 私のところに虚無が来た。外は大雨。虚無は濡れていた。

 洗面所へ連れていき、バスタオルで拭いてやる。短くて艶々した子供のような髪。肌が冷たい。

 適当に着るものを見繕って、着せてやる。私の服は、虚無には少し大きいらしい。袖の中にすっぽり隠れた手を、虚無は不思議そうに空中に振り回す。袖を折って捲ってやる。

 私のベッドを貸してやったが、虚無は恐がって私の腰にしがみつき、離れようとしない。大丈夫だよと言い聞かせても、虚無は震えてしがみついたまま。仕方がないので一緒に眠る。

 濃淡のない真っ平らな闇。私はどこにいるのだろう。虚無とは一体何だろう。子供のように横たわる虚無の頭を撫でて、私は思う。虚無は熱い呼吸をして眠っている。

 いつもそうだった。私のそばには虚無がいた。それ以外のものはいなかった。つらいときも苦しいときも、そばにいてくれたのは虚無だった。私の心を満たしていた。泣きたいくらいいっぱいだった。いつだったか、もう君と一緒にはいられないんだよと言ったことがあった。虚無は私にしがみついて離れなかった。もうバイバイなんだよ。そう言い聞かせても駄目だった。ベッドに寝かせて一晩待つしかなかった。

 突然虚無が腕を突き上げて、肘窩を掻き始めた。布団を被って体が暖まり、皮膚が痒くなったらしかった。爪を立てて、部屋中に響く音で、がりがりがりがり夢中で掻きむしっている。このまま掻き続けていると、皮膚が破けてしまう。

 私は起き上がって軟膏を取り、虚無の腕を膝の上に置いた。引っ掻き傷が幾筋も残って赤くなっている。幸い、皮膚は破けていない。軟膏を塗ってやった。少し染みたのか、虚無は腕を振った。

 雨音が聞こえる。どうしてこんなに優しい音なのだろう。分からない。

 私は疲れたのだろうか。心が空っぽだ。なんにもない。何かあったはずなのに、何もなくなっている。

 私は誰だ? 誰なのだ? どこにいればいいのだ? 分からない。

 言葉がナイフになって、誰かの心へ飛んでいく。私は黙るしかない。

 虚無の頭を撫でる。虚無は眠る。安心しきって眠っている。涙が出た。

 布団に潜る。虚無の寝息が聞こえる。

 私のそばにいるのはただ一つ、虚無だけだった。

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