第244話

 湯気とともに紅茶の香りが漂う。

「いただきまぁーす!」

 撮影もそこそこにして、私たちは至福の一時へ。

 一口食べただけで頬が落ちそうになった。

「美味しいっ!」

「これを作れるなんて……すっごくない? 杏」

「スイーツ系アイドルを名乗るだけのことはあるわね。正直、驚いたわ」

 お店に売ってるのと比べても、遜色ないっていうのかな? 杏さんやリカちゃんはもちろん、奏ちゃんと咲哉ちゃんも頬張っては頷くの。

 輝喜ちゃんは完全勝利に酔いしれてた。

「ふふん、どーお? キキのケーキの味は。ママのお店だって、今にもっと大人気にしてやるんだからっ」

 杏さんはズレた相槌を打ち、リカちゃんが突っ込む。

「そ、そうよね。ママって呼ぶ子だって……」

「お菓子屋さんの話をしてるんだってば」

 相変わらず那奈ちゃんはにこにこ。

「それよりキキちゃん、咲哉ちゃんに挨拶しとかなくっていいの? 大ファンでしょ?」「ちょ――ちょっと、ナナぁ?」

「ココちゃんも。あんなに玄武リカちゃんのこと好きだったのにー」

「うわあああっ! いっ、今言うことか? それ!」

 輝喜ちゃんと小恋ちゃんは真っ赤になって、慌てふためく。

 玄武リカも九櫛咲哉も昔から有名だもんね。ふたりは苦笑しつつ、年下のファンにベテランならではの余裕を見せつけた。

「あとで握手したげよっか? サインのほうがいーい?」

「パティシェルのセンターに応援してもらえるなんて、嬉しいわ。うふふ」

「そそっそ、そんなんじゃないのおっ!」

 輝喜ちゃんの照れ隠しが爆発する。

 もしかして、このパーティーもリカちゃんや咲哉ちゃんとお近づきになるために?

 パティシェルのマネージャー、綾乃さんは紅茶片手に溜息をつく。

「まったくもう……私ひとり悪者にしてくれちゃって」

「悪者ではありませんけど、曲者ってことは自覚してくださいね」

 聡子さんのフォローは切れ味が鋭いなあ。

「夏のアイドルフェスティバルで会えるよね? 輝喜ちゃん」

「と、とーぜん! こっちは去年も出てるんだから」

 事務所は違えど、こうしてNOAHとパティシェルは親しい間柄に。次回のコスプレ企画に向け、またも両方のマネージャーが奔走してくれるのだった。


 そして運命の朝――。

 エンタメランドにてパティシェルのステージが催される週末がやってきた。

 だけど私たちは遊園地へ出発することもせず、玄関先で呆然とする。

「あーあ……これじゃ、ステージは無理でしょ」

「今日は夜までこの調子ですって」

 まだ杏さんやリカちゃんは冷静に現実を受け止めてた。

 本日は生憎の土砂降りで……午後からはさらに雨足が強くなる見通しなの。遊園地の野外ステージも使えないみたいで、聡子さんのケータイに連絡が入る。

「はい、はい……わかりました。パティシェルのイベントは中止だそうです。大雨警報が出てますし、ファンのみなさんの安全に配慮して、と……」

「残念ね。奏ちゃん、あんなに楽しみにしてたのに」

 垂れ込める雨雲、降り注ぐスコール。

 その前でくずおれる奏ちゃんに、なんて声を掛けたらいいんだろ?

「エンタメランド行きは延期……だね。奏ちゃん、その……元気出して?」

 無情な大雨を眺めながら、奏ちゃんは持ち前のアルトボイスで慟哭をあげた。

「そんなあ~っ!」

 梅雨の空は雨を吐き散らすだけで、何も答えない。

 私もタメにゃんとの握手はお預けになった。


                   ☆


 梅雨の時期は髪が大変なのよ、本当に。

 わたし、九櫛咲哉は今朝も早起きして、まとまらない天然パーマに四苦八苦。黒縁の眼鏡で『渡辺咲哉』となり、聡子さんの車で高校へ赴いた。

 月曜だけあって、クラスメートの千佳ちゃんや由美子ちゃんは気怠げ。

「週末はずっと雨だったねー。咲哉もずっと家で?」

「ええ。スケジュールに穴が空いちゃったから、映画を観てたわ」

「今夜もまた雨らしいよ? はあ~」

 長い雨のせいで、わたしの気分もなかなか上向かなかった。

 次は情報処理の授業だから、休み時間のうちにコンピューター室へ急ぐ。 

 ところが、その道中で思いもよらないメンバーと遭遇したのよ。わたしは足を止め、眼鏡越しに目を丸くした。

「あ、あれって……もしかして?」

 わたしの視線を追いかけ、千佳ちゃんや由美子ちゃんも見つける。

「咲哉は知らなかったの? パティシェル、この春に入学してきたのよ」

「あんなふうに制服着てると、普通の女の子だよねー」

 そう、パティシェルがいたの。春日部輝喜ちゃん、尾白小恋ちゃん、百武那奈ちゃんのトリオが、わたしと同じ制服を着て、高校生活を満喫してる。

「キキ、こっち寄れって。二年生が通れないだろ」

「へ? あっ、ごめんなさーい」

 小恋ちゃんに促され、輝喜ちゃんがわたしたちに道を空けてくれた。

 わたしは内心はらはらしつつ、パティシェルの面々の前を横切る。NOAHの九櫛咲哉だって、ば、ばれたりしないかしら……?

 不意に那奈ちゃんが声をあげた。

「……あれぇ? 先輩、どこかで……」

 まじまじとわたしの横顔を見詰め、意味深に微笑む。

 不思議そうに千佳ちゃんは首を傾げた。

「えっ? 私?」

「そんなわけないじゃん。応援してるからねー」

 由美子ちゃんはさり気なく便乗して、アイドルに声を掛ける。

「ありがとうございますぅ。んふふ」

「早く戻ろ、ココ、ナナ。次の先生ってばウルサイんだもん」

「そーだな」

 輝喜ちゃんと小恋ちゃんはわたしに気付かず、早足で去っていた。

 でも――那奈ちゃんだけは振り返り、唇の前で『しー』っと人差し指を立てる。

(今日のところは内緒にしといてあげるね。九櫛咲哉ちゃん)

 結依ちゃんが那奈ちゃんのこと『要注意』って言ってたの、わかった気がした。わたしは伊達眼鏡を押さえつつ、顔を引き攣らせる。

 学校ではなるべく近づかないほうがいいみたいね……。

「行くよー? 咲哉」

「あ、うん」

 憂鬱な梅雨は続く。










ご愛読ありがとうございました。

次回より玄武リカ編『ハヤシタテマツリ』がスタートします。

NOAHの全国ツアーは初っ端から波乱の展開に……?

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