第93話

 庭の桜は鮮やかなピンク色に染まってた。

 その立派な枝ぶりを、杏は不思議そうに見上げる。

「本当にもう満開なのね……ほかはまだ咲いてないのに」

 一方で、奏は夢のないことを囁いた。

「骨でも埋まってるんじゃない?」

「ち、ちょっと! 変なこと言って、せっかくのお花見をぶち壊しにしないで」

 そういえば昔、弟が桜の木の傍で鬼火を見たとか、言ってたっけ……?

 お母さんが嬉しそうに微笑む。

「結依さんに杏さん、奏さんだったわね。リカがお世話になっております」

「あ、いえ……こちらこそ、お邪魔しちゃってすみません」

「うふふ、ご丁寧にどうも。それじゃあ、私は奥の部屋におりますので。リカ、ちゃんとおもてなししてあげなさいね」

「はぁーい」

 そんなお母さんを見送りつつ、杏が呟いた。

「リカってお母さん似なのね。顔立ちがそっくりだわ」

「それ、私も思いました」

「へ? あんま意識したことないけど」

 うーん……結依が言うなら、そうかもね。

 縁側越しに綺麗な桜を眺めながら、アタシたちは畳の上で腰を降ろす。

「ありがとう、リカちゃん。こんなに可愛い着物まで貸してくれて」

「お母さんの友達に仕立て屋さんがいてねー。馴染みで注文してるうち、数ばっか増えちゃったのよ。たまには誰かが着てあげないと」

 てきぱきと慣れた手つきで、アタシはお茶を点てた。

 今日が初めての奏は目を点にする。

「ほんとに家元の娘さんなのね、あんた……そんな茶髪のくせに」

「髪の色は関係なくない?」

 もちろん一番にご馳走するのは、リーダーの結依。

「はい。どーぞ」

「えっと……じゃあ、いただきます」

 前に教えた通り、結依はお茶碗に触れ、静かに口をつけた。

 物覚えがいいのよね、結依って。杏や奏があれだけ苦戦してるカメラアピールも、もう慣れちゃったし。演技力もなかなかのものよ?

「次は杏ね」

「ええ。いただくわ」

 続いて杏も作法に則って、お茶を味わった。

 杏には教えてないんだけどなあ……こいつ、わざわざ勉強してきたか。

「ふう……結構なお点前でした」

 お手本みたいに丁寧な所作に、結依は瞳を輝かせる。

「すごいです、杏さん! ひょっとして練習したんですか?」

「少しだけね。リカのお母さんに点ててもらうことになったら、と思って」

 最後の奏は不安の色を浮かべてた。

「知らないわよ? あたし。茶道なんて……」

「何事も経験よ、奏。ほら」

 おーおー、杏ったら、偉そうにしちゃって。

 奏の危なっかしい手つきは、初心者ならではね。

「こ、こう?」

「落ち着いて。どーせ、アタシたちしか見てないんだから」

 それくらいで茶道体験は切りあげて、アタシたちは足を崩した。

 杏がオバサンみたいなことをぼやく。

「たまにはこんなふうに、ゆっくり過ごすのもいいわね」

「お仕事と練習ばっかですもんねー。学校はもう終わったようなものですけど」

「新学期になったら、もっと忙しくなるわよ」

 アタシは結依に寄り添って、春からの新生活をアピール。

「同じ女子高だもんねー、結依! そっちのL女コンビなんて忘れて、一緒にお昼食べたり、遊んだりしよーねっ」

「リカちゃんってば。クラスが同じとは限らないよ?」

 仲睦まじいカップルの誕生を目の当たりにして、杏は悔しがった。

「学校に行くんなら、勉強しなさいったら、勉強」

「リカが勉強するわけないでしょ」

 奏は淡々と先輩に挨拶する。

「それより杏、春からは同じ学校の先輩と後輩になるんだし。一応、よろしく」

「う……。わたしだけ三年生なのね」

 ひとつ年増……もとい年上の杏先輩がうなだれる。

「杏さん、大学受験はどうするんですか?」

「今のところは音楽系の大学で、推薦を受けようかなって思ってるの。もちろん、それなりの成績はキープしておかなくっちゃいけないんだけどね」

 同じL女に通うことになる奏が、不安げに念を押した。

「やめてよ? 成績が十番以内とか」

「……六位だけど?」

 前回の数学が42点、御前結依の怒りが爆発!

「杏さんっ! L女で六位だなんて聞いてませんよ? どーゆうことですかっ!」

 優等生様はたじたじに。

「え? えっ? 何か変なこと言った?」

「謝っといたら? 杏。結依には過酷な現実なんだから」

 この分だと、奏も大変そうね。

 ただ、アタシには『試験の結果で一喜一憂』って経験がなかった。小学生の頃は仕事が忙しくって、ほとんど学校に通ってないし?

 中学からは芸能学校に入ったものの、サボりがちだったもん。

 だからって、先生も何も言わなかったわ、別に。

「リカちゃんは選択科目とか、考えてるの?」

「何それ?」

「世界史か、地理か……とか」

「あー。そのへんは結依と一緒で~」

 そう結依に返すと、杏はこれ見よがしに溜息をついた。

「はあ……。リカのことだから、うるさく言うつもりはないけど」

「放っときなさいって、杏。今さらノーテンキなリカに勉強させるなんて、天地がひっくり返っても無理、無理」

「ちょっとぉ、何よ? ノーテンキって」

 結依がくすっと笑みを零す。

「想像できないなあ……春からリカちゃんと同じ学校だなんて」

「あなたたちは寮から自転車で通うんでしょ?」

 自転車も買っといたわよ。最初は思うように乗れなくて、焦ったけどね。

 杏先輩はしつこい。

「うぅ……せめてわたしも、みんなと同い年だったら……」

「まだ言ってるわけ? お姉ちゃん」

「わたしは三月生まれのうお座なのよ? おひつじ座の結依とはほぼ同い年なのっ!」

 また子どもみたいなことを……年上のくせに。

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