第322話
結依の十八番『Rising・Dance』が勢い余って炸裂する。
「みんなー! 今日は来てくれて、ありがとーっ!」
さすがNOAHのセンターだわ。抜群の牽引力を発揮し、コンサートホールの熱気を混ぜっ返すの。わたしにはできないわね。
だからって、わたしが結依に気後れすることも、もうなかった。
結依は自分の役目を果たそうとしてるだけ。だったら、わたしもメンバーの動きに気を取られたりせず、自分の務めを果たさなくっちゃ。
ファンはみんな、とっくに勘付いてる。わたしが今日は一言も発してないこと。
マスクをつけ、さっきからバックコーラス程度にしか歌ってないことに。
それには触れず、MCの結依が声を弾ませる。
「なんと、なんと! 本日はご許可をいただいて、咲哉ちゃんがANGEを熱唱しちゃうよー! どうぞ、咲哉ちゃん」
「一生懸命、歌うわね」
咲哉の音痴ぶりがファンをどよめかせた。
「ありがとう~! ふう、もう一曲歌いたいくらいだわ」
「いやいや……あんた、練習してない曲はほんっと、だめね」
その間にわたしは奏とともに後ろへ下がり、次の曲のための配置につく。
「NOAHでいっちばん上手いヤツに歌ってもらわないとねー。じゃあ、せーのっ」
リカの煽りを受け、ファンは一挙に声を揃えた。
「杏っ! 杏っ! 杏っ!」
怒涛の杏コールが巻き起こる。
だけど、わたしの心はとても落ち着いていた。マスクを外し、投げ捨てる。
コンサートホールは水を打ったように静まり返った。スポットライトがキーボードの前で佇むわたしを照らし、じりじりと焦がす。
ママの歌、ママが倒れたこと、歌うことの責任感、NOAHの人気――。
そんなの、今はどうだっていいわ。
「ああああああああああああああああーッ!」
力の限り叫んで、キーボードの鍵盤に両手を叩きつける。
――やってらんない!
シャウトの直後、奏のギターが唸った。
わたしと奏の手で生まれた『サンプルA』が、ついに拍動を始める。突然の爆音にファンは気圧されながらも、サイリウムを掲げ、追ってきてくれた。
よくできました なんて花丸は 口紅で塗り潰す
欲求不満 ストレス上等 いつまでも良い子と思わないで
声が出る。どこまでも声が出るわ。
奏のアルトがわたしのソプラノを引き立て、いい気にさせてくれるの。こんなに傲慢な気持ちで歌ったのは、初めてかもしれない。
奏のギターが鳴くとともに、わたしのキーボードもメロディーを暴れさせる。
本当の自分? 嘘の自分?
境界線なんてない これがわたし
自分の耳には綺麗な歌声になんて聴こえなかった。今のわたしは叫ぶように歌ってる。一心不乱に声を張りあげて、それは松明屋杏の歌を破壊さえする。
ぶっ壊せ! すべてを 自分を
ゼロにすれば 最後にホンモノが残るから
結依や咲哉、リカもコーラスをはもらせた。
全身を熱が、血液が、無限のエネルギーが駆け巡る。無意識のうちにわたしはビートを刻んで、この音の奔流に酔いしれていた。
もう自分が四つ足の獣にでもなった気分だわ。キーボードに両手をつき、吼える。
やってらんない! だってそうでしょ
お子様は夢を見るだけ ママにもらったパジャマを着て
こんな滅茶苦茶に歌ったら、先生に怒られるのに。ママだって呆れるのに。
それでも、わたしの音楽は反逆することを選んだ。歌うことの義務も、責任も、何もかもかなぐり捨て、歌わせろ――その原始的な欲求を取り戻すために。
だから やってらんない! そう言ってるじゃないの
見つけたものは 絶対に手放さないわ
奏が『もう一回よ、杏!』と叫ぶ。
伝わらないのなら、伝えるまで。強引に押しつけてやるまでよ!
