第267話

 薫子ちゃんは緊張しつつ、こわごわと口を開いた。

「あの……今日はね? 親戚のお兄さんがBDを買ってて……でも都合がつかないからって、私が代打で来たんだけど、そ、その……」

 もしかして、中学時代のことを謝りに来てくれたのかしら?

 あれはわたしにも非があることだから、薫子ちゃんを責めるつもりはないわよ。周囲の同調圧力に逆らってまで、わたしを庇う義務も、彼女にはなかった。

『薫子ちゃん、聞いて! わたしは――』

『聞きたくないっ!』

 そして最後の会話が、これ。

 わたしと薫子ちゃんの間には、二度と埋まることのない溝ができたの。

 そのはずが、薫子ちゃんはこうして再びわたしの前へ現れた。

 わたしともう一度、ちゃんと話をするために。

「びっくりしたよ。NOAHの新メンバーが咲哉ちゃんだなんて思わなかったから。それで……やっぱり会わなきゃって思って、今日は来たんだ」

 薫子ちゃんは目を逸らしながらも、一生懸命に言葉を紡ぐ。

 ここでわたしが歩み寄れば、関係を修復できるかもしれなかった。すでに有耶無耶にできるだけの時間は流れてる。

 あとは、わたしが薫子ちゃんを受け入れさえすれば……。

 でも、それで本当に満足できる?

 わたしが薫子ちゃんを許し、薫子ちゃんがわたしを許しても、過去は決してなくならないのよ。わたしが中学にいられなくなった、あの日の出来事は。

「咲哉ちゃん。あのね、また昔みたいに……」

 それ以上は聞きたくない。

 薫子ちゃんの望み通りに答えなくちゃいけないのが怖い。

「ちょっと待ってよ」

 そのタイミングでリカちゃんが横槍を入れた。芸能人を相手に薫子ちゃんは怖気づく。

「な……なんですか? 玄武さん」

 リカちゃんの視線はいつになく冷ややかだった。

「咲哉と何があったかは知らないけどさあ。あなた、咲哉の友達なんでしょ? だったら咲哉が活動休止してる間、どこで何やってたワケ?」

 薫子ちゃんは恐る恐るといった調子で答える。

「何って言われても……咲哉ちゃんが怪我で引退したことも、知らなかったんです」

 そんな薫子ちゃんにもリカちゃんは容赦なしに言葉を被せた。

「はあ? 中学の頃の友達ってことは、近くに住んでたんじゃないの? 家まで行って問いただすとか、やりようはあったはずよ」

「わ、私は……玄武さんには関係ありません」

 薫子ちゃんは抵抗するも、リカちゃんの勢いは一向に止まらない。

「関係あるってば。咲哉はアタシの大切な仲間だもん」

 大切な仲間――その言葉がわたしの心に触れた。

「横で見てればわかるのよ。咲哉がさっきの友達とは違って、あなたには神経を尖らせまくってるのが、ね。大方、中学では咲哉のことハブってたんでしょ?」

 中学時代の出来事が走馬灯のように脳裏をよぎっていく。

 同じものは薫子ちゃんも当時、見たはずよ。リカちゃんの口舌はさらに続く。

「切り捨てて、もう咲哉のことで気を揉むことはないと思ってた? なのにテレビでまた咲哉を見掛けるようになったから、ノコノコ出てきたんじゃないの」

「ち、違います! 私は――」

「だから、ほんとに違うんなら、咲哉とはとっくに仲直りできてるんだってば」

 確かに図星を突いた。それがわたしにもわかるくらい、薫子ちゃんは動揺してる。

 高校に進学してすぐ九櫛咲哉が姿を消したことを、薫子ちゃんが知ってたのは、間違いないわ。でも、その理由を確かめに来ることは、一度たりともなかった。九櫛咲哉のポスターを見掛けることもなくなって、文字通り『解放』されたからよ。

 ところが、九櫛咲哉はNOAHのメンバーとして劇的な復活を果たしたの。

 薫子ちゃんにとってわたしの存在は、中学時代の苦々しい記憶そのもの。もうわたしのことで思い煩うことはしたくない。だから決着をつける必要が出てきた。

 その手前勝手な行動に、リカちゃんは怒ってる。

「あなたは咲哉に許してもらって、スッキリできるんでしょーけど。じゃあ咲哉は? 咲哉にはこれからもずっと、あなたに負い目だか引け目だかを感じてろって?」

 薫子ちゃんは言い返せず、両手でスカートを握り締めた。

 ここまで胸の内を暴かれるとは思わなかったんでしょうね。真っ青になって、時間が凍りついたかのように立ち竦む。

 わたしはリカちゃんを制し、前に出た。

「薫子ちゃん……ここで無理に仲直りしても、わたしも、薫子ちゃんも、お互い遠慮するばかりになると思うの。昔みたいに戻るには、色々ありすぎたんだもの」

 わたしだって、できるものなら薫子ちゃんと仲直りしたいわ。

 けど、わたしも薫子ちゃんもその機会を逸してしまった。今になって埋めあわせようとしても、お互いをすり減らすだけ。

「だから、ここでお別れしましょう。さようなら」

 わたしがそう伝えると、薫子ちゃんは諦めたように背を向ける。

「でも……中学の時は一緒にいてくれて、ありがとう。とても頼もしかったわ」

「……うん」

 中学の卒業式に話すべきだったことよね。

 薫子ちゃんだけが悪いわけじゃないって、頭ではわかってる。わたしにも浅はかな部分はあった。その結果、わたしたちの友情は潰えてしまったの。

 それを取り繕うとしても、かえって苦しいだけ……。

 薫子ちゃんは酷く肩を落としながら、とぼとぼと帰っていった。

 わたしの視界が涙で滲む。

 リカちゃんは怒りを鎮めると、申し訳なさそうに呟いた。

「ごめん、咲哉。部外者なのに差し出がましい真似しちゃったみたいで……」

 わたしはどうにか涙を堪え、笑みを浮かべる。

「……ううん。リカちゃんがはっきり言ってくれて、よかったわ」

 もしリカちゃんがいなかったら――わたしは苦しくても、薫子ちゃんを受け入れるしかなかったでしょうね。我慢して、遠慮して、これがベターなんだって言い聞かせて。

 当然、薫子ちゃんを拒絶したからって、気持ちが楽になったわけじゃないわ。

 だけど、やっと踏ん切りがついた。ケータイに残りっ放しだった薫子ちゃんの番号も、今夜には消せる。

 ただ、仕返しはしておかないとね。

「リカちゃんはちゃんと仲直りするのよ? 結依ちゃんと」

 リカちゃんはぎくりとして、口角を引き攣らせる。

「うぐ……気付いてたワケ?」

「奏ちゃんも杏ちゃんも、とっくにお見通しに決まってるでしょう」

 大切な仲間のことだもの。

 結依ちゃんも、リカちゃんも、わたしみたいな喧嘩は絶対にしないでね。

 いつか離れ離れになっても、ずっと友達でいたいから。

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