第375話

「この二年くらいは、ドラムが足らないバンドを転々としてる感じ」

「中学生のバンドを?」

「いんや、高校生の。大学生はないなあ」

 じゃあ中学時代は学校に行かず、ずっとバンドを……? それなら上手なのも納得だけど、腑に落ちなかった。

 ただ、律夏ちゃんがブラスバンド部の誘いを断ったのは、理解できるよ。もし律夏ちゃんが入部したら、ドラム担当の先輩は立場も楽器もなくなるもん。

 やっぱり『勧誘』になってないよね、ブラスバンド部は。

 律夏ちゃんがわたしの顔を覗き込む。 

「で……響希チャン、音楽系はどうすんの?」

「ピアノで、とは思ってたんだけど……」

 中学に入学した時と似たような状況だった。

 今回は音楽系の吹奏楽部があるものの、ピアノ志望じゃ入りづらい。ブラスバンド部は身内でやってるみたいだし。

「またバレー部でも――」

 音楽を続けたところで、麗奈ちゃんには会えない。

 そんな諦めの気持ちが背後にあって、わたしは妥協できるラインを考え始めてた。

「えーと……週末は休みなんだっけ? 高校も」

 中学には二日しか行ってない律夏ちゃんが、ケータイを立ちあげる。

「今度の週末、付き合わない? 響希チャン。面白いとこ連れてってあげるからさ」

「うんっ! いいよ」

 高校の友達とお出掛け。もちろん即答だよ。

 ついでにわたしもケータイを出し、律夏ちゃんと番号を交換した。

「帰りは響希チャンも電車?」

「それが……実は今朝、通りすぎちゃって……」

「だから遅かったんだ? アハハ」

 CLOVERの元メンバー、葛葉律夏ちゃんとの出会い。

 これがわたしの運命を大きく変えるなんて、この時は思いもしなかった。


                  ☆


 律夏ちゃんも徐々にクラスに溶け込んで、早一週間。

「律夏もソフトやらない? 運動、得意っしょ」

「パ~ス。上下関係とか面倒くさいし」

 ちょっぴり皮肉屋なんだけど、律夏ちゃんの言動に嫌味はなかった。そんなところがクラスメートにも受け入れられ、自己紹介の時のような空気はなくなったの。

 わたしとは席が隣同士で、お昼は一緒に学食だよ。

「あれ? AランチとかBランチって、日替わりなの?」

「考えなくていいよね」

 新しい生活にリズムがつき始め、やがて週末がやってきた。

 わたし、天城響希は平日よりも早起きして、お出掛けの準備に勤しむ。

 だけど今朝はパパのほうが早起きで……朝っぱらから、リビングで豪勢なオーケストラに聴き入ってた。

「ん~! いいねえ、このメロディー。これこそ芸術だ」

 わたしのパパは音楽関係のお仕事をしてるの。

 『パパ』と呼ばないと怒るから、そう呼んであげてる。

 パパは筋金入りのクラシック派で、休日は日がな一日、ベートーベンやらモーツァルトやらを流してた。すごい曲だとは思うけど、わたしはもう飽き飽きしてる。

「やあ! おはよう、響希」

「おはよー、パパ。コーヒー飲む?」

「もちろんさ。一日の始まりは朝のコーヒーが肝心だからねえ」

 娘だからこそ、わかってた。パパは変人だってこと。

「音楽鑑賞もいいけど、音量には気をつけてよ? ピアノの部屋じゃないんだから」

「安心したまえ。地域密着型の音楽こそ、僕のポリシーさ」

 そして娘のわたしでも、パパの言動はちょっと理解できない。

 ともあれパパは今日も元気だし、ご近所さんとの関係も良好だった。こんな変わり者なのに『先生』なんてふうに呼ばれてる。

 朝ご飯はトーストとコーヒーね。

「お昼はどうだい? 響希。チャイコフスキーでも」

「今日は友達とお出掛けするの」

「おっ、もう友達ができたのか? 高校は楽しいみたいだね」

 パパに相槌を打ってると、ケータイにメールが届く。

「あ、律夏ちゃんからだ」

「響希の友達なら、僕も挨拶しないといけないなあ。お家に連れておいで」

 パパの願望は聞き流すとして。

 わたしはお出掛けのスタイルで鞄を肩に掛け、ふたりで住むには大きな家を出る。

「行ってきまぁーす、パパ。お母さんも」

 写真の中でお母さんは笑ってた。

 昔から病気がちだったんだって……。それでもお母さんはピアニストとして精力的に活動し続け、天国へ行った。

『ごめんね、響希。お母さんはお仕事だから』

 むしろわたしの面倒を見てくれたのは、パパのほうだったりする。

 お母さんは娘のわたしよりピアノが大事だった――そう思ってた時期もあった。そのせいで、しばらくピアノを触る気にはなれなかったっけ。

 決して嫌いじゃなかったよ? でも、好きって気持ちに自信がないの。

 学校へ行く時と同じ駅で降り、律夏ちゃんと合流する。

「お待たせ! 早いね、律夏ちゃん」

「ん。誘ったのはこっちだしね」

 休日も律夏ちゃんはラフなスタイルで、パーカーの袖を大きく捲ってた。学校でもブレザーの上着を脱いでは袖捲りだから、律夏ちゃんのモードなんだろうね。

「ゆるふわキュート系?」

「何が?」

「服。響希チャン、女の子っぽいの似合うね」

 お喋りが断片的なワードで始まるのも、慣れちゃった。

 わたしは律夏ちゃんと一緒に、学校とは反対の方向へ歩き出す。

「今日はどこへ行くの?」

「ライブハウスだよ。音楽、好きでしょ」

 このあたりは歩いたことないから、律夏ちゃんだけが頼りだった。

 その途中で大きな楽器屋さんの前を通りかかる。ライブハウスの近くだから、こういうお店があるのかなあ。

 ショーウインドウには新品のギターやベースが飾られてる。

「まだ時間もあるし、ちょっと見てこっか」

「そうだね」

 興味はあった。わたしたちはレトロな雰囲気の楽器屋さんに足を踏み入れる。

「いらっしゃいませー。おっ、律夏ちゃんかあ」

「こんにちは」

「そっちの子は友達? そっか、この春から高校生だもんねぇ」

 律夏ちゃんはこのお店の常連さんみたい。

 おかげでブティックよろしく『何をお探しですか?』の接客攻めは免れた。ちょっと寄っただけとは言いづらいから、助かる。

「響希チャンはピアノ経験者だから、キーボードが見たいんじゃない?」

「あ、うん。売ってるんだよね」

「そりゃ楽器を売ってるお店なんだしさ。ほら、こっちだよ」

 楽器屋さんの一角で、わたしは再び『ピアノじゃない鍵盤』と出会った。

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