「ママの歌より、わたしの歌を聴けえーーーッ!」
シャウトともに再びサビへ雪崩れ込む。
やってらんない! だってそうでしょ
お子様は夢を見るだけ ママにもらったパジャマを着て
だから やってらんない! そう言ってるじゃないの
見つけたものは 絶対に手放さないわ
大音量の声援が沸きあがった。コンサートホールは震撼し、空気そのものが震える。
リカなんて放心しちゃってるほどよ。わたしは息を切らせながらも、ギターの奏と目配せして、勝気な笑みを浮かべた。
「派手に決めてくれたじゃないの。NOAHの歌姫様」
「はあ、はあ……あなたもね」
結依も驚きのあまり呆然としてるわ。
代わって、咲哉が進めてくれる。
「明松屋杏の新曲『やってらんない』でした! 本当にすごかったわね」
「これ、歌詞も杏が書いたのよ? あたしじゃないから、念のため」
優等生の明松屋杏らしからぬ、破天荒なロックだったもの。結依やリカは楽曲の存在を知っててなお、度肝を抜かれた様子。
ファンのみんながわたしの名を熱唱してくれた。
「杏っ! 杏っ! 杏っ!」
明松屋千夜の娘じゃない、NOAHの明松屋杏として。
歌ってみれば、簡単なこと。ママの名声、先生の言葉、歌い手の責任感――そんな目に見えないものに惑わされて、歌えるはずの口を閉ざしていただけ。
歌でこそ気持ちを伝えられることさえ忘れて。
「みなさん。少しだけ、わたしのお話を聞いてください」
大きく息を吸ってから、わたしはステージの前へ歩み出た。
「本当は今日、わたしは明松屋千夜の代表曲『蒼き海のストラトス』を歌う予定でした」
ステージの結依たちを始め、ファンのみんなも耳を傾けてくれる。
「みなさんもすでにご存知かと思いますが……先日、母が倒れ、音楽業界は大騒ぎになりました。幸い、ただの胃潰瘍でしたので、もう現場に復帰しています。ですが、わたしは母のため……歌わなくちゃ、と思いました」
これをもっと早く、結依やリカに打ち明ければよかったのよ。
メンバーに迷惑を掛けたくないと言いながら、結局は心配を掛けて。結依を大泣きさせて。ほんと、情けない先輩よね。
「……だけど! わたしにとって一番大事な歌は何だろうって、思ったんです。『蒼き海のストラトス』はママの歌であって、わたしが歌手として出会った歌ではありません」
そしてやっと気付いたの。わたしにも、もう運命的な一曲があることに。
「今から歌う曲を、作曲家のかたは『若い子が歌うには古臭い』と仰いました。でも、わたしはこの歌が好きです。大好きなんです。だから……」
馴染みの深いイントロが流れ出す。
さっきの激しい曲とは打って変わり、儚げなメロディーが空気の中で沈殿していく。わたしの歌声は自分でも驚くほどに透き通り、凛と響いた。
静かな 静かな 鏡の水面(みなも)よ
映るはこころ ながめせしまに
わたしは何色にも染まりゆく
わがみよにふる と口ずさむ 彼女は
水をたたえ 悠久の時を過ごす しめやかに
声はオルガンのように重厚に、ピアノのように繊細にもなる。
その歌い方は先生に教わったわけでもなければ、テキストに載ってたわけでもない。ただ、わたしは素直な心のままに詞を歌いあげ、口ずさむ。
歌い終えると、拍手が響いた。
結依が満面の笑みで駆け寄ってくる。
「杏さん! すごく、すっごくいい歌でしたよ!」
奏はやれやれとてのひらを上に向け、呆れた。
「このバケモンは……やっぱり明松屋千夜の娘じゃないのよ」
咲哉はリカと胸の高さでタッチを交わす。
「最高よね、リカちゃん! うふふっ」
「う、うん……マジで、こんなに上手かったワケ……?」
リカのほうが押され気味なんて、珍しいわね。
わたしは今までにない爽やかな気持ちで、結依を捕まえ、はにかむ。
「ありがとう、結依。あなたのおかげよ」
「え? 杏さ――」
この衝動じみた想いを、止められなかった。ううん、止めるつもりもなかった。
わたしの唇が結依の唇を塞ぐ。
「ちょ――ちょっとぉ、杏! 離れなさいってば!」
リカは怒ったけど、これでドローでしょ。
ごめんなさい、ママ。
杏は悪い子です。
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