第16話 大仕事と人違い

 今日はある契約を結ぶために財務担当者との打ち合わせが予定されていて、いつになく緊張していた。

 当初緑の月に入ったら修理本の修理を始める予定でいたのだが、修理の難易度毎に本を仕分けてみたら、重度の本、つまり一度バラさないと直せないような本がかなりあることに気づいたのだ。そこで考えたのが製本会社との委託契約だ。

 先日出会った製本会社の社員に相談したところ、本を作るプロならばバラしを含む修理は可能だ。それをレオンに相談したら、今ならまだ予算をねじ込めるというので補正予算案を作り提出した。ところが、不採用で返ってきたので、直談判ということになったのだ。楓だけでは話すら聞いてくれないかもしれないので、文書管理担当からケネスも付いてきてもらった。

 ケネスが財務担当を訪ねるととりあえず話だけは聞いてくれることになった。ライオネル・モートン侯爵、仕事においては切れ者と噂の35歳のナイスミドルだ。

 予算決定するまでの間、財務担当は普段いるデスクから引越して個室に篭りきりになる。奥まで入るわけにいかないので入り口近くで話すことになった。


「予算はだいたい決まってるからもう変更は難しいぞ」

「まあまあ、とりあえず話は聞いてくださいよ」


 やはり、モートン侯爵はあんまり乗り気ではない。本当にギリギリに提出してしまったの申し訳ないが、これは今年通してもらわないといけないものだった。


「先日の補正予算案で事業内容やそれにかかる費用については提出させていただいたんですが、なかなかそれだけではこの事業の必要性が伝わりにくかったかと思いましたので、今回は故障本修理の委託事業を今回の補正予算案で付けてもらわないといけない理由についてお話しさせていただきます」

「付けなければならない?」

「今回資料には補修対象の9割は公文書と言う風に記載させて頂きました。実は、その内のほとんどは10年前の建国60周年記念行事に関する公文書でした。そして、来年は70周年の記念行事がある年ではありませんか?しかも、公文書の保存期限は5年です」


 そう、この国では建国記念行事を10年毎に行っていた。来年も行われるはずで、その参考資料となるのは10年前の資料のはずだ。各部署に資料残してないのかとも思うが、図書館に資料があることが前提として各部署の文書管理期限が最大5年なので、廃棄している部署の方が多い。予算の提出が遅れたのはそれを各部署に調査していたためだった。そのことも合わせて伝えると、自分のとこも廃棄したことを思い出したのか慌てふためいた。


「なにっ!それは今年に直さないと資料として使えねえじゃねえか」

「ええ。しかもそれを私が1人で修理することは不可能です。優先して修理したとしても、頑張っても2年くらいはかかります」

「それが委託すれば解消されるということだな」

「はい。それに、購入すれば100万セントかかるところを、製本会社の見積もりによれば月5万セントでおよそ半年かかりますから、かなり予算的にも助かるはずです。いずれにしても再来年度つけば間に合うような案件ではないということは理解していただけましたでしょうか」


 手のひらで目を覆い、諦めたように頷いた。


「なんとか予算をつけられるよう努力しよう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「これっきりにしてくれよな。今度はちゃんと予算案に間に合うようにしてくれよ」


 その点に関してはたしかにこちらの分が悪い。


「その点に関しては文書管理担当として謝罪します。図書館の管理が出来ていなかったために、図書館の状態を把握することに時間かかり、今回の提出の遅れにつながってしまいました」

「まあ、たしかにこの件についてはお嬢ちゃんはよく気づいたというべきかもしれないな」

「恐れ入ります」

「今後は気をつけます」

「おう」


 楓はケネスに目配せをすると、2人は部屋を退室した。


「俺いなくてもよかったんじゃない?」

「いやいや、私1人で来てたら話すら聞いてもらえませんでしたよ」


 一仕事終わった安堵感で楓とケネスからは笑みが溢れていた。図書館に帰るため少し行った先の角を曲がると、廊下ではちょっとした騒ぎが起きていた。さっき話していたモートン卿も騒ぎを聞いて顔を出す。


