第433話
勇ましいはずの麗奈ちゃんは後ろに下がり、わたしを前に押し出そうとした。
「ひっ、響希? あなたが開けて」
「ええっ? そんなあ……」
立場は逆転、麗奈ちゃんの手がわたしのシャツをぎゅっと掴む。
「わ、わかるでしょ? 怖いの! 怖がって悪いっ?」
「それは悪くないけど、友達を盾にするのは……ちょっ、お、押さないでってば」
もちろん、わたしにだって余裕はないよ。麗奈ちゃんを守ってあげなくちゃと思うのと同じくらい、逃げたいとも思ってる。
しかしここまで来て、引き返すわけにもいかなかった。ユーレイじゃない、という現実を確かめて安心しないことには、眠れそうにないから。
覚悟を決め、扉を開く。
同時に部屋の中から眩しい光が溢れ、わたしたちは一瞬、目を眩ませた。
「……え?」
それでもわたしは前を向き、ユーレイの正体に唖然とする。
ひとりの女性が一心不乱にキーボードを弾いてたの。歳は二十代の半ば……かな。演奏は荒々しいようでも、ミスのひとつさえない。
その反面、歌は酷かった。ガラ声で音程も狂いっ放し。
足元にはビールの空き缶がいくつか転がってる。彼女はわたしたちに気付くと、手を止め、ハーフグラスの眼鏡越しに切れ長の瞳をぎろっと光らせた。
「……あぁ? なんだ、お前ら」
それはこっちの台詞なんだけど……。
わたしも麗奈ちゃんも絶句するほかなかった。
そこへ月島さんが駆け込んでくる。
「歌うのはやめてください、巽先輩! みんな寝てるんですから……あら?」
同じ眼鏡でも優等生風の月島さんは、わたしたちを見つけ、きょとんとした。
お酒に酔ってるらしい先輩の女性は、子どもみたいに口を尖らせる。
「いいだろー? 睡眠学習らよ、睡眠学習」
「んもう……弱いのに飲むから」
何が何やら。
しばらくして、彼女は月島さんの持ってきたお茶で一息。
「あ~やばい。飲みすぎたかな、これ」
ようやく月島さんはわたしたちのほうへ振り向き、事情を話し始めた。
「ごめんなさい、響希さん、麗奈さん。こんな真夜中に……」
「あ、いえ……このかたは?」
「こちらはVCプロの音楽系プロデューサー、巽雲雀(たつみひばり)さんです」
巽雲雀。彼女は余所からVCプロへ移籍してきた、凄腕のプロデューサーなんだって。これまた難しい字を書くひとだなあ。
「雲雀でいいぞ、女子高生」
「はあ……」
雲雀さんは音楽全般のプロデューサーだけあって、音楽が好き。
でもアパートのお部屋じゃ爆音で音楽鑑賞とはいかないから、このスタジオに潜り込んでは、好き放題してる……とのことだった。
キーボードは81鍵盤で横に長く、色んな名曲をカバーできるもの。VCプロの倉庫にあったのを、勝手に引っ張り出してきたんだとか。
当然、社会人のやることじゃない。
「社長が見て見ぬふりしてくれてるとはいえ、自重してくださいってば」
入社一年目の月島さんも半ば呆れ、釘を刺そうとする。
雲雀さんはけらけらと笑った。
「こーやって感性を養ってるんだよ。ねえ? 女子高生。アルバム聴き始めたら、止まんなくなって、いつの間にか夜が明けるってやつ……経験あるだろ?」
「いいえ。一度も……」
わたしがそう答える傍ら、麗奈ちゃんはばつが悪そうに視線を泳がせる。
「その……じ、自己管理は心掛けてますので」
「今時の女子高生は真面目かあ?」
雲雀さんはすっかり酔っちゃってて、会話が成立しなかった。
月島さんがわたしにこそっと耳打ちする。
(巽先輩は先週、彼氏と別れたんですよ。そのせいで……)
(あ……なるほど)
この状況の原因が今、はっきりとわかった。
綺麗なひとだけど……どーなんだろ? 女子高のわたしにはぴんと来ないなあ。
やれやれといった様子で、月島さんが雲雀さんの背中をさする。
「明日はお仕事じゃないんですか? もう寝たほうが」
「有給だっれ、有給。うぅ……きぼぢわるっ」
とりあえず、真夜中のピアノの正体はユーレイじゃなかった。下手に関わっても面倒に違いないから、わたしと麗奈ちゃんはそそくさと引きさがる。
「そ、それじゃあ、わたしたちはこれで。月島さん、おやすみなさーい」
「あっ、響希さん!」
それを月島さんが呼び止めるも、
「その……いえ、また今度にしておきます。おやすみなさい」
「あ、はい」
言葉の続きは引っ込め、雲雀さんの介抱に勤しむ。
「まったくもう……ひと騒がせなユーレイだったわね」
「ほんとにね。でもピアノは上手かも」
月島さんを見捨てるみたいで、少しばかり後ろ髪を引かれちゃった。
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