第376話

 机と一体になったような形で、やっぱり違和感がある。でも白と黒の鍵盤は、ここでもわたしの目を強烈に惹きつけた。

 しかしお値段を見るや、身体が勝手にあとずさる。

「じゅ、17万円……」

「アハハ。お試しに弾けるったって、抵抗あるよねー」

 高校生には途方もない金額だった。アルバイトするにしても、ゴールが遠すぎるよ。

「まっ、本格的にバンドやるなら、これくらいはね。シンセならなおさら」

「シンセって、シンセサイザー?」

「うん。こっちのはキーボードで、あっちのがシンセ、ね」

 シンセサイザーのほうは鍵盤の上部にたくさんスイッチがついてた。ピアノ経験者でもキーボードは一回しか触ったことのないわたしには、何が何やら。

「具体的にどう違うの?」

「シーケンサーとかの機能がついてて、イコライジングができて……要するに多芸ってやつ? ドラムがいなくても、ドラムパターンを流せば代用できたりするわけ」

 説明を聞いても、よくわからなかった。

 とりあえず芸達者なのがシンセで、シンプルなのがキーボードかな。

「家にピアノがあるからなあ……」

「外で弾くようなことでもないと、いらないか」

 欲しいとは思うものの、そこまで必要に迫られてない。

 何よりお値段が……ね。安いものでも7、8万はするんだもん。練習用に最初は手頃なやつでと思っても、この金額になると、さすがに手を出せなかった。

 キーボードの横ではドラムがセットで売ってる。

「律夏ちゃんは持ってるの? 自分のドラム」

「あるよ。そこそこの」

 これ、どうやって運ぶんだろ……。

「そーだ。キーボードって、重さはどれくらい?」

「メーカーによってまちまちだよ。シンセもキーボードも、61鍵盤で大体、5キロくらいじゃないかな」

 オーソドックスなもので5キロかあ。運べなくはないけど、大変かも。

 重量についてはお店に注意書きがあった。76鍵盤でおよそ7キロ、88鍵盤に至っては16キロだって。88は絶対に無理。

 そりゃあピアノに比べたら全然、楽だけど。

「入用になったら、一緒に選んであげるよ。わかんないでしょ」

「うん。でも、買うとしたら……これかな」

 わたしは展示されてる中で、たったひとつホワイトのキーボードに手を触れる。61鍵盤で多分、標準的なタイプのもの。ポップにも『初心者にオススメ』とあった。

 律夏ちゃんがふむと頷く。

「こん中では一番、ピアノに音が近いやつだよ。響希チャンもわかってんじゃん」

 単に色とデザインに惹かれただけ、と言い出せなくなった。

 特に色が気に入ったの。白色――WHITEには少し思い入れがあって。

 麗奈ちゃんと一緒に作ってた曲は、半分しかできてなかった。あとの半分は『真っ白』で、タイトルもないから、わたしは便宜的に『WHITE』と呼んでる。

 なお、キーボードのお値段は8万円。

……これでも『安い』と思えてくるから、怖い。

「そろそろ行こっか」

「うん」

 楽器屋さんをあとにして、わたしたちは本日の目的地へ。

 ライブハウスはこぢんまりとした映画館みたいな印象だった。エントランスのカウンターで律夏ちゃんが会員証を提示する。

「あっ、お金いるの?」

「大丈夫。あたし、何枚か優待券、持ってるからさ」

 なんだか緊張してきちゃった。

 今日は律夏ちゃんの推しのバンドが演奏するのかな? わたしに『面白いものを見せてあげる』と言ったのは、多分それのこと。

 映画館のと同じ分厚いドアを開けると、熱気が溢れてくる。

「うわあ……!」

 会場はもうお客さんがいっぱいで、みんな立ってた。椅子はないんだね。

 座席の指定なんかもないから、適当に列の後ろへ。

「あたしもここで演ってるんだよ。助っ人のドラマーとしてさ」

「助っ人? グループには入らずに?」

「うん。フルメンバーってなかなか揃わないもんよ?」

 ステージの上ではドラムとベースの担当が準備に専念してた。

 キーボードは楽器自体が見当たらない。

「男の子のバンドなんだね。キーボードがいないのは、そのせい?」

「あー、それはあるかも。男子がキーボード弾いてるの、あんまり見掛けないし」

 やがてボーカルの男の子と――ギタリストだけ女の子が登場した。ボーカルさんがマイクのテストついでに、挨拶を始める。

「みなさん、今日は朝早くから俺たちのライブに来てくれて、ありがとうございます」

 週末はライブの希望が集中するから、朝一で始めるらしいよ。

「ギタリストの受験は終わったんで、本日がこちらの助っ人ギター、速見坂さんの最後のステージになります。……と、挨拶する?」

「いらないです」

「そう? そんじゃー、盛りあがっていこうか!」

 ボーカルさんのガッツポーズを皮切りに、喝さいが響く。

 その最中、わたしは鞄を落っことしてしまった。隣の律夏ちゃんが首を傾げる。

「そんなに驚かなくっても……」

「……違うの」

 ギタリストの女の子から目が離せなかった。

 ステージの上で今、一心不乱にギターを弾いてるのは――。

 わたしが呆然としてる間にも、最初の曲は終わり、ボーカルさんのMCが入る。けど、わたしは構わずに声を張りあげた。

「麗奈ちゃんっ!」

 ギタリストの女の子がびくっと身体を震わせる。

 間違いないよ。小学生の頃に離れ離れになった、あの幼馴染みの速見坂麗奈(はやみざかれな)が、わたしの目の前にいるの。

 律夏ちゃんも、お客さんも、わたしの大声にきょとんとする。

「響希チャン……?」

「麗奈ちゃんでしょ? わたし、わたしだよ! 幼馴染みの天城響希っ!」

 まさかの偶然。まさかの再会。

 ボーカルさんがやんわりと応じてくれた。

「麗奈ちゃんの友達? じゃあ、L女の生徒さん?」

「いえ、わたしは……」

「――次の曲に行きましょうっ!」

 ところが、ほかでもない麗奈ちゃんの一喝が剣幕を張る。

 わたしは呆気に取られ、みんなも絶句した。ボーカルさんは困惑しつつもメンバーと合図を取り、ライブを再開する。

 次第にさっきの緊迫感は薄れ、ライブは元通りの大盛況となった。

 ただ、わたしはメロディーも聴かずに立ち竦む。

「響希チャン、あの子とはワケあり?」

「そんなことは……」

 麗奈ちゃんに会えて嬉しいはずなのに、戸惑いのほうが大きかった。

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