第489話

 栞ちゃんの、突然の逃亡――。

 遊園地の入場ゲートを見上げ、わたしたちは呆然と立ち竦む。

「急にどうしちゃったのかしら、栞さん……」

「様子が変なんてこと、なかったよね? さっきまで」

 麗奈ちゃんも律夏ちゃんも信じられないといった顔つきで、声を上擦らせた。

 環ちゃんが懸命に栞ちゃんをフォローする。

「あの栞先輩が、仕事が嫌で逃げるはずありません! きっと何か事情があって……速見坂先輩、誤解しないであげてください」

「当然よ。栞さんが逃げたことなんて、一度たりともなかったもの」

 そうなんだよ。本番を直前に栞ちゃんは毎度のようにテンパるけど、実際に逃げたことはない。それだけ責任感の強い、自慢の先輩だから。

 今日のコスプレ企画だって、最後までやり遂げてくれたよ。

 だからこそ、逃げた理由がわからなかった。

 いつの間にか『ソラのスピカ』は終わり、別の曲が流れ始めてる。

「栞ちゃん、本当にどうして……」

 困惑するしかないわたしの傍ら、律夏ちゃんは腕組みのポーズで考え込んだ。

「ひょっとしたら……あいつ」

 あいつ――栞ちゃんのことをそう呼ぶわけがないから、これはまったく別の人物。

「誰のこと?」

「響希チャンと麗奈も憶えてるでしょ。詠チャンに絡んできた、あの男」

 麗奈ちゃんは眉を顰め、環ちゃんは顔色を変える。

「詠さんが栞さんと間違えられたかもしれないっていう、あれね」

「な、なんですか? それ……初耳です」

 GREATESSのサイン会が終わって、みんなでお喋りしてた時のことだった。中年の男性がいきなり飛び出してきて、詠ちゃんに迫ったの。

『もう一回、俺とやりなおそう! なっ?』

 ただ、それ以上のことはわからなかった。このひとが栞ちゃんとどういう関係なのか、そして今しがた、なぜ栞ちゃんは逃げ出したのか。

 とりあえずゲートを抜け、とぼとぼと遊園地をあとにする。

 駐車場ではプロデューサーが待っていた。

「お疲れー。……ん、どうした? お前ら。遊園地の帰りってカオじゃねえぞ」

「雲雀さん、実は――」

 事情を話すと、雲雀さんは眼鏡越しに眉根を寄せる。

「大羽が逃げた……。遊園地を出る時、何か変わったことはあったか?」

 わたしたちは顔を見合わせつつ、溜息を重ねた。

「いいえ。イベントが終わるまでは、いつもの栞ちゃんでした」

「今日のイベントで大羽の知り合いが来た、とか」

「それは麗奈の話だね。あの時も、栞チャンのツッコミは冴えてたし……」

 理由は誰にもわからない。それが悔しい。

 栞ちゃんの友達のつもりでいて、バンドだって一緒にやってるのに。わたしは栞ちゃんのこと、何も知らないんだ……って。

 いずれ時間が解決してくれる、栞ちゃんとの距離が縮まる――と、勝手に楽観視してる部分もあったの。けど栞ちゃんにとっては、そうじゃなかったんだよね。

 力になりたくっても、何ひとつしてあげられない。

 雲雀さんが車のドアを開く。

「とにかく乗れ。お前たちは予定通り、ケイウォルス学園と文化祭の打ち合わせな。私はVCプロに戻って、社長に報告ついでに、大羽のことを調べてみる」

「それでお願いします。さあ、響希」

「うん……」

 不安を抱きつつ、わたしたちは雲雀さんの車で次のお仕事へ。

「文化祭の話だし、私がいなくても大丈夫だろ。じゃあな」

 わたしたちをレストランの前で降ろすと、雲雀さんはまた車道へ戻っていった。

 沈痛な雰囲気を払拭しようと、律夏ちゃんがあえて明るく振る舞う。

「ひとまず栞ちゃんのことは雲雀さんに任せて、さ。ご馳走してくれるっていうし、切り替えていこうよ。麗奈も、環チャンも」

「そうね。栞さんとは、また練習で会えるんだもの」

「行くわよ、響希ぃ~」

 いつまでもわたしだけ、俯いてもいられないか。

 と思って顔をあげ、わたしは目を点にした。

「え? 会合って……ここで?」

 レストランなのはわかるよ。窓際の席でお客さんがお食事してるの、見えるもん。

 ただし一般庶民が週末に訪れるような、外食系のチェーンじゃなかった。何とも格式の高い、ゴージャスで煌びやかなレストランだったの。

 入店する前から気後れしちゃって、身体がガチガチになる。

「こ、ここに入るの? ほんとーに?」

 環ちゃんも怖気付き、そろそろとあとずさった。

「雲雀さんがお店を間違えたんじゃない? ねえ、律夏?」

「あるね、それ。念のため、レストランの名前で確認しとこうか」

 律夏ちゃんがケータイでスケジュール帳を開き、目の前の店名を照合する。

「……合ってる。合ってるよ」

 雲雀さんのミスという線は消えてしまった。

 麗奈ちゃんが洋服の裾を摘む。

「こんな普段着で入店できるのかしら?」

「み、みんな……『死なばもろとも』だよっ。行こう!」

「『死ぬ時は一緒』ね」

 それでも意を決し、わたしたちは高級レストランへ足を踏み入れた。

「ね、ねえ? なんでわたしが一番前なのかな?」

「そりゃあ響希チャンはリーダーだし」

 電車ごっこの隊列で、真っ赤な絨毯の上を遠慮がちに進む。

 さながら執事のようなウェイターが、挙動不審のわたしたちを律儀に迎えてくれた。

「いらっしゃいませ、可憐なお嬢様がた。ご予約のお客様でしょうか」

 か、可憐……。いつぞやのメイド喫茶は茶番に過ぎなかったのを、痛感する。

「ええっ、えぇと! わたしたち、VCプロの……いえ、コートナーさんのご招待を受けて、来たんですけど」

「ANGEのかたがたですね。承っております、どうぞ」

 辛くも入場はパス。先頭にしてリーダーの面目躍如にはなったかな。

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