第67話

     <Kanade・Tokimiya>


 コンサートの時間になるまで、メンバーと一緒に楽屋で待つ。

 相変わらず玄武リカは平然としてるわ。悠々と椅子に腰掛け、足をぶらぶらさせる。

「今日も満員かあ~。それって、やっぱアタシの魅力?」

「まったくもう……お気楽でいいわね、あなたは」

 その一方で、明松屋杏は少しナーバスになってた。それを自分で戒めるように深呼吸を繰り返しては、時計を見詰める。

 そして我らが頼みのリーダー、御前結依はカンペでMCを復習してた。

「ぶつぶつ……ぶつぶつ……」

 ライブ直前の、いつものことながらの光景に、あたしは肩を竦める。

「さすがにもう慣れたでしょ? 今日で何回目のコンサートよ」

「そ、そんなこと言ってもぉー」

 結依ってば、試験勉強で音を上げる時と同じ顔だった。情けないリーダーを見かねて、リカも杏も発破を掛ける。

「テキトーにやっちゃえばいいじゃん。そんなの」

「大丈夫よ。みんなでフォローするわ」

 当然――伊緒もね。

「昨日は『早くステージに出たい』って言ったのに。ふふっ、結依ちゃんったら」

 あたしも伊緒を口を揃え、結依の弱気を突っぱねた。

「ほんと、ほんと。今日まで指折り数えてたの、誰だったっけ?」

「うぐっ。あ、あれはその……」

 楽屋に笑い声が響き渡る。この面子で緊張しろってほうが無理な話だわ。

 間もなく開演の時間となり、結依たちは先に楽屋を出ていく。

 あたしも伊緒と手を繋いで、あとを追いかけた。

「頑張ろうね、奏ちゃん」

「そっちこそ」

 この行く先には、ほらね、光り輝くステージが――。


 そこで目が覚め、肝心のステージを逃す。

「……あーあ……」

 すぐには起きる気になれなくて、あたしは独り言のような溜息を漏らした。

 アイドルになった夢を見てたってわけ。しかも、ちゃっかりNOAHに仲間入りしてる夢よ? あいつらのデビューコンサートだってまだなのに。

 こんな夢を見るくらい、あたし、憧れてるのかしら? アイドルに……。

 でも願望は反映されまくってたわ。玄武リカがいて、御前結依がいて、ろくに話したことないけど明松屋杏がいて。それから――伊緒もいて。

 これが決して夢物語じゃないのよ。あたしは今しがたの夢に手が届きつつある。

 ただ、さっきの伊緒だけは幻に終わるかもしれなかった。あたしと一緒にNOAHのメンバーになって、『お節介なFRIEND』を歌うようなことは……ね。

「もうじき伊緒のオーディション、か」

 とにかく今は応援しなくちゃ。

 誰よりも一番に伊緒の、あの子の可能性を見届けるために。


     <Io・Misono>


 愛しのジゼルのもとに足しげく通うのは、村の青年ヒラリオン。ジゼルのお母さんともすっかり仲良くなって、今日も狩りの成果をおすそ分けにやってきた。

 ――ジゼルには栄養をつけてもらわないとね。

 ジゼルは心臓が弱いから、お母さんはいつも心配してる。

 そんな彼女らの住む、のどかな村へ、身なりのよい貴族が現れた。豪奢な剣とマントを従者に預け、質素な青年に扮する。

 ――可愛らしいお嬢さんだね。ジゼルっていうのかい? 僕はロイスさ。

 ロイスと名乗ったのは、名門貴族のアルブレヒトだった。ジゼルは彼に惹かれ、やがて本気で愛するようになる。

 それに嫉妬したヒラリオンは、ロイスの素性を調べるうち、剣を見つけてしまった。

 ――この剣は貴族のものじゃないか! さては、あいつ……!

 そうとは知らず、ジゼルは収穫祭でアルブレヒトとのダンスに酔いしれる。

 お母さんは心配してた。

 ――心臓が弱いんだから、あんまりはしゃいじゃだめだよ。

 しかしジゼルが踊り疲れた時、事件は起こった。

 ヒラリオンが剣を持って、収穫祭に飛び込んでくる。

 ――みんな、見てくれ! これはそいつの剣だ! その男は貴族だぞ!

