第36話

『他所の所属の子が、なんで? ユイ、だっけ』

『うちの新入りってわけじゃないよねえ』

 さらに井上さんは、恐ろしい事実を投下した。

「NOAHが今日発表する新曲も、マーベラスからの盗作だ、って流されたの。藤堂昶のブログに飛び火した勢いで、一気に広がって、向こうも対応に追われてるわ」

 視界がぐらりと揺れる。

いつの間にか私は椅子を蹴って、立ち竦んでいた。さっきまで緊張してたせいか、疑念や不安を頭の中で整理しきれず、黒い感情に飲まれそうになる。

「どうしてこんなことっ? これからみんなでコンサートなんですよ!」

「結依、ストップ! 気持ちはわかるけど」

 井上さんに詰め寄ろうとする私を、リカちゃんが後ろから押さえてくれた。

でもリカちゃんだって、肩を震わせるほど怒ってる。

「前々から計画してたのよ、そいつら。今日のコンサートを台無しにするつもりで」

 紛れもない妨害工作だった。本番の直前でバックダンサーが全員いなくなっただけでも一大事なのに、悪質なデマまでばらまかれてる。

予定通りに開演しないことで、お客さんのほうも不穏な騒ぎになってきた。

「デマなんて、鵜呑みにするひとばかりじゃないだろーけどさ……」

「そうとは言えないわよ、リカ。集団心理っていうのは嘘でも真実でも、一旦火がついたら、なかなか止まらないものなの」

 悔しがるリカちゃんを、杏さんが宥めようとする。けど……。

「マーベラスの子たちにしてみたら、NOAHの存在は面白くないのね。ドラマの配役だって、オーディションで落ちた子がいたはずだし」

「そ、そんなの――」

「勝手すぎます! 何なんですか、それ!」

 私より先に声を荒らげたのは、杏さんだった。鬼気迫る表情でまくしたてる。

「気に入らないのなら、直接言ってくればいいじゃないですか! こういう陰湿なの、わたし、大嫌いなんです。今どこにいるんですか? その子たちは!」

「落ち着きなさい。あの子らの行方は、矢内たちに探してもらってるところよ」

「……す、すみません。カッとなってしまって……」

 井上さんに諭され、杏さんは自覚したように怒気を鎮めた。

 マーベラス芸能プロの候補生にしてみれば、今回のお仕事は、格下のVCプロのお手伝いってことになる。しかも私は、彼女らと同じ駆け出しのくせに、観客動員数が二千人規模のコンサートでスタートを切ろうとしてるの。それが面白くないんだわ。

 井上さんは視線を落としつつ、私たちに言い聞かせた。

「余所の事務所からバックダンサーを引っ張ってきた、私のミスよ。……もう少し様子を見て、コンサートをどうするか決めましょう」

 楽屋のモニターには、どよめくお客さんたちの様子が映ってる。すでにデマは会場にも伝わっているらしく、動揺が蔓延してた。

 私は肩を落として、唇を噛む。

 ずっと前から、ずっと真剣に練習してきた子が、どうして?

 握りこぶしの中で、てのひらに爪が食い込んだ。悔しさでやりきれない。

 あの子たちだって、猛練習で身を粉にしていたはず。コーチに怒鳴られながらも、一途にダンスに取り組んでたの、私も知ってる。

 なのに、大切なステージを壊そうとするなんて。

練習の成果を見せなくていいの? ステージに立ちたくないの?

「大手の子って、異常にプライド高いからさぁ。前座扱いでプッツンした、とか?」

「今は彼女らの動機を議論してても、しょうがないわ。とにかく、あなたたちは、指示があるまで絶対に動かないこと。いいわね?」

 杏さんとリカちゃんは視線を交わし、無念そうに頷いた。

「そう……ですね。何だか保身みたいで、納得はできませんけど……」

「あたしらが出て行って弁解するのも、違うしね。余計にややこしくなりそう。こういうアクシデントって、関係なくても、やたら騒ぎ立てる連中いるでしょ」

私はステージ衣装をぎゅっと握り締める。

 この日のために、みんなで一生懸命練習してきたのに。

「コンサート……中止、なんですか?」

「それは最終手段よ。でもあんまり遅くなると、あなたたちは未成年だから、時間的に舞台に上がれなくなるし……進行の再編成は避けられない状況ね」

 コンサートは始まる前から台無し。

 今から私たちがステージに上がって、デマについて釈明したところで、イメージダウンは免れなかった。リカちゃんの言う通り、事態が悪化する恐れもある。

 しかし二千人ものお客さんが集まっていて、当初の開演時間はとっくに過ぎていた。黙ってやり過ごすなんて、あと十分も持たないわ。

 ふと井上さんが漏らす。

「また、こんなことになるなんて……ね」

 その言葉には歯がゆさが滲んでいた。

そうだ、井上さんは……怜美子さんのファーストコンサートで……。

私も当時のPVを探して、それを見つけた時、愕然とした。

 初めてのコンサートで怜美子さんは、気まずい舞台に置き去りにされて。今もそのPVはインターネットを介して流出し、笑いものにされてる。

『これは泣いてる』『お気の毒』『デビューライブだろ、歌えよ』って。

 けれども怜美子さんは逆境を乗り越え、輝かしいスターダムまで駆けあがった。

 私にも同じことができるわけない。でも、ここで矢面に立つことなく、安全地帯で危機をやり過ごしてなんかいたら、怜美子さんには一生追いつけないから。

「井上さん。私、ステージに出ます」

 私は決意を込め、井上さんをまっすぐに見詰めた。

 井上さんが困った表情で、私を諫める。

「だめよ。出たい気持ちはわかるけど……お願いだから待って」

 けど何と言われたって、退きたくなかった。

「私ひとりでもいいんです。事務所のみんなにここまで支えてもらって、藤堂さんに作曲してもらって、杏さんの先生に歌を見てもらったりして。それに、これじゃ……」

 私の口から、あのひとの名が飛び出す。

「歌詞を書いてくれた怜美子さんに、会わせる顔がありませんから」

 井上さんの顔に驚きが走った。

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