第66話


     <Io・Misono>


 夕方になる頃には審査の結果が発表され、各バンドに寸評が配られた。

 奏ちゃんがやけに朗らかな苦笑いを浮かべる。

「だめだったわね、二次。最高のステージだったのに、見る目がないってゆーかさあ」

 決して強がりじゃなかった。奏ちゃんはきっと今日の結果に納得してる。

 残念ながら、わたしたちのデュオは二次審査で落選となったの。寸評によれば、着眼点や発想はいいけど、冒険心が足りないって。

「コンパクトにまとめた感はあるもの。見抜かれちゃったわね、伊緒」

「うん。でも、あれ以上の演奏はできなかったと思うよ」 

 あと、奏ちゃんとわたしで実力に差がありすぎるとも指摘されちゃった。キーボードはもっと練習しましょう、だって……。

 コンクールが終わったと思うと、力が抜けてきた。体内時計も動き出したよ。

「お腹空いちゃったなあ」

「あははっ! なんだか気が抜けちゃったわ、あたしも」

 帰り支度をしてるところへ、ナオヤさんたちのグループがやってくる。

 奏ちゃんは眉を顰め、そっぽを向いた。

「何よ? ナオヤ、シンジ」

「そう邪険にするなって。オレたちも二次は落ちたんだしさ」

 ナオヤさんが苦笑する傍らで、シンジさんは投げやりにぼやく。

「あーあ。まあおれたちも、ずっと奏の歌声に頼りきってたからなァ……ここいらが限界だったのは認めるぜ。ひとまず今日のところはよ」

「びっくりしたよ、さっきの歌声には。声が枯れたんじゃなかったんだな」

 奏ちゃんはナオヤさんに向きなおると、鼻を高くした。

「わかればいいのよ、わかれば。ふんっ」

 わたしは心の中で得意になる。

 井上さんは別として、奏ちゃんの声の価値に気付いたの、わたしが一番なんだもん。マーベラスプロのひとも、芸能学校のみんなも、今から知るんだろうなあ。

 アルトの歌姫を。

 VCプロの井上さん、奏ちゃんを引き抜いたことで、恨まれたりして……。

 ナオヤさんはちらっとわたしを見て、提案した。

「夕飯でも食べていかないか? 奏の友達も一緒に」

「え……わたしも、ですか?」

 きょとんとするわたしを庇うように、奏ちゃんが前に出る。

「そういえば、あんた、さっき伊緒に『アドレス教えろ』って迫ったそうじゃない。わたしの伊緒に手ぇ出して、覚悟はできてんでしょうね?」

「は? いや、そんなつも……いてっ!」

 ずっと後ろにいたマリさんが、ナオヤさんのくるぶしを蹴りつけた。

 シンジさんはわかったような顔で呆れる。

「お前なあ……もう観念して、マリにしとけって。こっちも気ぃ遣うの面倒くせえし」

「マリは妹の友達なんだぞ? 手なんか出せるか」

「だからって、伊緒にちょっかい掛けないでくれる? マリもやめときなさいよ、こんなスケベでシスコンのヘタレ」

 笑いが起こった。

 わたしたちは井上さんに報告してから、みんなでお食事へ。奏ちゃん、ナオヤさんたちと仲直りできたみたいで、わたしも嬉しかった。

 二次審査の落選、悔しくないって言えば、やっぱり嘘になる。

 けど、わたしも奏ちゃんもきっと、それ以上のものを手に入れることができた。


                  ☆


 食事のあと、わたしと奏ちゃんは電車で帰宅する。

 井上さんは仕事があるとかで、車で先に帰っちゃったんだよね。それでも今日はわたしたちのコンクールを優先してくれたみたい。

 キーボードとギターも事務所に運んでおいてくれるって。

 やがて駅に着き、わたしたちはいつもの噴水広場に出た。夜空では星が瞬いてる。

 ここで奏ちゃんと一緒にパフォーマンスを練習したおかげで、コンクールの舞台でもちゃんと演奏できたんだよね。あがり症は克服できたと思っていいのかな。

 白い息を吐きながら、わたしは首筋にマフラーの生地を寄せる。

「今夜も冷えるよ。風邪ひかないようにしなくっちゃ」

「まだ伊緒のオーディションが残ってるものね」

 ふと奏ちゃんが足を止めた。

「……あのさ、伊緒」

 奏ちゃんとの距離が近いようで、遠い。

 ほんの二、散歩のはずなのに――まるで鏡に映った自分みたいに思えるの。

「どうしたの?」

「あんたのオーディションの前にさ、ちゃんと話しとこうって……」

 大事な話らしいことは、トーンでわかった。心なしか奏ちゃんの表情が沈んでる。

「決めて欲しいの。あたしと音楽を続けるか、劇団でバレエに専念するか」

 ぎくりとした。わたしは言葉を失い、風が冷たいのも忘れる。

