第321話
大自然を満喫したおかげで、みんなの疲労は解消できたようね。
わたしに至っては、思いきり泣いたせいもある。
その夜はホテルにて、わたしは奏を交え、マネージャーの聡子さんに提案した。
「今から……ですか?」
「はい。変更して欲しいんです」
奏は片方の眉をあげる。
「選曲の面では物足りない感もあるけど。杏がそうしたいってんなら、あたしに異論はないわ。だけど、ほかの面子は歌えないわよ」
「特にリカさんと咲哉さんですね。リカさんはずっと海外でしたし」
無茶を言ってる自覚はあった。明日の楽曲を急に変更したいだなんてね。
それでも、わたしは自分の『大切な歌』を歌いたかったの。松明屋千夜の娘としてではなく、NOAHの明松屋杏としてでもなく、純粋にわたしとして。
わたしはずっと、建前で歌おうとしてたのかもしれない。
リカの歌に惹かれた時も、表現力だとか、そんな技術にばかり目が行ってた。
じゃあ、技術がないと歌っちゃいけないの?
クオリティの低い歌じゃ、誰にも伝わらないの?
そんなはずないわ。現にわたしは結依の歌に心を動かされ、こうしてる。
聡子さんは承諾してくれた。
「わかりました。スタッフには伝えておきますので」
「ありがとうございます。すみません……ご迷惑をお掛けして」
「いいんですよ。これも私の仕事ですから」
あとは明日の本番を待つだけ。
結依、そしてママも、聴いてちょうだい。
これがわたしの全力の歌だから――。
☆
四国のコンサートホールにて、全国ツアーの第三コンサートが幕を開けた。
玄武リカの復帰によるブーストも、まだ残ってるみたい。会場は今日も満員御礼、控え室までファンの熱気が伝わってくるかのようだわ。
けど、楽観視してもいられなかった。
アイドルフェスティバルにエントリーしてるアイドルユニットが、一斉にスタートを切ったのよ。早くも横並びの様相を呈し、抜きつ抜かれつの攻防が繰り広げられる。
頭ひとつ抜けてるのは、やはりSPIRALね。大勢の男性ファンを一気に獲得し、いの一番にトップへ躍り出てる。
怖いのは、パイの取り合いになること。SPIRALが男性ファンを牽引する限り、ほかのアイドルは男性ファンの獲得を見込めないわけ。
また、男性ファンには『よりファン数の多いコンテンツ』へ流れる傾向があるの。自分がハマるものは世間でも人気であって欲しい、という心理ね。
だから、ただでさえファン数の多いSPIRALには、常に追い風が吹いていた。
でも、そんな計算をものとしないのが、観音玲美子。昨日は玲美子さんのライブも開催された影響で、SPIRALに比肩する存在感を、まざまざと見せつけてる。
ソロ活動だから、かえってフットワークが軽いのかもしれないわね。
そして玲美子さんに続くのが、パティシェルよ。
なんといってもパティシェルは、ターゲットとなるファン層が広い。子どもから大人まで、多様なファンから支持されていた。
一方、わたしたちのNOAHは4~6位といった立ち位置だった。リカの不在で始まった分は、リカの帰還で埋めることができたものの、勢いが元に戻っただけ。
女性ファンへの訴求力こそあれ、独占するほどではないし……。そろそろ次のカードを切らないと、埋没してしまう恐れがあった。
咲哉がメンバーの衣装を念入りにチェックしていく。
「アームカバーが引っ掛からないように気をつけてね、奏ちゃん」
「了解よ」
本日のステージ衣装は黒を基調とした、パンクスタイル。
ゴスロリをスタイリッシュにしたような印象かしら? 結依は腕に銀色のアクセサリを巻きつけ、ちょっぴり危険な香りを漂わせてる。
地味なスーツ姿の聡子さんが念を押した。
「アクセが引っ掛かって、転倒や怪我というパターンも考えられますから。ライブでハイになって、注意を疎かにしないでくださいね? 特に結依さんと、リカさん」
「は、はいっ!」
「アタシたちだけ名指しぃ~?」
結依が段取りを確認する。
「私とリカちゃんと咲哉ちゃんで、パフォーマンスして……」
隅っこにいる夏樹さんは、頭にタオルを巻いてた。
「その間に楽器を運んでやりゃ、いいんだろ? そのへんは裏方に任せとけって」
「ありがとう、夏樹さん」
夏樹さんとは結依がツーカーで話せるから、頼もしかった。
少し硬くなってるわたしに、リカが尋ねる。
「杏のお母さん、今日は来てるの?」
「いいえ。アイフェスには行けるかも、って言ってたから、まだ先だと思うわ」
ママからは一言『頑張ってね』とメールが届いてた。
弟のくだらないメールは無視し、ケータイを鞄へ仕舞い込む。
「咲哉……真剣な話、わたしの弟とあなたの妹、交換してくれない?」
「謹んでお断りするわ」
冗談が言えるだけの余裕はあるようね、わたしも。
円陣の中央へ結依が手をかざす。
「さあ、行こうっ!」
「おー!」
わたしたちもそれに手を重ね、心をひとつに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。