第203話
みんなで話し込むところへ、マスターがコーヒーとクッキーを運んでくる。
「お待たせしました、お嬢様がた。ごゆっくりどうぞ」
濃厚な珈琲豆の香りが漂った。
咲哉ちゃんがフレッシュを少し足し、その香りを煽る。
「いい香りね。いつもは紅茶だから新鮮な気分よ」
お砂糖は入れなかった。リカちゃんと杏さんはごくりと息を飲む。
「そ、そーよね? せっかく本場のコーヒーなんだし、砂糖は入れないほうが……」
「リカの言う通りよ。ありのままの味と香りを楽しみましょう」
カロリーを意識しちゃってるんだろーなあ、ふたりとも。
モデルの咲哉ちゃんは多分、それを無意識にこなしてた。お砂糖の存在に気付いてるかどうかも怪しいくらい。
こうなっては当然、私もお砂糖には手が出せなかった。フレッシュだけを頼りにして、真っ黒なコーヒーをココア色くらいに染める。
ところがフレッシュにさえ手をつけない猛者がいたの。奏ちゃんはお砂糖やフレッシュに目もくれず、ブラックコーヒーに口をつけた。
「奏ちゃんって、ブラックで飲むんだ?」
「……あぁ、コーヒーのことね」
コーヒー以外に今は黒いものなんて……こっちも無意識にやってたみたい。
杏さんが怪訝そうに尋ねる。
「苦くないの?」
「コーヒーはそれなりに苦いものでしょ」
お砂糖を入れない咲哉ちゃんに、コーヒーはブラックで嗜む奏ちゃん。ふたりは今後もNOAHの格式を高めてくれるに違いなかった。
甘さ控えめのクッキーが、これまたコーヒーに合う。
「咲哉、ほかに足りないものはない?」
「大体は揃ったわ。あとは……これ、マイカップかしら」
「じゃあ、帰りに見ていこうよ」
お店の中ではジャズがささやかに流れてた。
お買い物の内訳を報告しあったところで、リカちゃんが切り出す。
「で……咲哉のお披露目って今月の下旬よね。ライブの予定なんてあったっけ?」
奏ちゃんは淡々と答えた。
「ミュージックプラネットで発表するのよ。咲哉の持ち歌と一緒に」
私と杏さんは瞬きがちに顔を見合わせる。
「寮で流してる、あれよね? 結依」
「はい。聡子さんのやつです」
マネージャーの聡子さんは大学生の頃、一時期だけアイドルをやってたそうなの。その時に作ってもらった曲が、咲哉ちゃんのデビューソングに決まった。
タイトルは『ReStart』。
「こないだも『お節介なFriend』のダンス憶えたばっかなのに、またあ~?」
「夏まではこの調子でしょうね。体調管理には気を配らないと」
歌詞はすでに出来上がってて、曲のほうも作曲家さんが調整してくれてる。
「早く歌いたいなあ……」
「明日から嫌ってほど歌えるわよ、リーダー」
それはさておき、ずっと気になってることがあった。
アイドル時代の聡子さんはデュオで活動してたみたいで。私のケータイに入ってる当時の動画でも、聡子さんの隣に『もうひとり』いる。
「ねえ……これって、誰なの?」
みんなも一様に首を傾げた。
「VCプロに所属してるタレント……だったら、わたしたちも知ってそうよね」
「聡子さんって昔はバイトだったんでしょ? バイト仲間じゃない?」
「なるほど。それなら今はVCプロにいなくても、別に不思議じゃないか」
ただ、咲哉ちゃんだけは何かを思い出そうとする。
「あのひと、どこかで見かけたような気がするのよ。お仕事だったか、事務所だったか」
聡子さんと一緒に歌ってる、謎めいた人物。
「動画持ってた怜美子さんなら知ってるんじゃないのぉ? 結依」
「え? 私が聞くの?」
怜美子さんが素直に教えてくれるとは限らないから、この件は保留とした。
奏ちゃんは悠々とブラックコーヒーを呷ってる。
「ところで……あんたたち、作詞のほうは仕上がってんの?」
井上社長からじきじきに指示があったのは、先月の末のこと。新曲の製作に先駆けて、メンバーごとに思い思いの歌詞を書いてみなさい、ってね。
リカちゃんが鼻を高くする。
「ふふん。アタシのはもう出来てるわよ」
「宿題もろくにやってないあなたが? 珍しいこともあるものね」
杏さんも仕上がってるよね、絶対。
この話題を提供したはずの奏ちゃんは、コーヒーに溜息を落とす。
「曲がないのに書けって言われても、ねえ……」
「寮に帰ったら、みんなの歌詞を聞かせて欲しいわ」
自信はないけど、私のも形にはなってた。
「あとで発表会だね」
「微妙な空気になるやつよ? それ」
自作ポエムの発表……あ、地雷踏んじゃったかも。
はこぶね荘へ帰って、お夕飯のあとも私たちはリビングで寛ぐ。
「それじゃあ、先にお風呂いただきますねー」
聡子さんは一番風呂へ。
奏ちゃんと咲哉ちゃんはお部屋から自分のノートパソコンを持ってきてた。
「へえ~。意外にがっつりしたやつ使ってんのね、咲哉」
「画像データを編集するから。デスクトップも考えたんだけど」
「あれはあれで、場所を取るのがね」
パソコンかあ……。私もタブレットくらいは持ってたほうがいいのかな。
「杏さんも持ってましたよね、パソコン。何に使ってるんですか?」
「調べ物とか、通販とか……たまに使う程度よ」
澄まし顔の杏さんにまたまたリカちゃんが茶々を入れる。
「はは~ん。いつの間にかエッチな下着が増えてると思ったら、通販で……」
「買ってないわよ! そんなものっ!」
そしてまんまと乗せられちゃうのが、杏さん。
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