第262話
心強いような、でも――ちょっぴり複雑な気もした。結依だって、もうアタシひとりに頼らなくっていいんだもん。
奏が時計を見上げる。
「あとは楽曲ごとに分かれて、カップリング曲の練習ね」
「じゃあ、曲の調整は終わったのね?」
「おかげさまで。ったく……歌うだけの歌姫様は、気楽なんだから」
痛いところを突かれ、杏はもごもごと口ごもった。
「さ、作曲のほうは本当に素人なのよ? わたし……」
「うん。知ってる」
さらに畳みかける今日の奏、手厳しい。
「げ、元気出してください、杏さん! 歌う専門の歌手だって、普通にいますから」
「食べる専門で、お料理ができないひとみたいに聞こえるわよ? うふふ」
結依がせっかくフォローしたのに、それをひっくり返す咲哉は、鬼か。
ブルーのジャージはがっくりとくずおれる。
「うぅ……音感には絶対の自信があるのに」
「音感だけで曲は書けないわよ」
残念だけど、奏の言う通りだった。
明松屋杏は歌唱力が高いし、ピアノもそこそこ上手い。でも『表現力』はとことん弱いから、それを起点とする作曲には、向いてないのよ。
台本は完璧に記憶できるのに、演技は下手なひとに似てるかも。
でもって、その穴はマニュアルで埋められるものじゃなかった。感性を育てるっていうのは、理屈より直感。あれよ、ほら――『考えるな、感じろ』ってやつ。
「歌のレッスンに行かなくていいの? あなたたち」
「い、行ってきまぁーす!」
アタシたちはダンスの練習を終え、ジャージ姿のまま同じビルのスタジオへ。
夏の全国ツアーにおいて、NOAHは大きな問題を抱えてた。
それは持ち歌が少ないってこと。何回もライブを演るなら、最低でも十曲はキープしておくべきでしょ? なのに、その半分しかないんだもの。
もちろん全部を奏ひとりに作曲させるわけには行かないわ。あと、奏だけじゃ似たり寄ったりの曲ばかりになるから、外部の作曲家にも発注を掛けてね。
練習時間だって限られる。そこで、フルメンバーではなく二、三人で歌うような『カップリング曲』を用意することになったワケ。
メンバーの歌唱力を考慮して、一曲目は杏、奏、咲哉。
二曲目はアタシ、結依となった。
もう一曲あるんだけど、歌い手はまだ未定よ。
「それじゃあ、わたしたちはこっちだから。リカ、ちゃんと練習するのよ」
「はいはい」
杏のお小言は聞き流し、アタシは結依と一緒に第二スタジオへ。
「さっさと仕上げて、三曲目もアタシたちで歌っちゃう?」
「えへへ、リカちゃんったら」
「まあ現実的なところで、結依と奏あたりになるとは思うけどねー」
歌の先生(杏の先生)は当面、こっちを指導することになってた。あっちは杏と奏がいるから、コーチがいなくても大丈夫でしょ。
この練習が終わったら、映画の件……結依に相談しようかな。
「――リカちゃん? リカちゃんのパートだよ?」
「あっ、ごめん!」
そんなこと考えてたら、自分のパートをすっぽかしちゃった。先生は苦い顔してる。
その後も歌の練習自体は順調だった。結依が上手くなってきてるから、多少音痴のアタシでも、引っ張りあげてもらえるの。
それに音痴といっても、昔の咲哉ほどじゃないし?
咲哉と杏とでカラオケに行った時は、度肝を抜かれたわ、ほんと。
練習中、ふとコーチが手を止める。
「結依さんって……合唱部とか、経験あったかしら」
「いいえ? ありませんけど」
「……そう」
結依は肺活量があるから、声の伸びがいいのよね。ダンスもバスケで培った体力とリズム感が大いに味方して、すっごい上手だし。
みんなが結依の力に気付き始めてた。
デビューしてまだ一年未満? キャリアがない?
アタシに言わせれば『実績』なんて何の指標にもならないの。実績で認められるなら、アタシは今頃、引く手数多の大物女優になってるってば。
アイドルだったら、大事なのは『ステージで何ができるか』よ。
その力を結依は持ってる。
だから、しばらくアタシがいなくても――。
「全国ツアー、楽しみだね! リカちゃん」
不意打ちされ、アタシは反射的に相槌を打てなかった。不自然なくらい間が空く。
「そ……そうよね? ツアーのついでに企画も色々……」
「それそれ! もちろん海も行くでしょ?」
すでにレッスンは終了してた。今日はずっと上の空だったかも……。
結依がケータイでパノッパラインをチェックする。
パノッパってのはパティシェル、NOAH、SPIRALの連絡用って意味よ。メイド喫茶の企画ん時に、双方の事務所の許可を貰って、SNSに開設したの。
アイドルフェスティバルの一週間ほど前のタイミングで、合流できそうでねー。
「刹那さんの親戚が大きな別荘持ってるから、そこでって」
「別荘ぉ? 写真とかない?」
夏の浜辺で友達と一緒に遊ぶなんて、初めての経験だから、アタシも楽しみだった。
「それまでに水着も買っとかないとね。大した荷物にはならないでしょ」
「梅雨が明けたら、みんなで買いに行こっか」
レッスンで忙しくても、今年の夏は待ち遠しいくらいよ。
けど――もしアタシが映画を優先して、海外に行っちゃったら。
優先すべきは自分の欲求? それともNOAH?
決断できない理由はわかってる。アタシは結依を、NOAHのみんなをないがしろにしたくないから、こんなにも困ってた。
井上さんも最終的にはアタシの意志を尊重するって。
ただし早く決めてちょうだい、と。
アタシにとって、映画女優って何なんだろ?
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