第159話
それ以降はお仕事を理由にして、中学にはほとんど行かなくなったわ。
二学期の期末からは試験も受けてない。
あの融通の利かない生活指導の先生だけが真実に勘付いたのが、悔しかった。
「九櫛、お前……ひょっとしてイジメられてるんじゃないのか?」
それからは先生もうるさく言わなくなったわね。
そして卒業式の朝、数ヶ月ぶりに学校へ行くと、下駄箱にはゴミが詰め込まれてて。わたしはもう教室へ行く気も失せて、下駄箱を思いきり蹴りつけてやった。
それを偶然にも目撃したのが、あの子。
「咲哉ちゃ……」
「もう会うこともないわ。さよなら」
わたしが悪かったの?
同世代のみんなより先に夢を見つけて、邁進してただけなのに?
僻まれた。疎んじられた。挙句の果てには『他人の彼氏を横取りする悪女』なんてふうに噂されて、わたしの学校生活はズタズタよ。
唯一の救いは、すでに将来への道が開かれていたこと。
わたしは順調に芸能学校への進学を果たし、新しい春を迎えた。
今度は失敗しないわ、絶対に。
周囲を下手に刺激しないように、お利口に立ちまわるの。仕事上のライバルも多そうだから、競争心を剥き出しにしたりせず、学校では平穏無事を心掛ける。
幸いにして、芸能学校でわたしは教師や仲間に快く受け入れてもらえた。
「まさか、あの九櫛咲哉と同じ学校とは思わなかったわ」
「本当に私と同い年だったのね」
モデル志望はほかにもいるから、わたしだけ悪目立ちすることもない。デザイナー方面の友達もできて、学校が楽しくなってきた。
「あと一年生まれるのが早かったら、天下のクレハ・コレクションに出場できたかもしれないのに。去年は結局、お話が来なかったんでしょ?」
「あれはマスコミが勝手に騒いでただけなのよ」
高校生になれば、ファッション界をリードする、あの『クレハ・コレクション』へ参加できる可能性もある。その時こそ自分がデザインした洋服で――。
正直なところ、期待はあった。
ファッション誌のRENAも九櫛咲哉の芸能界入りを特集してるもの。
追い風のように、服飾デザイナーの道でも転機が訪れつつあった。
一流のデザイナーにして、ブティックの経営にも携わってる真井舵蘭(まいだらん)さんが去年、わたしに声を掛けてくれたの。
「あなたのデザイン、面白いわね。どう? うちで企画やってみない?」
「え……でもわたし、まだ学生なんですけど」
「そんなこと言ったら、私だって大学生よ。ほら……この下着のシリーズなんて、私の弟がデザインを起こしてるくらいだし」
「……はい?」
その件は聞き流しつつ、わたしは蘭さんのもとで企画に携わることに。
モデルとしてどんな洋服を求めるか――それがわかるのが、わたしの強みだった。もちろんボツも多かったけど、蘭さんは毎回、ちゃんとわたしのラフを吟味してくれて。
「このチュニックは寒色系でもよさそうね。例えば、こんなふうに」
「なるほど……そっちは考えてませんでした」
仲間も増え、お仕事のない日はデザインを持ち寄ることも。
「今日のテーマは爽やか系パンツルックよ! みんな、ちゃんと描いてきた?」
「わたしはこの二点よ。でも、靴をどうするかが決まらないの。最初はパンプスしかないって思ってたのに、ミュールもだんだんよくなってきて」
「どれどれ、見せて? ……う~ん、どっちも捨て難いなあ……」
中学時代に失ったものを、いつしか取り戻していた。
小学生の頃は落書きのレベルでしかなかったものも、一丁前のラフになって。おかげで絵も上手くなっちゃったわね。
「明日は仕事? 咲哉」
「ええ。サマードレスの特集をやるのよ」
「こっちはクラスでメイクの見学~」
お仕事を優先して抜けるのも、芸能学校だから気が楽だった。
そして五月に入り、ゴールデンウィークが明けた頃。わたしは仕事先で、ファッション界きっての大物と顔を会わせた。
呉羽陽子(くれはようこ)。その名の通りクレハ・コレクションの主催者よ。
クレハ・コレクションは年に一回、十月に催されるわ。毎年、実力派のモデルとデザイナーが集結して、ファッション界をリードしてるの。