「なんかあったのか?」

「私たちも今気づいて・・・」

「とりあえず行ってみようか」


 3人で騒ぎの中心へ向かうと、あのシャルロット嬢が泣きながら何かを訴えていた。ケネスが野次馬に事情を聞くと、ついさっき上の階から花瓶が落ちてすぐ下にいたシャルロット嬢に当たりそうになったのだという。彼女は何者かが花瓶を落とすのを見たといい、それがなんと、


「カエデという女性らしいんだが」

「「「え!?」」」


 ケネスとモートン卿はいっせいに楓を見たが、よくよく考えるとたった今までモートン卿と打ち合わせをしていた楓に出来る訳もなく、3人は困惑した。

 そこに野次馬の中に楓がいることに気がついたシャルロットがこちらを指差して叫ぶ。


「あの!あの女です!」


 ヨヨヨヨヨと崩れ落ちると辺りの人間の目線がいっせいに楓に向いた。完全に犯人を見る目だ。


「花瓶が落とされたというのは一体いつのことだい?」


 ケネスが優しく問いかけると味方を見つけたと思ったのか、ケネスにグイッとよると訴えはじめた。


「ついさっきのことです。この廊下を歩いていたら上の階から花瓶が落ちてきて、とても怖かったですわ!どこから落ちてきたのかと思ったら女が、その女が立ち去ったのを見たのです!」

「つまり、ついさっき、上の階からこの女性と思われる人物が立ち去ったということだね?」

「そうです!どうかその女を捕まえて!」


 ケネスが要点を確認するように繰り返すと、信じてくれていると思ったのか祈るように手を組み、必死で訴えかける。


「でも、それはあり得ない」

「え・・・!?」


 味方ができて期待を持っていたシャルロットは愕然とした。しかし明確にあり得ないなんて言えるはずないと思い直しさらに訴える。


「なぜそんなことが言えますの!?わたくしは確かにその女が逃げていくのを見ましたわ。それとも、彼女がやっていない証拠でもありますの!?」

「ある。彼女は今さっきまで財務担当で打ち合わせをしていた。そのことについては財務担当の担当者や部屋にいた他の人間にも証言が出来る」

「で、でも・・・」


 まだイケると思っているのか目元を潤ませて情に訴えようとする。でも、ケネスには全く効かなかった。


「そしてもう一つ、ついさっき財務担当との打ち合わせを終えて部屋を出てきたが、その時にはもうこの騒ぎは起きていて、財務担当の彼と一緒に3人でここまできた。つまり、上の階に行き花瓶を用意して落とすなんてこと彼女には出来ない」

「そんな・・・。あなたが庇ってるだけなんじゃありませんの!?」


 味方じゃないと判断するとコロッと態度を変え、今度はケネスに噛み付いた。それに見かねて今度はモートン侯爵が間に入った。


「そいつは庇ってるわけでもなんでもない。そいつらはさっきまでうちの部署で話してたし、2人が部屋を出た直後に騒ぎが起きたからすぐに俺も表に出て2人と合流している。部屋を出てから合流するまで1分もなかったんだから、そいつが上の階に行って花瓶落として下降りてくるなんて出来る時間の余裕はないぞ」


 アリバイの証言者が2人も出てくると自分の計算ミスにもう言い逃れができなくなってしまい、かと言って以前とは違いこの騒ぎにかなりの数の野次馬が集まってしまったことで引っ込みがつかなくなってしまった。違う意味で涙目になるシャルロットに周りの空気も同情から軽蔑へと変わっていく。事の次第を理解した者から去りはじめ、最後に残されたのはシャルロットと楓たちだけになった。


「ええっと、人違いだったって事でいいですか、ね?」

「ふ、ふん!覚えていなさい!」


 確認する楓にシャルロットは睨みを効かせ去っていった。


「またやる気ですね」

「だね」

「まあ、身の回りには気をつけることだな」


 モートン侯爵はポケットに両手を突っ込むとじゃ、と声をかけて部屋に帰っていった。その後ろ姿を見送ると、楓は一旦文書管理担当でレオンに報告をし、図書館へ帰る。図書館に着くとドッと疲れていた。

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