第494話

 何が起こってるんだろう?

 今日の放課後、唐突に栞ちゃんはANGEの脱退を言い出したの。

 追いかけようにも、驚きのせいで足が動かなくって……栞ちゃんは消え、音楽準備室にはわたしと律夏ちゃんだけが残された。

 ノートパソコンは文化祭実行委員からの連絡が表示されてたから、とりあえず、ブラスバンド部の部員としては行動できたよ。わたしと律夏ちゃんは委員会へ赴き、文化祭の舞台で演奏することを約束。

「活動が不明瞭な部活と思われてますから、しっかりお願いします」

 なんてふうに釘を刺されちゃったけどね。

 今日の練習は中止にして、わたしは下校。律夏ちゃんも帰っていった。

 お家では先に帰ったらしいパパが、夕飯の支度をしてる。

「おかえり~、響希」

「ただいま……」

 いつもなら、わたしも手伝うところ。

 でも気落ちしてるせいで、そんな気にはなれなかった。着替えもせず、お母さんのピアノのもとを訪れる。

「栞ちゃん、どうして何も話してくれないの……?」

 今夜は静まり返ってるおかげで、秋の音がよく聴こえた。スズムシが鳴いてる。

 わたしはピアノの席につき、馴染み深い鍵盤をひと撫でした。

 秋の優しくも物悲しい空気と、ピアノの音色。指一本で適当に鳴らすだけでも、曲としてひとりでにメロディーが成り立つ。

 これをちゃんと組み立てて曲にできる、栞ちゃんってすごいなあ。井上さんや雲雀さんが一目置くくらい作曲が得意で、ベースも上手で。

 だけど――わたしは決して作曲家が欲しいわけじゃなかった。

 ベーシストが欲しいわけでもない。

 大羽栞という友達と一緒に演奏することが、一番、大事なんだよ。

 静かな空気の中、律夏ちゃんから電話が掛かってくる。

『大丈夫? 響希チャン』

「平気……ううん。あんまり平気じゃない、かも……」

『……だろうね。でも思い詰めちゃだめだよ』

 律夏ちゃんの声も沈んでた。

『麗奈が今、動いてくれてるんだってさ。詠チャンから話聞いたりして』

 栞ちゃんの妹――その名前にわたしは飛びつく。

「詠ちゃん? 詠ちゃんはなんてっ?」

 一気にトーンを上げちゃったかも。

 けど、律夏ちゃんは丁寧に答えてくれた。

『具体的なことは知らないらしいよ。けど、麗奈は確かめたいことがあるとか……』

 微弱な震えを声音に含めながら。

律夏ちゃんだって焦ってるのが、伝わってくる。

『ANGEが嫌になって出てったんなら、あたしたち、何も言えないけど。そうじゃないんなら、取り戻さないといけないよね? 栞チャンのこと』

「……うん!」

 わたしも気持ちは同じだった。

 栞ちゃんを救ってあげたい。そして、また一緒にライブが演りたい。

『まあ今夜のところは休んで、さ。また明日から頑張ろうよ』

「律夏ちゃんもね。ありがと……じゃあ」

 電話を終える頃には、スズムシの気配もなりを潜めていた。

 こういう時、自分の頭が悪いのが悔しい。栞ちゃんの苦悩に勘付きもしなかった、自分の鈍さが恨めしくって、涙さえ滲む。

「……響希?」

 落ち込んでると、心配そうにパパが様子を見に来てくれた。

「何かあったのかい? いつもの元気がないぞ?」

「パパ……あのね」

 無条件で甘えられるのは、パパだけ。

 制服のスカートを握り締めながら、わたしは今日の出来事を打ち明けた。

 昨日、遊園地で栞ちゃんが豹変したことも。

「どうしちゃったのかな? 栞ちゃん。わたしじゃ……やっぱり、力になれない?」

「そんなことはないさ」

 パパは微笑むと、感慨深そうにわたしの頭を撫でた。

「響希も友達のことで、真剣に悩んだりするようになったんだね……。響希の優しい気持ちは、きっと栞ちゃんにも伝わるとも」

「……ほんと?」

「ああ、本当さ。だから本当ついでに、アドバイスをあげよう」

 不意にパパの声が弾む。

「栞ちゃんの気持ちが知りたいんだろう? だったら、栞ちゃんの作った曲を、もっと聴いてごらん。聴いてもわからないなら、響希の手で演奏してごらん」

 ……これがアドバイス?

