第291話

 ……と、意気込んだものの。

 放課後、レッスン場にて結依は、リカや咲哉と盛りあがってたのよ。

「見て見て、咲哉ちゃん。リカちゃんに塗ってもらったんだー」

「あっ、可愛い! さり気ないワンポイントがいいわね」

 ネイルアートで……。

 こんな偶然があるはずないわ。奏が洩らすとは思えないし、まさか刹那が?

 刹那にしたって、ネイルアートのことを話したのは、今日のお昼よ。本当に偶然、結依たちは今日に限って、ネイルアートで遊んでたわけ。

「昨日は杏さんが髪、決めてましたから。私もって思ったんです。えへへ」

「そ、そう……」

 むしろわたしの影響だった。

 リカは苦笑いを浮かべつつ、助け船を出してくれる。

「杏にも教えてあげなって、結依。仲間外れはカワイソーでしょ」

「いいのかな? じゃあ、私が杏さんに塗ってあげますよ」

 感激のあまり、わたしは祈るように手を合わせた。

「結依、リカ……!」

 モデルの咲哉は当然、奏まで乗ってくる。

「わたしも混ぜて欲しいわ。うふふ」

「NOAHチャンネルの企画にも使えそうじゃない。女の子向けだし」

「それ、採用っ!」

 結依の決定はまさに鶴の一声ね。

 ところがその五分後、聡子さんからブレーキが掛かった。

「杏さんはだめですよ。ネイルアートは」

「えっ? どうしてですか?」

「化粧品のCMに出演していただきますので。先週のうちに、手を怪我しないように注意してくださいと、お話しませんでしたか?」

 ア、アイドルのお仕事とネイルアートが競合するなんて……。わたしは肩を落とすどころか、四つん這いの姿勢でくずおれる。

「咲哉……CMの出演、替わってちょうだい」

「同じ日にわたしもカタログの撮影が入ってるのよ。ごめんなさい」

「杏さんったら、そんなにネイルに興味あったんですか?」

 稀代の歌姫、明松屋杏。

 わたし、歌以外もあまり上手くいかないみたいだわ……はあ。


                  ☆


 刹那に乗せられてたおかげで、雑誌を買うのが遅くなっちゃったわね。

 L女学院は卒業生に著名なアーティストやスポーツ選手が多いの。そんな彼女らの母校として、関連書籍の類は購買部で販売されていた。

 それこそ実用書から論文、果ては少女漫画まで、幅広く網羅されてるのよ。わたしのママ、明松屋千夜のインタビュー記事が載ったとなれば、購買部に即日並ぶわ。

 その夜は寮のリビングにて、ママの紹介も兼ね、記事を披露する。

「あぁ、杏ちゃんとよく似てるわね」

「こうやって見比べると、娘のほうには面影があるじゃない」

 ママがわたしに似てるんじゃなくって、わたしがママに似てるんだったか。

「杏さんはお母さん似なんですね」

「違うってば、結依。杏はママ似なの……ぷくくっ」

 相変わらずリカの『ママ弄り』はしつこい。

「別に構わないでしょう? 余所の家庭のことは放っておいてっ」

 一方で、奏は熱心に紙面を覗き込む。

「母親が歌手なら、娘の音楽活動にも理解がありそうね」

「ええ、まあ……反対されたことは一度もないわ。パパも音楽系のお仕事してるし」

「出た~! 杏のパパ!」

「う・る・さ・い」

 ママのみならず、パパも音楽家なのよ。オーケストラの奏者を務めつつ、普段は音楽教室で楽器を教えたりしてるの。実家にはピアノだってあるわ。

「パパもママも、わたしはピアニストになるものと思ってたんですって」

 ひとり足らないことに、咲哉が気付く。

「弟くんは?」

「慎吾? あの子は音楽に興味ゼロよ」

 弟の慎吾(しんご)はピアノもバイオリンもすぐに飽きて、スポーツ一筋だった。反抗期というわけでもなくって……本当に音楽が性に合わないみたいで、ね。

「でも親の理解といえばさあ~、奏のお母さんって確か、昔はギタリストやってたんじゃなかったっけ? 子どもの頃にギターを譲ってもらった、とか言ってたじゃん」

「その通りよ。だから余計に同じことさせたくないわけ」

「なのにギターはくれたんだ?」

 リカたちの話が少し気になった。

 昔はわたし、子どもは親と同じ道に進むものと思ってたの。

 リカのご実家のような芸事の家元は、まさにそうでしょう? 世襲が前提で、跡取りの息子が一番弟子になる。

「リカの弟さんは跡継ぎ、嫌がったりしないの?」

「ん~? 稽古が嫌だってのは、しょっちゅうよ。でも最近は『嫌』ってより『面倒くさい』って感じかな」

 けど、わたしは信じていなかった。

 親から子へ『才能』が遺伝する、なんて。

 確かにわたしにはママ譲りの美声があるわ。明松屋千夜の娘だからこそ、この稀有な才能に恵まれ、明松屋杏としての名声を得たのよ。

 でも世間がもてはやしてくれるのは、あくまで『松明屋千夜の娘』だから。

 その血統がなければ、わたしなんて、ちょっと歌が上手い女の子で終わってたはず。わたし自身、プロを目指そうとは夢にも思わなかったでしょうね。

 明松屋千夜の娘だから、チャンスがある。

 その現実が今は悔しい。

 結依は奏と一緒にインタビュー記事を読み込んでた。

「杏さんのお母さん……千夜さんって、オペラ以外でも歌手やってたんですね」

「知らないの? そっちで有名になってから、オペラに転向したのよ」

 明松屋千夜は歌手としてデビューし、破竹の勢いで活躍したの。今でも歌番組に出演したりして、根強い人気を博してる。

 代表曲はなんといっても『蒼き海のストラトス』だった。

 記事でも言及されてるわ。海原と蒼穹(青空)の壮大な美しさを歌った、不朽の名曲ですって。当然、作曲者も超一流で、クラシック界に名を轟かせていた。

 NOAHの若き作曲家が苦笑する。

「その娘に、あたしが作った曲を歌わせようって?」

 これまでに奏は『お節介なFriend』や『ハヤシタテマツリ』を手掛けてきた。わたしの持ち歌も、そろそろ草案くらいはできてるはずだわ。

「進捗はどうなの? 奏」

「それが……カップリング曲のほうで手がいっぱいなのよ。杏の歌に関しては、井上社長もすでに余所に発注を掛けてるって」

 しかしわたしの期待に反して、新曲はまだ輪郭さえ見せてくれなかった。

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