第58話 学者志望

 セントパンクロス大学校司書専攻の学生は大人しい人が多い。年配者もちらほらいることもあるが、若い子も物静かだった。講義中は黒板に書かれた内容を黙々とノートに写すペンの音が響き渡る。

 その中でやや毛色が違ったのはフェルナン・デュメリーだった。彼は積極的に手を挙げ、講義後に質問に来るほどの熱心さ。かつて王立中央図書館で勤めていたフェルナンにとってカウリングやペンフィールドは後輩に当たるが、先生と呼んで敬語を使っていた。そんなフェルナンがある日いつものように講義後教授室にやってくると、自身が講義で生じた質問をし始めた。そしてひとしきり話すと何か思い出したようにパンッと両手を合わせる。


「そうだ先生方、実は図書館学の研究をしようと思ってるんですよ」


 フェルナンの宣言に教授室にいた楓、カウリング、ペンフィールドの3人は揃ってフェルナンに拍手を送る。対して思わぬ歓迎にフェルナンは困惑していた。


「え?」

「そういう人を待っていました」

「ぜひ頑張ってください」

「手伝えることはなんでも言ってくださいね」


 期待の目で見る3人にさらに困惑しながらも、手伝うとまで言ってもらえるのは正直嬉しかった。

 嫌そうではないフェルナンを見て、楓はさらに提案する。


「そのまま教授になりませんか」

「教授?私がですか?」


 今楓たち3人は本業の合間にボランティアで講義をこなしている。現実問題もう1人自分が欲しくなる程忙しいわけで、3人は専門で教えてくれる人材を探していた。それに、いつまでも外部講師ばかりで教えているような状況を続ける訳にもいかない。


「実は図書館と兼務で講師をしているので、なかなか大変でして。それに私たちはあくまで外部講師なので、それもずっとと言うわけにはいきません」

「いずれは常駐が必要ということですか」

「ええ。そうすれば科目を増やす必要が出たときに対応ができるようになるんですけどね」


 国全体の司書が正司書の資格を取り研修会が行われるようになった今、すでに司書の間では発展したサービスを実践しようとする人が出始めている。このままいけば司書専攻に新たな科目を増やす必要性が出てくるのは時間の問題だった。

 しかし、ただでさえ3人は兼務しながらなんとか講義をこなしているのに、これ以上科目を増やすのは不可能な状態。すぐにとはいかなくともできるだけ早く人材を確保したかった。


「教授職は興味ないですか?」


 折角現れた人材を逃すまいと楓はひとまず軽く探りを入れる。


「研究をするようになればそういう道もあるとは思っていましたが、てっきり私のような年齢のものは無縁の世界だと・・・。しかし新しい学問ならできなくもないわけですね」


 定年を迎えるにはまだ早いものの、フェルナンは決して若いとは言えない年齢。今から教授を目指そうなんて途方もないこと考えてもなかった。

 考えてなかったと言いつつもあり得ないと否定しないフェルナンに若干の手応えを感じた楓は、さらに畳みかける。


「給料も決して悪くありませんし」

「給料・・・」


 セントパンクロス大学校における教授職の安定性は有名であり、狭き門となっていた。給料良し、福利厚生有りとなれば一度なればなかなか退職しないほど。

 経歴からフェルナンが最近まで介護をしていたことを楓は知っていた。貯金も使って生活をしていただろうことは想像にかたくない。


「それにまだ研究者がいない分野ですからできることはたくさんあります。研究の競合もありません」


 それは図書館の研究をしたいと思うフェルナンにとっては僥倖だった。

 ところが、「ただし、」と楓は続ける。


「その代わり本当に1からとなりますから、あまり仲間がいないという点や図書館学そのものが理解されるのに時間がかかるというデメリットもあります」


 この国に図書館ができてまだ50余年。未だ図書館という場所を理解していないという人もいる。その上研究となると、同じ研究職であっても説明したところで「なんだそれ」はありえる。


「まあその点はなんとかなりますよ。母の介護をする私に心ないことを言う人だっていたのですから、もう慣れっこです」


 親の介護は嫁、娘がするものというのが世間の一般的な考え方だ。フェルナンが図書館を辞める時親戚から相当引き止められた。

 結局フェルナンの家は兄嫁や兄は介護をしたがらず引き止めた親戚も代わってはくれない。他に介護者がいなかったためフェルナンが介護を担うことになったが、一般的ではない選択をしたフェルナンに親戚や一部の友人の目は冷ややかだった。そんな目に何年も晒されれば嫌でも慣れるというもの。実の所慣れるというのは適切ではないかもしれないが、少なくともフェルナンにとって恐れる要因にはならなかった。


「嫌なことを思い出させてしまってすみません」

「謝るようなことではありません。もう過ぎたことです。それに、真に付き合うべき相手が振り分けられたと思っています」


 物腰の柔らかい雰囲気に反し案外フェルナンはドライだ。仕方がないことに文句をいう人間とは付き合わないと決めていた。


「教授、目指してみましょうかね」


 こうして心を決めたフェルナンは3人から握手を求められ再び困惑することとなる。

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