第96話

 SPIRALの控え室はガードマンが一対で見張ってた。でも私のスタッフ証に目を通すと、代わりにノックで呼んでくれる。

「有栖川さーん! NOAHの御前さんが挨拶にいらしてます」

「わかったわ」

 しばらくして、控え室の扉がそっと開いた。

 ステージ衣装の上着だけ外した格好の刹那さんが、私を一瞥する。

「わざわざお礼に来てくれたのね。こっちも話したいことがあるから、着いてきて」

「あ、はい」

 私に話したいこと?

 それって宣戦布告とか……玲美子さんの例があるだけに、不安に駆られる。

 刹那さんは私を連れ、スタッフの合間を抜けていった。やがてカメラだらけのお部屋に辿り着くと、長い髪越しに振り返るの。

「疲れてるのに歩かせて、ごめんなさい。ここなら、メンバーに聞かれることもないし、静かに話せると思ったのよ」

 傍らではスタッフが今日の撮影分をチェックしてた。刹那さんには二、三の返事をしたくらいで、あとは黙々と作業に没頭してる。

 刹那さんは適当な椅子に腰掛け、私にも着席を促した。

「今日はNOAHの御前結依に会えるって聞いてたから、楽しみにしてたの。どう? 明松屋杏や玄武リカと一緒のアイドル活動は」

「えぇと……着いていくのが精一杯で。私だけノンキャリアですから」

「気にすることないわよ。ぽっと出の新人が一気にのしあがることも、ある世界だもの」

 社交辞令だよね、多分。ちょっぴり悔しいけど、私たちのNOAHと刹那さんのSPIRALには、歴然たる差があるんだから。

 そんなSPIRALの有栖川刹那が、私に何を……?

「ちょっとね、あなたのダンスが気になって」

「見てたんですか?」

「どの子が御前結依ちゃんかなーってね」

 刹那さんは微笑むと、おもむろに立ちあがり、スタッフのひとりに声を掛けた。

「右端のバックダンサーが映ってるの、見せてくれる?」

「いいですよ。……はい、どうぞ」

 モニターにさっきのライブ映像が映し出される。

 ステージの後ろ、向かって右のほうでは私がリズミカルに踊ってた。多少ぎこちない感はあるものの、悪目立ちするほどじゃない……よね。

「よく見て、結依ちゃん」

「……あっ?」

 そう言われて、はっとした。

 映像の中の私は、ちゃんと顔を上げてる。練習と同じ動きでステップを踏む。

 だけど、立つ位置がずれてしまっていたの。同じダンサーなら一目でわかるほどに。

「こんなに前に出ちゃってたなんて……」

「ああ、怒ってるんじゃないのよ。それより、何か気付かない?」

 不甲斐なさを胸に抱きつつ、私は映像に目を凝らした。

 耳元で刹那さんが囁く。

「自分の目線と、隣のダンサーの目線を見て」

 私はまっすぐ前を向いてた。お客さんのいる方向を、まじまじと。

 その一方で、隣のダンサーや咲哉ちゃんは、ちらちらと別のほうへ視線を送ってた。ステージの中央……じゃない。全員の視線が、刹那さんの背中へ集まるの。

 今になって、私はダンスの先生が言ってたことを思い出した。

 ――ステージは長方形じゃない。円なのよ。

 そして、円には中心がある。

 それがSPIRALの有栖川刹那。

「アイドルユニットのセンターはね、リーダーであると同時に指揮者なのよ」

 刹那さんは髪に手櫛を入れ、はにかんだ。

「指揮者……」

「ええ。メンバーも、バックダンサーも、スタッフも、全員がセンターを起点にするの。まさしくオーケストラの指揮者ね」

 だとしたら、『舞台の一番右で』と考えてた私は、根本的に位置取りを間違ってたことになる。肝要なのは『刹那さんからの距離』だったんだ。

「あなたはまだアイドルになって日が浅いから、知らないのも無理はないわ。けど、NOAHはあなたが素人でいることを許してはくれない……でしょう?」

 刹那さんの言葉が核心に触れる。

 NOAHはメンバーに明松屋杏、玄武リカを迎え、華々しいスタートを切った。

 メンバー全員が横一列に並んで、素人の時代から徐々に登るんじゃないの。デビューコンサートの動員数が二千人の時点で、桁を外れてる。

 だからこそ、センターの私も必死に追いあげて、杏さんやリカちゃんと肩を並べてなくちゃならなかった。

 NOAHのメンバーがステージに立つ時、『円』の中心でいられるように。

 まだまだ未熟な私に、刹那さんがアドバイスをくれる。

「あなたもわたしと同じセンターだから、必要なことだと思ったのよ。明日からはわたしの位置を目安にして、踊ってみるといいわ」

 明日は今日よりも上手に。

「はいっ!」

 この時になって、私はバックダンサーの存在意義を知った。

 主役のために、ステージの上で円を広げること。

 そして主役は――とりわけセンターは、円の中心であり続けるの。

「そうだわ。結依ちゃん、アドレスを交換しない?」

「いいんですか? じゃあ……」

 バックダンサーのお仕事は勉強になったうえ、大先輩(同世代だけど)のアドレスをゲット。私にとっては実りの多い、有意義な経験となった。


 NOAHの御前結依を見送ってから、SPIRALの有栖川刹那は溜息をつく。

「いい子ね、結依ちゃんは。今後の活躍が楽しみだわ」

 聞き耳を立てていたらしいスタッフが、親しげに笑った。

「またお気に入りのアイドルが増えましたか」

「ええ、まあ……」

 さっきのアドバイスに他意があったわけではない。規模や事務所の違いはあれ、同じアイドルとして、また同じセンターとして、純粋に近しいものを彼女には感じていた。

「ほかのメンバーやスタッフには内緒にしててくださいね」

「誰にも言わないよ。お疲れ様」

 刹那は控え室へと踵を返す。

 しかし明日、明後日のライブを思うと、憂鬱だった。

「はあ……ほんと、NOAHが羨ましいわ」

 コンサートで万の数を動員しようと満足できない。客席はいつも九割が男子で、女子の姿は確認も困難なほど。それもこれも、メンバーが巨乳揃いのせいで。

 大人気のアイドルは人知れず毒を吐く。

「男の子なんて……大っ嫌いなのに」

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