第69話
お弁当は控え室まで奏ちゃんが持ってきてくれた。
「お待たせ、伊緒! 一幕のジゼルは練習よりよかったんじゃない?」
「うん! ありがとう」
こっちは高校生の参加者同士で集まってたところ。バレエはいつから始めたのとか、バレエ教室はどこってお話で盛りあがってたの。
奏ちゃんは席を外そうとする。
「……っと、邪魔しちゃったかしら」
「美園さんの友達なんでしょ? 気にしないで」
みんな一幕の衣装を脱ぎ、お弁当を食べる間はラフな恰好だった。奏ちゃんも交えてランチを食べながら、わたしはひとつずつ質問に答えていく。
「四歳の時から? 上手いわけだわ」
「私なんてスタートが遅かったからさ。すごく羨ましい」
同世代だからこそ、バレリーナとしての葛藤はわたしの胸にも響いた。
「高校生になってからじゃ遅すぎるの、わかってるんだ。さっきだって、中学生のほうが上手で、面食らってたくらいだし……合格枠には入れそうにないなあ、って」
わたしははっとして、食べかけのお弁当に視線を落とす。
今日の合格者は二十九名のうち、たった三名だけ。ここにいる高校生は四人だから、どうあってもひとりは脱落するんだよね。
そんな勝ち負けのある世界なのに、わたしたちは同じ目標を語りあってる。
「劇団員の友達に『さっさと来なさい』って言われて……わたし、やるって決めたの」
「そうそう。この子の友達が『白鳥の湖』で役付き、踊ったのよ」
ちょっと受けがよかったからって、自分が合格できるとは思ってないよ。
高校生で出遅れてるのは、わたしも同じ。今のところ評価は頭ひとつ抜けてるかもしれないけど、オーディションはまだまだこれから。
たった三名の合格者に、わたしが選ばれる保証はないの。
「このオーディション、高校生は毎回、合格者なしってのが通例らしいけどさ。今回は美園さんがいるから、いけるかも?」
「私も合格は狙ってるけどね」
「園部さんも可能性あると思ったわよ」
おしゃべりに興じるうち、二幕の準備を始める頃合いになった。わたしは一度控え室を出て、奏ちゃんにお弁当箱を預かってもらう。
奏ちゃんの真剣なまなざしがわたしを見据えた。
「……あの子たちに遠慮とか、してないでしょうね? 伊緒」
「してないよ。そういうの、考えないようにしてるから」
わたしのことだから、バレリーナ仲間に引け目を感じたりしてるんじゃないかって、心配だったみたい。でもわたしだって、今は自分のやるべきことがちゃんと見えてる。
奏ちゃんは肩を竦めてはにかんだ。
「タフになったわねー、伊緒も。それじゃ、もうあたしのキスは必要ないか」
「いぃ、いらないってば!」
わたしの顔は一秒と掛からず真っ赤に。
男子の部は終わり、女子の『ジゼル』第二幕の審査が始まった。
前半の小学生たちはお題の主旨を飲み込めてないようで、とりあえず振付通りに踊ってる。でも中学生のあたりから、ジゼルの心境を表現しようとする動きが見られた。
死してウィリーという精霊になった、ジゼル。
それは経験不足の未熟なバレリーナにとって、あまりに難問だった。何年か前の『白鳥と黒鳥を演じ分けなさい』ってお題にも匹敵するよ。
みんな、手探りの感は否めなかった。
やがて高校生の番になって、二十八番の園部さんがジゼルを演じる。
彼女は二幕のジゼルを霊的なものとして表現しつつあった。虚ろな表情にもはや生気はない。けれども手足は踊り狂わされるように、動いてるの。
踊り終わった年下のバレリーナたちも、高校生のダンスを眺めるうち、今回のお題の意図に気付き始めた。
「ねえ、ひょっとして……ああいうふうにやらなくちゃ、いけなかった?」
「先生が言ってたの、このことだったんだ……」
このあたりはわたしたち、年長者の貫録を保てたかも。
『それでは二十九番のかた。どうぞ』
いよいよ最後はわたしの番だね。
わたしは墓の下で眠ってるイメージで曲を待ち、おもむろに立ちあがった。
何をしてたのかしら? わたし……。
そうだわ、ロイスとダンスの続きをしなくちゃ。
だけど、ここは暗くて不気味な森の墓場。
墓石にはどういうわけか……わたしの名前が彫ってあった。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
思い出したのは、ロイス、いいえ……アルブレヒトに裏切られたこと。
あれ……本当にそうだったかしら?
