第409話
これがパパだったら、チューナーなしで楽々合わせちゃうんだもん。絶対音感っていう一種の才能らしいけど、娘のわたしには備わってなかった。
わたしも『なんとなく』程度にはわかるんだけどね。四分の一のズレ、なんて次元になると、機械に頼るしかないよ。
律夏ちゃんが軽くドラムを鳴らす。
「ふあぁ……枕が違ったせいかな? まだ眠いよ」
「あ、寝づらかった?」
「んーん。初めてのお泊まりだから、ちょっと緊張しちゃってさ」
わたしと律夏ちゃんで昨夜のことを話してると、麗奈ちゃんが顔色を変えた。
「ち、ちょっと……律夏? あなた、泊まったって……まさか」
「うん。雨で電車が止まっちゃったからね」
律夏ちゃんはドラムスティックで天井を指す。
「響希チャンってば、お風呂は一緒に入ってくれなかったんだよ。酷いと思わない?」
「ふたりじゃ狭いよ。それに、もう高校生なんだし……」
キスの件を暴露されるんじゃないかと、わたしははらはらしちゃった。
「――ずるいっ!」
ところが甲高い一声に不意打ちされ、頭の中は真っ白に。
わたしも、律夏ちゃんも、それが麗奈ちゃんの声だったことに唖然とする。
「れ、麗奈ちゃん? 今……」
「ハッ? ……な、何でもないのよ、響希。忘れてちょうだい」
麗奈ちゃんは挙動不審の色を帯びながらも、平静を装った。
律夏ちゃんが肩を竦める。
「まあいいけど。またお泊まりしていい? 響希チャン」
「もちろん! お部屋もあるから、遠慮しないでね。でも、おばさんには心配を掛けない範疇で……」
「だいじょぶ、だいじょぶ。お母さん、響希チャンのことも気に入ってるから」
わたしは律夏ちゃんと一緒に生活雑貨を指折り数えた。
「ハブラシとか揃えといたほうがいいかもね」
「マイカップも欲しいかな?」
なんだか新婚さんの会話みたい……かも?
麗奈ちゃんが俄かに声を荒らげる。
「だめよ! お泊まりなんて……ちゃんと家に帰るべきだわ」
それをしれっと受け流す、律夏ちゃん。
「だから、昨日は雨がすごかったんだって。まっ、雨でなくても泊まる気満々だけど」
「そんな……も、門限とかあるでしょう?」
「L女の寮じゃないんだし。何焦ってんの? 麗奈」
「あ、焦ってなんか……」
しどろもどろになる麗奈ちゃんを見て、わたしは嘆息した。
「そっかあ。L女の寮って厳しそうだもんね。それじゃ合宿も……」
「それだよ、響希チャン! 合宿で集中的に――」
律夏ちゃんはぱちんと指を鳴らし、声を弾ませる。
と思いきや、いきなり空気が震えた。
「私だって響希ちゃんのお家にお泊まりするもんっ!」
ちょうど栞ちゃんがドアを開けたタイミングで。わたしたちは目を点にしつつ、声の主らしいギタリストに注目する。
栞ちゃんが淡々と呟いた。
「幼児返りですか? 麗奈さん。お大事に」
これって『頭大丈夫ですか?』をオブラートに包んでるよね。
「ち、ちが……っ!」
麗奈ちゃんは耳まで真っ赤になった。おたおたと慌てふためき、チューニングの最中だったギターの音色を狂わせるの。
「今のは空耳! そうよ、さっきのは宗太郎さんが……」
「言ってることが支離滅裂だよ? 麗奈ちゃん」
律夏ちゃんは笑いを堪えながら、麗奈ちゃんのシャウトを真似した。
「私だってぇ、響希ちゃんのお家にお泊まりするもんっ! ……もんって、アハハ!」
今になって、わたしも麗奈ちゃんの本音にはっとする。
「もしかして麗奈ちゃん……お泊まりしたいの?」
「うっ」
でも、それは栞ちゃんが一蹴。
「無理ですよ。L女ですし、ご実家もあれですから。許可が降りないでしょう」
「お嬢様は大変だよねー。あのお婆さんに怒られでもしたら……」
続けざまに律夏ちゃんにも追い詰められ、麗奈ちゃんは涙を溜めた。
そして、高校生にしては幼い癇癪を起こす。
「ばかばかっ! れな、羨ましくなんかないもん!」
昔の麗奈ちゃんだあ……。
麗奈ちゃんは地団駄を踏むと、一直線におトイレへ。
内側から鍵を閉め、籠城を始める。
「麗奈ちゃんってばー! 出てきてよ、練習!」
「二分……三分だけ待って! 落ち着いたら、すぐに戻るから……あぁう」
閉めきられた扉を前にして、わたしたちは立ち竦むしかなかった。
律夏ちゃんが意地悪そうにはにかむ。
「麗奈のことは好きになれそうだよ、あたし。どーいう子か、よくわかった」
「からかうのはほどほどにしてください。練習になりません」
ANGEが迎えた、最初の危機。
どうせなら音楽性の違いとかで揉めたかった。
☆
梅雨の中、さらに数日が過ぎ。
土曜の朝、わたしたちは麗奈ちゃんのつてを頼りに、あるブティックを訪れた。
「ここですよぉー! 速見坂先輩」
「ありがとう、真井舵さん」
麗奈ちゃんと同じL女学院の中等部にね、実家が有名なブティックを経営してる生徒さんがいたの。彼女の名は真井舵蓮ちゃん、現在は中学二年。
週末はお店が混むってことで、朝一にしたんだよ。
わたしたちもお昼以降は練習を優先したいしね。
もちろん、今日はお洋服を買いに来たわけじゃなかった。ミュージック・フェスタで着る、ステージ衣装の件で相談に来たの。
一からデザインを描き起こして製作するなんて、この面子では無理な話。仮に作るにしても、時間が足らなかった。
そこでスフィンクスの先輩たちのアドバイスに従い、今回はコーディネイトで乗りきろうかなって。メンバー全員で統一性を持たせれば、『衣装』と言えるでしょ?
このブティックにはVCプロからも連絡が行ってるはず。
お店に入ると、おしゃれな眼鏡の店員さんが朗らかに迎えてくれた。
「いらっしゃいませー!」
青い髪はエクステかな? お店が一流なら、店員さんのセンスも超一流みたい。
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