第163話

 音楽の授業はチャイムが鳴る少し前に終わり、わたしたちは一年一組の教室へ急ぐ。次の時限は体育だから、早く着替えないと間に合わなかった。

 しかしわたしはスポーツバッグを抱え、化粧室へ。

 まだ馴染みの薄いクラスメートは、不思議そうに首を傾げる。

「渡辺さんってさあ、いつもひとりで着替えてるよね。なんでだろ?」

「身体に大きな傷があるから、見られたくないらしいよ」

 団体行動を乱すことはとにかく目をつけられる――それは中学時代、身をもって思い知らされた。どんな理由があれ、『自分勝手』は空気を悪くしちゃうのよね。

 でも高校のみんなは大人になったせいか、寛容でいてくれた。

「気にしないで、渡辺さん。こっちももう小学生じゃないんだからさ」

「ありがとう」

 本当は傷のほかに、みんなの前で伊達眼鏡を外したくないって理由もあるんだけどね。

 体育館へ集合したところで、チャイムが鳴り響く。

「音楽の次が体育って慌しくない? もうちょっと考えてくれればいいのに……」

「喋ってないで、授業始めるわよー!」

 今日の体育は先週に続いてバレーボールだった。

 クラスメートは4チームに分かれ、ふたつの試合を並行して始める。

「渡辺さん、お願い!」

 仲間のトスに応じ、わたしは力いっぱいに跳躍した。そしてジャンプの最高地点でボールを仰ぎつつ、渾身のスパイクを放つ。

 ボールは相手チームのフォーメーションをすり抜けるも、ラインをオーバー。

「あ~、惜しいっ!」

「助かった……取れないってば、あんなの」

 得点にならず、こっちのメンバーは『ドンマイ』と励ましてくれた。

「ごめんなさい。コントロールはどうも苦手で……」

「いいって、いいって。ただの授業なんだし」

 やがて試合は終了、僅差でわたしたちのチームの負けね。

 勝機はあったんだけど、このチームは今ひとつ面子に恵まれなかった。わたしもノーコンの気があって、何度もチャンスを逃してる。

 もう一方の試合はまだ続いてた。休憩がてら、みんなでゲームの成り行きを見守る。

 汗を拭ってると、クラスメートの武田さんが声を掛けてきた。

「渡辺さんってスタイルいいよねー。眼鏡外したら化けるんじゃない?」

 内心ぎくりとしながらも、わたしは平静を装う。

「そんなことないわよ」

「そお? まっ、無理強いするつもりはないけど」

 武田さんはわたしの隣に座り、凡戦の割に長引くバレーボールを眺めた。

「ねえ……渡辺さんってさ? ぱっと見はガリ勉のタイプだけど、意外に面白いよね。びっくりするくらい音痴だし、でも運動神経は抜群だし……」

 洞察めいた言葉が、漠とした不安をもたらす。

「ひょっとして、わたし浮いてる?」

「ううん。単に見た目じゃわかんないなあって話」

 そんなわたしの胸中をよそに、武田さんは淡々と語り始めた。

「高校生になったからかな? みんな、あんまりひとを見た目ひとつで判断しないんだよね。相性が悪そうでも、思いきって話し掛けてみたりして……私もほら、今こうやって渡辺さんと話してるでしょ」

 わたしたちは同じ高校へ入学して、初めて出会ったんだもの。クラスメートは全員がゼロからのスタートを余儀なくされ、誰と友達になれるやも知れない。

「それって失敗したくないのよ、多分。中学まではさ、長いと九年も一緒の子がいるわけじゃん? お互い子どもの時分から知ってるし、加減とか利かないから、平気でハブったり、誰かがハブってんの見かけたり……」

 わたしが中学で経験した、あのギスギスした空気のことね。

 自分たちと違うものは頭ごなしに『異常』と決めつけ、同調圧力で叩く。卒業式の朝に見た、あの下駄箱の有様がすべてを物語ってたわ。

 モデルになって応援してもらえたのは、最初のうちだけ。

 幼馴染みの薫子ちゃんは傍にいてくれたけど、それだって、本当は伏見くんをわたしに奪われまいとしてのこと。

そしてクラスメートはわたしを陥るため、薫子ちゃんに味方したの。

 もう二度とあんな学校生活を送りたくはなかった。被害者としても、加害者としても。

 武田さんは自嘲の笑みを浮かべる。

「そういうのが嫌で、みんな、高校でこそ大人になろうって……あはは、ごめんね? 急に変な話しちゃったりしてさ」

「……ううん。武田さんの言いたいこと、なんとなくわかるわ」

 自分の味方ないし部下だけを傍に置いて、安全を確保する――もうそんな子どもじみた真似は通用しないのよ、わたしたちは。

 ちゃんと自分の顔で、自分の言葉で、自分の心で前に進まなくちゃならない。

 そうしないと、きっと中学時代の二の舞になるから。


 放課後はスポーツジムに寄って、日課のトレーニングに励む。

 背中の痕とは別の、モデルを続けられなくなる理由が欲しい――そう思ったのが始まりね。必要以上に鍛えて、プロポーションをあえて破綻させてやろうと思ったわけ。

 それに身体を動かしてさえいれば、気分も落ち込まずにいられたの。

 ちょうど空いてたベンチプレスで汗を流す。

 息は乱れがちでも、頭は冴えてた。その頭で井上さんの言葉を反芻する。

『アイドルになるのよ』

『ステージ衣装を作ってみない?』

 これ、わたしの夢と一致してた。自分で仕立てた服を着て、カメラの前に立つこと。

 実際にアイドルになるかはともかくとして、わたしはステージ衣装のお仕事に魅力を感じ始めてる。けど、同時に二の足を踏んでもいた。

 本当にそれでいいの?

 妥協のようにデザイナーの道一本に絞って、納得できる?

 だけど、あの事故からもう一年も立ち止まってるのよ。モデルやデザイナーとしては無為な日々を過ごし、ブランクは長くなるばかり。

 早く戻らないと……でも、どうやって?

 そんなわたしにとって、井上さんのお誘いはまさに僥倖だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る