 オーディションに落ちたら、またデュオで活動しよう、って言ってるんじゃないよ。奏ちゃんはわたしがオーディションの合格するものとして、この話を切り出してる。

 本当に応援してくれてるんだ、わたしのバレエを。

「どっちを選んでも、あたしは伊緒の気持ちを尊重するつもり。ただ……伊緒にはさ、ちゃんと考えて欲しいのよ」

 奏ちゃんは両手を広げ、自分のことのように声を張った。

「あんたのバレエにはでっかい可能性がある!」

 それは工藤先生や響子ちゃん、バレエ教室の友達にも言われたこと。でも、ずっと一緒に歌ってきた奏ちゃんの『声』だからこそ、高揚感が込みあげてくるの。

「その可能性をさ、あたしの一時の我侭で台無しにしたくないの」

 わたしは前のめりになって、かぶりを振った。

「そ、それはわたしのほうだよ。キーボードも練習不足で……」

 奏ちゃんの存在がバレエの足枷になってるなんて、考えたこともないのに。

 むしろ、いつも奏ちゃんがわたしに『合わせてくれてる』の、申し訳なかった。現に今日のコンクールでは、拙いキーボードで奏ちゃんの足を引っ張ってる。

 わたしじゃナオヤさんやマリさんの代わりにはなれないんだよ。コンクールでそれを痛感をしたから、わたしは正直になる。

「わたしだって、ほんとは奏ちゃんと一緒に頑張りたいけど……奏ちゃんくらい実力あるんなら、マリさんとか、もっと組むべき相手が……」

「ううん。あたしは伊緒と一緒がいいのよ」

 しかし奏ちゃんはわたしから少しも目を逸らさなかった。

「伊緒が劇団に入ったら、さすがに音楽活動のほうは難しくなるでしょ? 中途半端な気持ちで続けても、お互い気兼ねばかりしちゃうと思うの。特に伊緒、あんたはね」

 奏ちゃんはきっと、これからもわたしのバレエを尊重してくれる。もちろん、わたしも同じくらい奏ちゃんの音楽を尊重する。

「そのせいでバレエが疎かになって、チャンスを逸したら……さっきの『可能性を台無しにしたくない』ってのは、そういう意味」

 だけど劇団の候補生になったら、プロのバレリーナになるための日々が始まるんだ。今までのようにバレエと音楽の両立は難しいかもしれない。

 だからこそ、奏ちゃんはわたしの覚悟を問いただそうとするの。

「それでも一緒にやるんなら、そう決めて。そしたら、あたしも伊緒に決めるから」

 バレエ一筋で行くのか、音楽もやるのか。

 当然、オーディションに落ちたら音楽やろうね、なんて浅はかなことは言えなかった。それは奏ちゃんの、友達としての真剣なアプローチを無碍にする真似だもん。

 わたしは目を閉じ、初めて誘われた時のことを思い出す。

『あたしとバンド、組んでみない?』

 あの時と同じのようで、今夜は違ってた。

 わたしも奏ちゃんも今はお互いのことをよく知ってる。だから、今夜の言葉は交際の申し入れのようにも思えて、ちょっぴり恥ずかしい。

「わたし……わたしは……」

 すぐには答えられずに俯くと、奏ちゃんはたじろいだ。

「あ……ごめん。もうじきオーディションなのに、迷わせること言ったりして」

 けれども、これはわたしが自分で決めなくちゃいけないこと。

 バレエを辞めてピアノに復帰し、奏ちゃんと一緒に音楽活動に集中することだって、不可能じゃないんだよ。わたしは今、文字通り人生の岐路に立ってる。

 今日のステージを経験したら、そうしたくなってきた。また足を引っ張っちゃうかもしれないけど、わたしは奏ちゃんと一緒に続けたい。

 まだ試してないフレーズだってあるの。

 奏ちゃんとなら無限に曲が作れる。

 でも、わたしには子どもの頃からバレエがあった。舞台に立つ度胸もないくせに、練習だけは続けてきた美園伊緒の、小さなバレエ。

 いつか大舞台でプリマを演じるわたしを、奏ちゃんは瞳を輝かせながら『観たい』と応援してくれたよね。

 バレエか、音楽か。選ばなかったほうとは、永遠ではないにしても、しばらくお別れすることになる。すぐには決められなかった。

「うん……ちゃんと考えてみる」

「どんな答えだとしても、あたしは伊緒の味方だから」

 奏ちゃんがわたしの手を掴む。

「とにかく伊緒のオーディションね。明日から練習しないと」

「わたし、今からでも大丈夫だよ?」

「頼もしいこと言ってくれるじゃない。でも今夜はしっかり休んで、ね?」

 奏ちゃんと一緒にいたいよ。

 でも、響子ちゃんたちを追いかけたい気持ちもあるの。

 わたしにとって、どっちも大切な夢だから。

「帰ろっか。伊緒」

「うん」

 運命のオーディションは近かった。

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