陽子さんはサングラスを外し、わたしをまじまじと見据えた。
「あなたが九櫛咲哉さん、ね。噂は聞いてますわ」
「あっ、はい。初めまして……」
わたしは緊張しつつ、陽子さんの意味深な視線に耐える。
クレハ・コレクションに出場するには、呉羽陽子さんからじきじきに指名されるほかなかった。こうして今日わたしの職場に現れたのも、多分わたしを査定するため。
陽子さんはふいと目を逸らすと、サングラスを掛けなおした。
「その調子で頑張りなさい。期待してるわ」
「は、はい……」
唖然とするわたしを置き去りにして、ファッション界の先駆者は早々と去っていく。
今の話を聞いてたスタッフさんたちは興奮気味にまくし立てた。
「もしかしたら、咲哉ちゃん、呉羽陽子のお眼鏡に適ったんじゃないかい?」
「あの呉羽さんがじきじきに応援に来たのよ? これは脈アリね」
だけど、わたしは素直に喜べなかった。
わたしを一瞥した時の、陽子さんの冷めきった表情。あの目はわたしに稀有な価値なんて認めてない。まるで『普通のモデルね』とでも言いたげだったから。
中学時代の過酷な経験のせいか、わたしはひとの思惑や内心というものに、すごく敏感になってる。感情の揺れ具合がなんとなく読めてしまうの。
「可能性は低いと思います……」
「謙遜することないよ。じきに具体的な話が来るさ」
太鼓判を押されたものの、不安は拭いきれなかった。
モデルのお仕事は順調で、デザイナー仲間とも上手く行ってる。なのに、今しがた呉羽陽子さんに感じたのは、絶対的な距離――。
カリスマ『中学生』ファッションモデルは、もう高校生になった。
すでにわたしは武器のひとつを失ってるのよ。
名を馳せたはずの子役がお払い箱になるように、わたしもいずれ、活躍の場を追われるんじゃないかって……。
それを予見したからこそ、陽子さんはわたしを認めなかった。だとしたら。
そんな気持ちを抱えつつ、梅雨のシーズンを迎える。
この時期はくせっ毛が湿気るせいで、気分も乗らなかった。それでも仕事は仕事、菊池さんの車でスタジオへ赴く。
スタジオには馴染みのない女性がいた。菊池さんが彼女に気付く。
「あれは井上さんだよ。何年か前にマーベラスプロから独立したんだ」
「バーチャルコンテンツプロダクション、の?」
「よく知ってるね。その『VCプロ』の社長さんでね」
余所の事務所の社長さん、か。
メジャーのマーベラスプロに対し、インディーズの会社を立ちあげたひとがいるって、噂で聞いたことがある。
でも、わたしには関係のないこと。
あとで挨拶だけしておけば、問題ないかしら?
「撮影を始めまーす! 咲哉ちゃん、そろそろ入ってー!」
「はい! すぐに行きます」
いつものようにモデルのスタイルで、わたしはカメラの前に立つ。
ファッションモデルの九櫛咲哉になる、この瞬間が好きだわ。
「目線、こっちー」
「腕をのけてくれるかな? そうそう」
カメラにわたしがどう映ってるか、感覚でわかる。
このあとは確か……夏の新作を着て、プロモーションビデオの撮影ね。
そんなふうにお仕事に集中してた矢先、誰かが大声をあげた。
「危ないっ!」
何が、とスタッフは全員が首を傾げる。
わたしも何が危ないのか、まったく気付かなかった。
「上よ、九櫛さん! 逃げてっ!」
声を出したのは井上さん。
井上さんはスタッフを押しのけ、わたしの頭上を指差して――。
次の瞬間、重力がひっくり返った。何が起こったのかわからず、わたしは放心する。
……身体が動かない?
大きなものがわたしの背中に乗っかってる。
「うわああああっ!」
「きゃああ! さ、咲哉ちゃんが……!」
スタッフはパニックに陥ってた。
「井上さんもだ! 腕が……はっ、早く救急車を!」
「手を貸してくれ! 咲哉ちゃんが下敷きに!」
突然の事故。
身体中が痛くて、痛すぎて――意識が遠のく。
……わたし、どうなって……?
声のひとつも出なかった。
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