第31話
年も明け、いよいよコンサートの練習が本格化してきた。
例のドラマは前編が放送され、好評を博してる。エンディングテーマの『湖の瑠璃』に関しては、色んな噂が飛び交っていた。
ファーストコンサートまで、残りは一ヶ月ほど。遊んでられる時間はない。
今日の練習では、杏さんから順番にソロで歌っていた。オペラの先生が弾くピアノに合わせて、声の音階も正確に、かつ綺麗に変わっていく。
先生は満足そうに頷いた。
「大変よろしいわ、杏さん。この数ヶ月で見違えるほど上達したわね」
「あ、ありがとうございます!」
褒められて、杏さんが珍しく照れる。
明松屋杏はもとより歌唱力が高かった。そこに『表現力』が加わったの。
その歌声を聴いているだけで、歌い手の表情や仕草が浮かぶ。息継ぎさえ、余韻のように感情を含んで、歌のイメージを具体化した。
もう『楽器の音を声で再現』するだけの歌手じゃない。
次はリカちゃんの番だわ。
「ソロだから、好きなように歌ってみなさい」
「はーい」
以前は外れがちだった音階も、練習の甲斐あって、揃うようになってきてる。
何といっても、儚げな表情と、指先までの細やかな仕草が、物語めいた雰囲気を醸し出していた。杏さんに負けず劣らず、曲の情景が鮮明に浮かんでくる。
「悲しさを出すのが早いわ。ふたつ目の『会えない』で、一気に出してみなさい」
「あ、そっか。もっかいやってみますー」
明松屋杏と玄武リカは、互いの不足を補うように成長していた。
杏さんは勉強熱心で目標意識も高かったけど、理屈に固執しがちだった。よく言えば真面目で、悪く言えば頑固。一方、リカちゃんは直感を信じるタイプで行動力もあるけど、飽きっぽいところがあった。よく言えば柔軟で、悪く言えば大雑把。
このふたりがユニットを組むことで、それぞれの長所が、上手い具合に相手の弱点を補ってるの。そのためのユニット結成だったのね、おそらくは。
「結構よ、リカさん。最初の頃に比べたら、かなり聞けるようになったし」
「……それ、褒めてるんですかぁ?」
リカちゃんも歌い終わって、先生から評価を受ける。
「じゃあ、あとは結依さんね。前に出なさい」
「は、はい」
最後に私の番がまわってきた。練習の通りに歌って、厳しい先生の感想を待つ。
「まあ、いいでしょう」
しかし先生は特にコメントせず、今日の練習を切りあげてしまった。
「この調子なら、三人とも問題ないわね。お疲れ様」
私と杏さんは頭をさげ、リカちゃんはうーんと伸びをする。
「次はステージ練習かぁ。はあ、めんどーい。杏、大根役者なんだもん」
「だ、だから、練習するんでしょう?」
杏さんの苦笑が引き攣った。
「ごめんなさいね、結依。あなたまで付き合わせて」
話しかけられたことに気付かず、私は返事が遅れてしまう。
「……結依?」
「あっ、すみません! 早く行きましょう」
上の空になってたみたい。やっぱり私、まだ自信を保てずにいた。レッスンでもさっきのように、杏さんたちと実力の差を痛感することが多くて。
なのに世間は、NOAHには明松屋杏と玄武リカのほかにもうひとり、同等のベテランが控えてるって噂してた。私はみんなの期待を裏切りつつある。
私の沈みがちな面持ちを、杏さんが覗き込んだ。
「結依、顔色が悪いわよ? 少し休んだほうがいいんじゃないかしら」
「大丈夫です。お正月気分が抜けきってないだけで……」
気まずくなりそうなところで、リカちゃんがフォローに入ってくれた。
「気晴らしでも行く?」
「……う、ううん。レッスンしよ」
私はかぶりを振って、正面を向きなおす。
練習に集中できてないこと、ふたりとも勘付いてるに違いなかった。いつまでふたりに心配ばかりかけて、気を遣わせるんだろ、私……。
杏さんは水筒のお茶で一息ついた。
「ところで……ねえ、結依はデビュー曲のこと、どう思う?」
「素敵な曲だと思いますけど」
NOAHの『湖の瑠璃』は明松屋杏が歌ってることもあって、評価が高い。そのはずが杏さんは難しい表情で眉を曲げ、腕組みを深めた。
「わたしばかり曲と相性よすぎるのが、気になってて」
世間は『湖の瑠璃』を『明松屋杏の曲』ってふうに認識してる。曲自体も、演奏よりも歌声に比重を置いた構成のため、杏さんの歌唱力に頼るところが大きい。
リカちゃんも腕組みして、呟いた。
「あたしのイメージとはかけ離れてるよねー。別にいいっちゃ、いいんだけどさ」
確かに『湖の瑠璃』って、落ち着いたイメージの曲調だから、天真爛漫なリカちゃんより、おしとやかな杏さんのキャラクターに馴染んでる。
「結依のイメージでもないっか」
ふと、リカちゃんの言葉が耳に残った。
……私にもイメージって、あるの?
「そのあたりは一度、井上社長に聞いてみましょう」
「オッケー。も~いい加減、全部白状してもらわないとね」
杏さんとリカちゃんは足取りも軽く、次のレッスン場に向かった。
その後ろを、私はとぼとぼとついていく。ふたりと並んで歩くのが、怖い。
「結依も、早く!」
「あ、うん。今行きます」
その後のステージ練習も、私だけ身が入らなかった。
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