 角笛で貴族の一団を呼び、ロイスの正体を暴いてしまうの。アルブレヒトの婚約者バチルダは、何のことかしら、と首を傾げた。

 逃げ場のなくなったアルブレヒトは、開きなおり、バチルダの手にキスを添える。

 ――気にしないでくれ、マイレディー。平民どもの戯言さ。

 真相を突きつけられ、ジゼルは錯乱した。綺麗に結ってあった髪を振り乱し、狂ってしまったように喚き散らす。それほどの激情に、彼女の心臓は耐えられなかった。

 慟哭の中、ジゼルの命が尽きる。


 劇団オーディションの会場でわたしは『ジゼル』のストーリーを読み返していた。ここまでが第一幕で、後半の第二幕からは舞台が森の墓場になるの。

 一幕のジゼルにはバリエーション(ソロで踊るパート)があるけど、二幕にはそれがない。シーンの大半はアルブレヒトとのパドドゥだった。

 だから審査では、二幕のジゼルについてはダンスの技術よりも、ヒロインの心理をどう解釈するか、を重視するはず。

 今日は工藤先生と奏ちゃん、それから響子ちゃんも応援に来てくれた。

「一幕のジゼルでほかと差をつけるって方法もあるわ。美園さん、自信を持って」

「はい! 頑張ります」

 響子ちゃんは半信半疑といった表情で、唇をへの字に曲げる。

「舞台にあがった途端、固まったりしないでしょうね?」

 わたしは奏ちゃんと目配せして、胸を張った。

「大丈夫だよ。この間のコンクールでも、ちゃんと最後まで演奏できたし……」

「やる時はやるのよ? 伊緒は」

「ねーっ」

 響子ちゃんも工藤先生も不思議そうにきょとんとする。

「ほんっと仲がいいわねぇ」

「でも朱鷺宮さんが一緒なら安心だわ。美園さんのこと、よろしくね」

「任せてください」

「それじゃ、私と響子は席についてるから」

 ふたりと別れつつ、わたしと奏ちゃんは会場を見渡した。

 本日のオーディションには小学生から高校生まで、色んな子が来てる。ほとんど女の子だけど、男の子のダンサーも少し混ざってた。

「へえー。あの中から、未来の王子役が出てきたりするのかしら」

「男の子の場合は役が少ないでしょ? だから競争率も高くなっちゃうんだって」

 実際のところ、男子の出番は数えるほどしかないの。『白鳥の湖』でも王子と家庭教師くらいで、あとは三幕の群舞で出るだけだもん。

 だから、こういうオーディションで実績を作るしかないんだよ。

 奏ちゃんが出場者の二、三人に目を留める。

「バレエって子どものうちに始めるイメージだけど……これ、割と中高生もいるんじゃない? あっちの子とか、背も高いし」

「あれはね、多分――」

 劇団の候補生になるには、二通りの方法があった。

 ひとつは響子ちゃんのように発表会などで舞台にあがって、実績を作り、バレエ関係者にアピールすること。将来性のある子にはどんどん声が掛けられるの。

 だけど地方の小さなバレエ教室だと、なかなかそうもいかない。発表会にはそれなりの頭数が必要だし、関係者が見に来てくれるとも限らないでしょ。

 あとはバレエを始めたのが遅くて、舞台経験の絶対数が足りない子とか。

 そこで今日のようなオーディションが開催されるの。激戦は避けられないものの、上位三名には指導者がついたり、即入団なんて可能性もある。

「――っていう感じかなあ」

「大体わかったわ、ありがと。道理で高校生もいるわけね」

 わたしがそう説明してる間も、奏ちゃんはそわそわと落ち着きがなかった。腕を擦ったり、意味もなくケータイを触ったりする。

「どうかしたの?」

「あー、その……伊緒のオーディションなのに、なんか、あたしのほうが緊張してきちゃってね。応援にきたのに、情けなくって……ごめん」

「そんなことないよ。奏ちゃんが傍にいてくれて、すっごく心強いもん」

 嘘じゃなかった。昨夜は緊張のせいで寝つきが悪かったりもしたけど、今はちっとも怖くないの。一曲とはいえコンクールで演奏しきった経験が、わたしを支えてるんだ。

 奏ちゃんは安心したように顔つきを緩める。

「もう準備できてる子もいるし、こっちも着替えたほうがよさそうね」

「うん。行こっか」

 わたしの手提げには衣装が二着入ってた。一幕と二幕で替える予定なの。

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