でも、アルブレヒトを想うだけで、胸が締め付けられて痛いの。
どうして?
彼のことを考えるだけで、あんなに胸が躍ったはずなのに。
今は苦しい。息もできなくなるほどに。
墓場の女王様、わたしは……忌まわしいウィリーになってしまったのでしょうか?
ウィリーたちは獲物を求め、ヒラリオンを死ぬまで踊らせる。
次に狙われたのは……わたしの恋人。
お待ちください、女王様! アルブレヒトを殺さないで!
いつしか会場は静まり返っていた。
自分が死んだことさえわかっていない、ジゼルの困惑。それでもアルブレヒトを庇おうとする、ジゼルの気迫。わたしのダンスはきっと独自のストーリー性が強すぎた。
愛するひとと一緒に踊り狂おうとするのは、憎悪? それとも絶望? そこには、永遠に結ばれることのないアルブレヒトへの、悲しくも儚い愛があった。
誰も彼も圧倒されたのか、さっきのような拍手は起こらない。
「た……大変よろしいです、二十九番。おさがりください」
審査員に促され、わたしは静かに舞台を降りた。
結果が発表されるまでの三十分は、控え室で待つ。園部さんたちも黙りこくって、やけに長く感じる時間は、秒針のペースでなかなか進まなかった。
アナウンスが入り、わたしたちは再び会場に集合する。
「長らくお待たせ致しました。これよりオーディションの結果を発表致します」
いよいよ発表の時が来た。
「なお合格者は三名の予定でしたが、協議の結果、今回は特別に四名のかたを劇団の候補生として迎えることとなりました」
会場がざわつく。当日に合格者が増えるなんて、初めてかもしれない。
「では、名前を呼ばれたかたは舞台にあがってください」
最初に呼ばれたのは、三番の小学生だった。番号が若い順に呼ばれるみたいで、次は十六番の中学生が選ばれる。
あとふたり。わたしたち高校生のバレリーナは、祈るように両手を合わせた。
受かりたい。でも仲間に落ちて欲しくない――。
「三人目の合格者を発表します。二十八番、園部順子さん!」
園部さんが、選ばれた……?
「うそ……私?」
隣の園部さんは虚を突かれたような顔つきで、感涙を滲ませた。
二十八番が呼ばれたということは、四人目の合格者も決まったことになる。審査員は評価シートを読みあげるのをやめ、わたしに視線を向けた。
「二十九番、美園伊緒さん!」
「は、はい!」
わたしは園部さんと一緒に舞台にあがって、拍手を浴びる。
合格者について、ひとりずつ寸評も述べられた。自分の番になったら一歩前に出る。
「園部順子さんはスタートの遅さを思わせない、安定性に光るものを感じました。ヒロインの心理描写も丁寧で、さらなる成長が期待されることでしょう」
続いて、わたしも歩み出た。
「そして最後の美園伊緒さんは、技術力、表現力ともにずば抜けておりました。ことヒロインの心理解釈において、われわれに興味深いジゼル像を示してくれました」
合格したなんて実感は、まだ湧いてこない。
呆然としてて、頭が働いてくれないの。
「何より、バレエの作品世界に夢中になれる、そのひたむきなスタンスが合格の決め手となっております。美園さんのバレエには情熱を感じずにいられません」
またも大きな拍手が起こった。
客席のほうでは奏ちゃんが得意満面にピースしてる。
そっか……わたし、ほんとに合格したんだ。
プロになるんだ。
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