第168話
その夜、わたしはおよそ一年ぶりに元マネージャーの菊池さんに電話した。
近況を報告すると、明るい声が返ってくる。
『ずっと気になってたんだよ、咲哉ちゃんのこと。もう大丈夫みたいだね』
「ご心配お掛けして、本当にすみません」
『咲哉ちゃんが元気なら、それでいいさ。でもまさか、井上先輩のVCプロだなんて……奇遇だなあ。僕が今担当してる玄武リカちゃんも近々、そっちに移籍するんだ』
菊池さんはマーベラスプロへ入社して間もない頃、井上さんにはとてもお世話になったんだって。だからVCプロのこともよく知ってた。
『リカちゃんと会ったら、仲良くしてあげて欲しいな』
「もちろんです。はい……それでは、また」
わたしは電話を切り、ベッドで仰向けになる。
夏休みは蘭さんのブティックでお仕事しながら、ステージ衣装の構想を固めて……クレハ・コレクションへの応募作品も仕上げないとね。忙しい夏になるわ。
ステージ衣装については、実際にコンサートへ足を運んでみようと思ってるの。このことを相談したら、井上さんが観音玲美子のライブのチケットを融通してくれた。
わざわざ蓮ちゃんの分までね。
「衣装のほうはそれで固めるとして……」
問題はクレハ・コレクションへの応募作品だった。
VCプロ所属のデザイナーとして、エントリーは済んでる。ブティックの従業員として応募してもよかったみたいだから、意外に門戸は大きく開かれてた。
それだけに、応募の総数は結構な数になるはずよ。たった一ヶ月のうちに四次まで選考するなんて、審査するほうも本当にできるのかしら。
当然、珠玉の作品が集まるでしょうね。
でもって、クレハ・コレクションは奇抜な洋服を好まない傾向にある。ケレン味があるのはいいにしても、いわゆる一発ネタは相手にされないのよ。
蘭さんも言ってたわ。大胆な発想ほど、緻密な計算のうえに成り立つって。
応募するとは決めたものの、やっぱり戦えるとは思えなかった。わたしは天井にてのひらを向け、蛍光灯の眩しさに目を細める。
「……ううん。後ろ向きになっちゃだめ、九櫛咲哉」
それでもクレハ・コレクションに挑まないことには、心の整理がつかないって、わかってた。結果は別として、もう一度スタートするために。
とりあえずはコンサートの見学ね。夏休みに入ったから、時間はある。
☆
SPIRALのコンサートは菊池さんがチケットをまわしてくれたの。マーベラスプロでは敏腕マネージャーで通ってるから、さすがね。
お金なら払いますって、言ったんだけど……。
『いいから。僕も少しくらい咲哉ちゃんに協力したいんだ』
アイドルのコンサートなんて初めてだったから、圧倒されちゃったわ。
でもわたしより、一緒に見に行った蓮ちゃんのほうが、SPIRALにはすっかり心を奪われてる。今日は観音玲美子のライブなのに、話題はSPIRALのことばかり。
「観音玲美子も好きだけど、やっぱあたしの一番は有栖川刹那かな~。同じL女の先輩だし、すっごく綺麗なんだもん」
言葉通り彗星のごとく現れて、今やトップアイドルに君臨してるのが、SPIRALの有栖川刹那。彼女もマーベラスプロのアイドルよ。
ただ、謎の多い人物でもあった。出身地は不明で、経歴も一切が謎に包まれてる。
アイドルって駆け出しの頃は地道な活動がほとんどで、ファンも数十人がいいところ。なのに有栖川刹那には、そういった下積みの時期が存在しないの。
ある日突然、彼女は三人のメンバーを連れ、歌番組に出演した。そして爆発的な人気を博し、今や不動の地位を得てる。
「それより今日は観音玲美子でしょ? 蓮ちゃん」
「えへへっ。もちろん、みねみーのライブも楽しみにしてるってば」
一方で『みねみー』こと観音玲美子には、花開く前のキャリアがあった。
男の子向けの美少女ゲーム……よくわからないけど、恋愛がテーマらしいわ。これのメインヒロインを演じてたのが、観音玲美子なの。
彼女は声優としてデビューし、その驚異的な演技力から大いに注目された。ゲームのみならずアニメでも引っ張りだこになって、大活躍だったのよ。
えぇと……なんだったかしら、ツンデレ? ツンデレを演じさせたら右に出る者なし、と絶賛されてた。
それに加え、歌唱力も素晴らしかったんですって。
わたしはド級の音痴だから、ゲーム以上にわからないんだけど……。ゲームの主題歌がチャートで一位になるなんて前代未聞のこと。
ところが――彼女が主演を務めてた美少女ゲームのほうで、大事件が発生したのよ。
イベント会場で発表されたゲームの続編が、ことごとくユーザーを裏切る仕様だったのね。それを開発サイドは『バカ受けする』と思って、大見得切ったわけ。
大胆な発想こそ緻密な計算に基づくべき――蘭さんの言った通りね。
かくしてイベントは大失敗、ユーザーの一部は罵詈雑言さえ憚らなかった。そんなステージに観音玲美子はたったひとりで立たされて……歌えるわけがないでしょう?
それきり彼女は声優を引退してしまった。惜しむ声もあったけど、無理のないことだと思うわ。アイドルへ転身してからは破竹の勢いで活躍してる。
挫折からの復帰ね。
少なからず今のわたしと重なる部分があって……だから、わたしはSPIRALよりも観音玲美子のコンサートに期待を抱いてた。
それだけじゃない。本日のライブで彼女が着る衣装は、あの呉羽陽子が手掛けたというの。陽子さんがアイドルのステージ衣装に関わってたなんて、信じられないけど。
「今回も席は前のほうなんでしょ?」
「そのはずよ。井上社長には感謝しないと」
にしても、どうしてVCプロの井上さんが観音玲美子のコンサートのチケットを? 観音さんはマーベラスプロ所属のアイドルなのにね。
コンサート会場のドームは大勢のファンでごった返してる。女の子も多いわ。
さすがに眼鏡の地味子じゃ浮きそうだから、今日はハーフグラスの眼鏡に替えてみた。髪と洋服も蓮ちゃんと遜色ないくらいには飾りつけてる。
そんなわたしを眺め、蓮ちゃんが呟いた。
「咲哉さんも綺麗だなあ……。そーいうの着てるほうが、絶対いいですよ」
「そうなんだけど、ね。普段はなるべく目立ちたくないの」
我ながら矛盾してるのは、わかってるつもりよ。
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