 意味がわからないよ。でもパパは魔法でも掛けるように、わたしに囁く。

「いいかい? 響希。画家は誰だって、絵を見れば、誰が描いたかピンと来る。小説家もそうだね。読めば、誰の作品か想像がつく。たとえどこにも名前がなくても、だ」

「それが何なの?」

「音楽も然りって話さ。一端のミュージシャンなら、聴いただけで、誰が作った曲かわかるだろう? 例えば……そうだな」

 パパは天井を仰ぎつつ、妙なことを言い出した。

「ミュージック・フェスタ。あれって、全部で何曲くらい演奏されたのかな? 百か、二百か……まあ二百としようか。その二百曲を、響希は全部聴いたとする」

「うん」

「その中にまだ響希の知らない、栞ちゃんの書いた曲があったとしたら……どの曲が栞ちゃんの曲か、聴くだけで、わかると思うかい?」

 わたしは諦めの色でかぶりを振る。

「わかんないかも……」

 ところがパパは断言した。

「それは栞ちゃんへの愛が、まだまだ足らないからさ。その愛を深めたいなら、とにかく栞ちゃんの曲をもっと、もっと聴いてごらん? その先にきっと答えはある」

 栞ちゃんの想いへ近づくために、栞ちゃんの曲を。

 パパの言葉を全部信じたわけじゃない……けど、道標にはなった。

 だって、パパがわたしに嘘をついたことなんて、一度もないんだから。わたしは鍵盤に両手を添え、まずは『おはようミッドナイト』から弾いていく。

「やってみるよ、パパ。ありがとう」

「その前にお夕飯にしようか。お風呂もね」

「えへへ……そーだね」

 そして、やっと気付いたの。

 栞ちゃんが傍にいなくても、栞ちゃんの曲はいつでも弾けることに。

 ご近所さんに悪いと思いつつ、今夜はピアノを奏でる。

 これが栞ちゃんの心に繋がると信じて。


                   ☆


 翌日、わたしは学校の廊下で栞ちゃんを見つけた。

「待って、栞ちゃんっ!」

 二年生の栞ちゃんはびくっとして、こわごわと振り返る。

「響希さん……」

「週末」

 逃げられないうちに、わたしは要件を伝えた。

「今度の週末、麗奈ちゃんが答え合わせをするって。わたしはまだ、栞ちゃんの事情を知らないんだけど……麗奈ちゃんは何かに気付いたらしいの」

 でも馬鹿の自覚はあるから、カンニングペーパーで確かめる。

「えぇと……スピカの持ち主を突き止める、って」

 一瞬、栞ちゃんの表情に波が走った。

「そうですか」

 動揺しながらも、わたしは栞ちゃんを引き留める。

「だから、その……栞ちゃんにも来て欲しいんだけど。場所は先月、GREATESSがサイン会したところ。あそこでまた、詠ちゃんがイベントやるらしいから」

「前回は私、行ってませんよ」

「う、うん。その分も兼ねて、詠ちゃんがね」

 栞ちゃんは溜息をつくと、渋々と頷いた。

「……わかりました。あとで詠に文句を言われても、あれですし」

「ありがとう! 絶対に来てね!」

 わたしは両手を合わせてお礼にしつつ、早足で踵を返す。


 そんな響希さんの背中を見送りながら……私はこれが最後、と腹を括った。

 仮に響希さんたちが『あの事件』を解明したところで、どうなるわけでもない。私は今後も生きてる限り、『ソラのスピカ』に怯えなくてはならないのよ。

 これが私、大羽栞に掛けられた呪い。

 その呪いと決別する手段は、音楽を捨てることだけ。

 だから、これを最後にするの。

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