第388話

 大きな空港のロビーには麗奈ちゃんと、麗奈ちゃんのお母さんがいた。麗奈ちゃんは愛用のギターをトランクケースとともに預け、無念そうに肩を落としてる。

「麗奈ちゃん、待って!」

「……響希ちゃん?」

 わたしと麗奈ちゃんは互いに手を伸ばし、ひしと抱きあった。

「なんで急に転校しちゃうの? なんで……遊びに行くって、曲だってまだ……!」

「ごめん……ごめんね? 響希ちゃん。私にもよくわからないんだけど」

 パパは麗奈ちゃんのお母さんとお話してる。

「落ち着いたら、連絡を差しあげようと思ってたんです」

「そういうことでしたか……。旦那様にもよろしくお伝えください」

 それからパパはわたしを麗奈ちゃんから剥がし、淡々と言い聞かせた。

「いいかい? 響希。麗奈ちゃんは本当のお家に戻るんだよ。でも、これでお別れじゃない。もう少し大きくなったら、会いに行けるさ」

「ほんと? ほんとなの? パパ」

「僕が響希に嘘をついたことがあったかな? ほら、涙を拭いて」

 わたしはグズりながらも、麗奈ちゃんと向かいあった。

「麗奈ちゃん……ぐすっ、また一緒に演奏しようね。れったいだよ? やくそく」

「うん、約束する。ひびきひゃんのピアノと、また……ひぐ! うええっ」

 離れ離れになんてなりたくないよ。

 ずっと一緒がいいのに。

 だけど、わたしたちはまだ小学生で、何もできなかった。別れはあまりに唐突で、理不尽で、わたしも麗奈ちゃんも大粒の涙で視界を滲ませるだけ。

「ほら、響希。ちゃんと笑って見送ってあげよう」

「うん……」

 固く繋いだ手も、呆気なく解けてしまった。

 わたしの手の中をすり抜け、麗奈ちゃんはゲートをくぐっていく。

「響希ちゃん……」

 胸にぽっかりと穴が空いた気がした。

 それでもわたしは一生懸命に笑顔を作り、嗚咽交じりの声を絞り出す。

「ばいばい。麗奈ちゃん」

「ごめんね……ほんとにごめん、響希ちゃん」

 やがて麗奈ちゃんはお母さんとともに、ゲートの向こうへ消えていった。何度も振り返っては、お母さんに急かされながら。

 青々と澄みきった空へ向かって、真っ白な飛行機が飛ぶ。

 それをパパと一緒に仰ぎ――小さなわたしは歌わずにいられなかった。

 手が届かないなら、せめて声だけでも届くように。


   このおおぞらへ つばさをひろげ とんでゆきたいよ

   かなしみのない じゆうなそらへ つばさはためかせ


 ピアノの音色とわたしの歌声が重なる。 

「ゆきたい――」

 いつしか、わたしは夢中でピアノをかき鳴らしてた。拍手が聞こえ、我に返る。

「上手いじゃん、響希チャン! すごく絵になってたしさ」

「そっちのシンセが嫉妬してますよ」

 律夏ちゃんと栞ちゃんは大袈裟なくらいに褒めちぎってくれた。

 わたしは照れ笑いを浮かべつつ、月並みな言葉で謙遜する。

「そ、それほどでもないよ? パパのほうが上手だし」

「えー? もっと弾いてくれていいのに」

 恥ずかしいなあ……。

 でも麗奈ちゃんと再会できたからこそ、わたしは『翼をください』を歌えた。今はもう飛行機が遠のく空を見上げてただけの、無力な小学生じゃない。

 わたしにはピアノの技術と、心強い味方だっているから。

 借り物のシンセサイザーもそのひとりだよ。

 栞ちゃんがわたしを指名する。

「これでボーカルの問題もクリアできそうですね。響希さん、お願いします」

 ……あれ? わたしが歌う流れになっちゃった?

「わたしひとりで?」

「バックコーラスくらいは手伝うってば」

「ボキャロ曲ですから、まずは一度歌ってみて、調整を」

 今しがた歌ってしまったために、じわじわと追い詰められる。

 別に歌うのが嫌ってわけじゃないよ? ただ、ボーカルにはほかに適任者もいた。

「律夏ちゃんは? お仕事で歌ってたくらいだし、わたしより多分……」

「んーまあ、レッスンはしまくったからね」

 なんたってCLOVERの元メンバーだもん。ダンスだって得意のはずで、それは栞ちゃんも知るところ。

「何でしたら、パートデュエットでもいいかと。聴き応えが格段に変わりますよ」

「いいねー。そんじゃあ、あたしと響希チャンと、栞チャンとで」

「……は?」

 もちろん、ここで栞ちゃんだけ逃がすようなわたしたちじゃなかった。

「ふたりより三人のほうが、パート編成の幅も広がるもんね」

「うんうん。使えるものは使わないと」

 息ぴったりの挟み撃ちが栞ちゃんを追い込む。

「……辞退という選択肢は?」

「ありませーん」

 栞ちゃんは口角を引き攣らせた。


 そんな栞ちゃんの抵抗もあって、翌日はカラオケ屋へ。

 歌えません→歌えるでしょ→聴いてから判断してください→じゃあ聴くよ、という流れでね。墓穴を掘ったのは栞ちゃん自身。

 カラオケ屋へ入る前から、栞ちゃんは敗戦の色を濃くしてた。

「苦手なんですよ、カラオケって。まず選曲が……」

「栞チャン、邦楽は大体カバーしてるじゃん」

「知ってるのと、歌えるのとは違うんです。それに人気の歌はほかの面子と被ったりしますし……かといってマイナーな曲では、微妙な空気になりますので」

 うーん、そうかなあ?

 中学時代はバレー部の友達とカラオケに行くこともあったけど、そんなふうに考えたことはないもん。みんな好きに歌って、順番をまわして……。

「律夏ちゃんはなんでも歌えるよね?」

「とーぜんっ。ドラム叩いてばっかだから、たまには大きな声も出さないと」

 律夏ちゃんはやる気満々だった。

 栞ちゃんは観念したようにうなだれる。

「はあ……負け組には生きづらい時代ですよ、本当に」

「栞ちゃんは何と戦ってるの?」

 でも作曲を手掛けてるうえ、ベースも弾けるんだから、歌が下手なわけがなかった。わたしたちを唸らせてくれるんじゃないかって、ちょっぴり期待してる。

 カラオケ屋に入ると、その栞ちゃんが率先して動き出した。

「お部屋を取ってきますから、待っててください」

「うん? ありがと」

 わたしと律夏ちゃんは揃って首を傾げる。

「ほんとは歌いたくって我慢できない、とか?」

「どーだろうね。栞チャンは恥ずかしがり屋だから……」

 ふと律夏ちゃんが後ろへ振り返った。

「……」

「どうかしたの?」

「あ、いや……あの子。ひとりで何やってんのかなあって、ちょっとね」

 ロビーの隅っこで、帽子を目深に被った女の子が黙々と佇んでる。

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