第301話

 聡子さんが自嘲を漏らす。

「この間はびっくりしたんですよ。下へ降りたら、結依さんとリカさんが大泣きしてて……なのに、私は何も気付かずにいたんですから、情けない話です」

「あれは聡子さんのせいじゃ……」

「いいえ。あの日ばかりはマネージャー失格でした」

 その声は一度トーンを落とすも、俄かに力強くなった。

「だからっ! 次はもっとみなさんの立場に立って、力を尽くしたいんですよ」

 アイドルだけじゃないんだわ。聡子さんもマネージャーとして、NOAHの夏を真剣に考え、やるべきことを果たそうとしてる。

「正直な話……私は、杏さんが歌う曲は何でもいいと思います。杏さんが心から歌いたいと思う曲であれば」

「わたしが、歌いたい曲……」

 そんなふうに考えたことはなかった――かもしれない。 

「これが私の歌だ、という曲に出会えるといいですね。杏さんは歌手なんですから」

 運命的な歌との出会い。

 ママは『蒼き海のストラトス』との邂逅を経て、のしあがった。

 わたしにも、パートナーとなるような歌が……ある? 巡り会えるの?

 やっとエレベーターが開いた。

「さあって! 私は結依さんをお仕事へ連れていきますので。杏さんは奏さん、咲哉さんと一緒に歌のレッスン、お願いしますよ」

「わかりました」

 結依はリカの代役として、三日ほどドラマの撮影らしいわ。

 明日のラジオも奏&咲哉に変更……と。慌ただしくなってきたわね。

 ところがエレベーターを降りた先で、待ち伏せに遭ってしまった。結依が世界でもっとも恐れる女王様が、にやにやと佇んでたの。

「いたいた! 聡子ぉ、杏ちゃんも」

「どうしたんですか? 玲美子さん。VCプロへご用事でも……」

「今日はオフだから、結依ちゃんで遊ぼうと思ってぇ」

 視界の脇から結依が走ってきて、あっという間に聡子さんをさらっていった。

「ごめんなさい、玲美子さん! ドラマの撮影ですんでっ」

「ちょっと? 結依ちゃん?」

 おかげで、わたしひとりだけ玲美子さんのもとへ置き去りにされる。

「で、では……わたしもレッスンがありますので、これで……」

 恐る恐る横歩きで逃走を試みるものの、遅かった。かえって女王様の怒りに触れ、首根っこを掴む形で、引っ張り戻される。

「あ、ん、ず、ちゃ~ん? 大先輩の前で、それはないんじゃないのぉ?」

「ほっ、本当にレッスンなんですってば~」

 あとで憶えてなさいよ? 結依……。

 振りきるに振りきれず、玲美子さんもわたしと一緒に矢内さんの車に乗り込んで、レッスン場へ。奏や咲哉も白昼堂々の襲撃に驚きつつ、玲美子さんを迎えた。

「おはようございまーす。結依には逃げられたんですか?」

「そうなのよ。酷いと思わない? 私の顔を見るなり」

「結依ちゃんは照れてるだけですよ。うふふ」

「いやあ、感激だなあ~! あの玲美子さんとご一緒できるなんて」

 社交スキルに長けてるのね、みんな。

 助手席の玲美子さんは我が物顔で寛いでる。

「歌のレッスンって、何時までなの? 終わったら、私とも練習しない? ついでにラーメンでも奢ってあげるわ」

「え? あの、そんな急に……」

 わたしは戸惑うも、奏と咲哉は陽気なタッチを交わした。

「ラッキー! 玲美子さんなら美味しいとこ、連れてってくれるわよ」

「ふふっ! 聡子さんに連絡しなくっちゃ」

 あれよあれよと多数決で話が進んで、わたしに発言権はなくなる。

 まさか玲美子さんと一緒だなんて……。

 不安に駆られるうち、矢内さんの車はレッスン場へ到着した。

 練習の間も玲美子さんはタイヤキ(矢内さんが買いに走った)を齧りつつ、わたしたちに目を光らせる。やりにくいけど……咲哉はあまり気にしてない様子ね。

「ひょっとして……咲哉ちゃんって、音痴ぃ?」

「そうらしいんです。具体的にどのあたりが……とは、わからないんですけど」

「全部でしょーが、全部」

 ボイストレーニングが一段落したところで、玲美子さんは奏を呼びつけた。

「今日は特別に私が教えてあげるわ、カナちゃん。せっかくいい声してるんだから、もっと活かさないと」

「えぇと……じゃあ、杏? 咲哉をお願いね」

「了解よ」

 レッスンそのものは順調に進む。

「ここで奏ちゃんが下げきっておくほうが、咲哉ちゃんの出だしが楽になるはずよ」

「なるほど……。それなら、あたしと杏のパートを入れ替えて?」

「あくまで一案よ? ここで奏ちゃんを外すのは、もったいない気もするし」

 玲美子さんの物腰も幾分、柔らかかった。

 このひと、リカや奏、咲哉にはそこまで無茶を言わないのよ。わたしと、特に結依だけをターゲットに据え、女王様の鞭を振りまわすわけ。

 相性の問題かしら……ね。

 玲美子さんの要望(命令)で、レッスンは早めに終了。

 しかし、ここからが本番だったりする。

「じゃあ次はカラオケに行くわよ!」

「えええ~っ?」

 これには奏も面食らうものの、やっぱり女王様の命令には逆らえなかった。矢内さんの車を足にして、近くのカラオケボックスへ乗り込む。

 ケータイには聡子さんから連絡が入ってた。

『こっちは遅くなりますので。玲美子さんによろしくと伝えてください』

 見捨てられたんじゃなくって、本当に忙しいだけ……よね?

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