第100話

 結依との出会いが、ふたりに大きな契機をもたらしている。

「新しく入った子は? カナちゃんって子」

「奏さんですか?」

 朱鷺宮奏の話になると、旭が感心気味に頷いた。

「いい曲を書くし、歌唱力もこれからが楽しみだね。それに声優としての仕事も、なかなかよかったよ。本人には『及第点』としか伝えてないが」

「あの子が? そんなに?」

 理由は彼女の『声の低さ』にある。

 女性の声優は大半が甲高い声域を武器にしていた。そのため、演技力やキャラクター性に独特の強みがないことには、抜きん出るのは難しい。

 半面、声が低いとライバルも少なかった。藤堂旭が声優方面で重用されるのも、競合相手と熾烈なパイの取り合いにならず、チャンスに恵まれてきたおかげ。

「聞いた話だと、芸能学校では持て余されてたみたいだが……」

「そーいうのを掘り当てちゃうのが、井上さんの怖いところよねー」

 玲美子はビールのおかわりを注文しつつ、上機嫌に鶏の唐揚げを頬張った。

「また油ものばっかり……太りますよ?」

「え? 誰が? 私が?」

 大手芸能事務所の社長の姪っ子でも、世の不公平を感じずにいられない。観音玲美子はどう見ても『太る食べ方』なのに、脂肪という名の呪縛から解き放たれていた。

 玄武リカや朱鷺宮奏、明松屋杏にしても。杏などダイエットを意識する割に、過ぎるも欠くもないプロポーションを誇っている。

 そしてNOAHのリーダーも。

「正直なところ……みなさんから見て、結依さんはどうですか?」

 蓮華は静かにかぶりを振った。

「まだ何とも言えないわ。わたし、結依ちゃんとは一緒にお仕事したことがないもの」

「同じく。デビュー曲は僕が作曲したわけだから、聴いてるけどね」

 御前結依については旭も評価を留める。

「あれを聴いた分には、悪くはなかった。存在感はあるとも」

 実際のところ、聡子も同じ感想に行き着いていた。

 NOAHのデビュー曲『RISING・DANCE』はダンスが主体の曲で、歌は二次的なものとなる。そこには松明屋杏の一強にしたくない、という思惑もあるとか。

 しかしCDで歌だけを聴いても、結依の歌声が杏の歌声に飲まれることはなかった。リカの声も絶妙なアクセントとなって、曲を引き立てている。

 泡の残ったグラスを見詰め、玲美子は不敵な笑みを浮かべた。

「面白いわよ、結依ちゃんは。才能が開花するのは、まだ先でしょうけど……」

 意味深な言いまわしに聡子は顔をあげる。

「……まるで、結依さんには才能がある、みたいに言うんですね」

「でなきゃ、井上さんがセンターに選ぶわけないでしょ?」

 企画段階のNOAHは明松屋杏と玄武リカのデュオだったという。しかし井上社長はトリオの構想を捨てきれず、杏やリカにはない個性の持ち主を探していた。

 そこで見つけたのが、御前結依。

 また、結依がいたからこそ、朱鷺宮奏もすぐに馴染んだ。

「凡庸な子なら、NOAHに加えはしなかった……か」

「どんなふうに成長するか、楽しみねえ」

 可能性が未知数のアイドルを、旭や蓮華は興味津々に見守っている。

「とりあえずは夏のツアーに向けて、って感じ? アイドルフェスにはもうエントリー済なんでしょ、あの子たちも」

「もちろんですよ」

 夏の最後を飾る祭典、アイドルフェスティバル。

 すでにNOAHもエントリーし、参加が決まりつつあった。しかし本番のステージでどれだけの時間が与えられるかは、今後の活躍に掛かっている。

 去年のフェスでは、SPIRALが史上最高記録の30分を達成。

 一方で残念ながら、NOAHの人気が現状維持かそれ以下の場合、オンステージは5分ほどしか与えられなかった。

 たった5分では出場したところで『敗者』と認定される。

「アイドルフェスのためにも、次のコンサートで弾みをつけたいんです」

 だからこそ、井上社長は次回のボーダーラインを『六千』とした。

 これは前回の動員数の二倍に当たり、NOAHにとっては大きな壁となる。しかし一度のコンサートで六千人のファンを集められないことには、今後の芽もなかった。

「六千か……少し厳しいな」

「いささか冒険が過ぎるようにも思えるわねえ」

 旭や蓮華は不安の色を滲ませる。

 同じ顔色で聡子は、さらにもうひとつの懸念を吐露した。

「もしかしたら……『渦』に巻き込まれたかもしれなんです」

 ビールに口をつけるのを止め、玲美子は怪訝そうに眉を顰める。

「接点なんてあったの?」

「先日のSPIRALのライブで、結依さん、バックダンサーを務めましたから」

 『渦』とはSPIRALのこと。

 そこで結依が有栖川刹那と接触した――その可能性は高い。

「してやられたってことかい?」

「決してそういうわけでは……ただ、警戒はすべきかと」

 SPIRALの有栖川刹那は、同世代の女性タレントに入れ込むことが度々あった。これまでにも有名、無名を問わず、何人ものタレントが彼女に応援されている。

 もちろん声を掛けられたほうも喜び、有栖川刹那を受け入れた。

 それ自体は構わない。有栖川刹那のほうにも、悪意があってアプローチを掛けている様子はなかった。ところが、これが時に緊張をもたらす。

「前はえぇと……フィリーの子だったかしら」

「その通りです。有栖川さんとのお出掛けが報じられて……」

 SPIRALの有栖川刹那と親密――となれば、話題になるのは必至。

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