第313話
楽曲のほうは練習済みの『湖の瑠璃』が加わったことで、構成も厚くなった。
要となる『蒼き海のストラトス』も、ひとまず仕上がったわ。それから『サンプルA』もレッスンを始め、コンサートへ投入できるところまで来てる。
ただし『サンプルA』は歌もダンスも、リカだけまったく練習できてないのよ。当面はリカを外して歌うか、いっそわたしひとりで、という案も出ていた。
あとは『DREAM』ね……。あれはリカを外すわけにもいかないから。
マネージャーの聡子さんが割り込んでくる。
「今日は早めに上がりましょう。夏樹さんも荷物をまとめないといけませんし」
「遅刻してもアレなんで、私も今夜はお邪魔していいっすか?」
「そうですね。でも夜更かしはしないでくださいよ。特に結依さん」
「うぐっ」
はこぶね荘へ戻ると、リカのご実家にいるはずの家政婦さんが来てた。
「本当にすみません。留守の間、寮をお任せすることになってしまって……」
「いいえ、いいえ。夏場ですもの」
明日から一ヶ月、はこぶね荘は無人になるでしょう?
空気の入れ替えやお掃除を、リカの家政婦さんにお願いすることになったの。
「最初は麗河さんにお願いしたんですけど、麗河さんもこの夏はお忙しいみたいで」
「さ、聡子さん? あのひとにはあまり関わらないほうが……」
色んなサポートを得て、わたしたちはツアーへ出発する。
その夜もリカからの連絡は来ず――わたしはお部屋でやきもきしてた。
「杏さーん! 今、いいですか?」
「ええ。どうぞ」
眠れないのか、結依がパジャマの恰好でやってくる。
「なんだか目が冴えちゃって……いよいよ明日から、ですね」
「そうね。わたしも緊張しちゃって」
デビューコンサートの前日はどうだったかしら?
その時はまだ一緒に住んでなかったから、確か、結依からメールが届いて――。
「リカちゃんから連絡、ありませんね……」
結依の声がトーンを落とす。
フルメンバーで全国ツアーの初日を迎えられないのは、わたしも悔しかった。リカが一生懸命頑張ってるだけに、誰のせいでもない不条理を呪いたくもなる。
「まだ間に合わないと決まったわけじゃないわ。ステージは明後日でしょう?」
「一日あれば、飛行機で飛んできてくれますよねっ」
「あの子なら、戦闘機にでも乗ってくるわよ」
わたしと結依は同じベッドに腰掛け、静かな夜の一時を過ごした。
「ねえ、結依? 聞いてもらえるかしら」
わたしは結依ではなく、漠と正面を見詰めながら囁く。
「わたし……もう高三の夏なのに、まだ進路を決めあぐねてるのよ。音大に行くか、大学に行くか、それともオペラの実業団に入るか……」
学校でも、クラスのみんなは卒業後の将来を見据えつつあった。わたしも例に漏れず、NOAHのメンバーに先んじて高校を卒業するわ。
結依が表情を曇らせる。
「ちょっぴり悔しいです。私はまだ二年だから、杏さんと悩みを共有できなくて……」
「ありがとう。でも別に、必ずしもお別れという話じゃないのよ」
音大や大学に通いながらNOAHの活動を続けることは、おそらく可能だった。今だって高校に通ってるんだもの。春先は慌ただしいにしても、じきに慣れる。
けど、本格的にオペラの道へ進み始めたら?
アイドル活動は許容してもらえる?
歌劇団の団員たちには十中八九、理解されないでしょうね。奏の言を借りれば、アイドルなんて『ちゃらちゃらした』ものよ。時間的にも学校以上に厳しいはず。
そうなったら、わたしはアイドル活動を休止することになるわ。
NOAHは4人で出直すことになるの。
「来年もできることなら、わたしはNOAHを続けたい……あなたたちと一緒に、もっと歌ったり、踊ったりしたいの」
正直な気持ちを打ち明けると、隣の結依が無邪気な笑みを弾ませた。
「私もですよ。杏さんと一緒にもっと演りたいんです。でも……杏さんの夢を邪魔したくはありませんから、その時が来たら……」
「わかってるわ。だから、あなたはリカと衝突しちゃったのよね」
結依の言葉を待たず、わたしは視線を返す。
「でもね? 結依。わたしやリカにとっても、NOAHは大切なの。だからセンターのあなたが、二度と『アイドルごっこ』なんてふうに言わないで」
「はい……」
わたしの瞳に結依がいて、結依の瞳にわたしがいた。
ずっと一緒にはいられないわ。けど今は、一緒に頑張ることができる。
「リカが戻ってきたらびっくりするくらい、盛りあげておかないとね。全国ツアー」
「えへへっ! 頑張りましょう、杏さん」
そして夏が始まった。
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