第24話

 最終確認のつもりで台本に目を通していると、いきなり背後から目隠しされる。

「だーれだっ?」

 え? リカちゃんなら隣にいるし、杏さんはこんな遊びしないし……。

「はーい、時間切れ。大先輩の声もわからないんて、ダメな新人ね」

「誰なんですか? いきな、り……」

 振り向いた先には、御前結依の天敵がいた。

観音怜美子さん! いつの間にか、あの怜美子さんが後ろにまわり込んでいたの。

 私は慌てふためいて、壁際まで後退する。

「れれっ、れ、怜美子さん? どうしてここに?」

 怜美子さんは両手の指をわきわきと動かし、私を捕食したがってた。

「結依ちゃんが来るっていうから、ちょおっと、遊んであげようと思ってー」

「で、でも……お忙しいんじゃ?」

「わたしにだってオフの日くらい、あるわよ。さあ~」

 その美貌に酷薄な笑みを浮かべ、舌なめずりする。

私を玩具にして遊ぶつもりだわ……。

「オ、オフなら家で休んでてくださいよぅ」

「あら? せっかく教えにきてあげたのに。薄情な後輩ねえ」

 怜美子さんほどの実力者に指導してもらえる機会なんて、滅多にない。でも怜美子さんの場合はあからさまに意地悪目的なんだもの。

「諦めなって、結依。運がなかったのよ……ぷぷっ」

「リカちゃんの裏切り者ぉ~!」

 他人事でいられるリカちゃんが羨ましい。

 ところが怜美子さんの強引な干渉を、藤堂さんが制してくれた。

「それくらいにしないか、怜美子くん。同じ事務所の先輩後輩ならともかく」

 きょとんとする杏さんを置いて、こっちに歩み寄ってくる。

「それにキミは……」

 何かを言いかけたところで、藤堂さんは口を噤んだ。

 いつの間にか収録スタジオが静まり返ってる。スタッフの視線は怜美子さんに集まり、戸惑っている雰囲気が蔓延してた。

 怜美子さんって、ここまで嫌われちゃうようなひとだった……? 

 気まずい空気を、怜美子さんは髪をかきあげ、一蹴する。

「いいじゃないの。井上さんからも『見てあげて』って連絡あったんだし」

「井上さんから? それなら、まあ……」

 大物タレントふたりの口から出てきた名前に、私は首を傾げた。

「社長のこと、ご存知なんですか?」

「聞いてないのかい? 井上さんは一時、怜美子くんをプロデュースしていたんだ」

 私と一緒にリカちゃんも、驚きの声をあげる。

「えええええ~っ!」

 怜美子さんが『ふふん』と鼻を鳴らした。

「井上さん繋がりなら、れっきとした先輩後輩の関係でしょう? わたしたちの間に他人のあなたが出しゃばってくるんじゃないわよ、アキラ」

 そしてごく自然に、藤堂さんの肩にもたれ掛かる。

カップルみたいに……。

「まったく、キミという女性は……ふっ、それがキミの魅力でもあるんだけどね」

「今夜は一杯やりましょ、アキラ。明日はお休みでしょう?」

 藤堂さんのほうも拒絶せず、怜美子さんの細い腰に手をまわす。おまけに怜美子さんのストレートヘアに触れ、アダルティックなムードまで醸しだした。 

 私はリカちゃんと顔を見合わせ、、口元を引き攣らせる。

 案の定、杏さんは石像のように硬直してて……。

「……と、藤堂さんと、観音さんが……こいびと、どーし……」

 さらさらと砂と化し、崩れていく瞬間を、私たちは見てられなかった。


                 ☆


 泣いても構わない。今日は顔の撮影もないし。

 化粧室で杏さんはぼろぼろと涙を零し、悔しそうにハンカチを噛んだ。

「憧れてたのに! 今日はすっごい気合入れてきたのに~!」

 さすがに心配だったから、私とリカちゃんも同行してる。

 リカちゃんはドライに切りあげようとした。

「もう終わったのよ。これに懲りて、恋なんて二度としないことね」

「ひ、ひどい! 結依、あなたはわかってくれるでしょう?」

 私はぎこちなく顔を背けて、杏さんの不憫なまなざしをやり過ごしちゃう。

「まあその、まだ、怜美子さんとそういう関係って、決まったわけじゃないし……?」

「フォローしてどうすんの」

 リカちゃんが肘で私の脇腹を小突いた。

 だけど、そもそも杏さんと藤堂旭が結ばれるはずがない。

だって藤堂旭さんは……。

「もういっそ、結依にしといたら? ほかの男とくっつかれる心配もないじゃん」

 面倒くさそうにリカちゃんが杏さんを唆した。私はすぐさま拒絶する。

「ち、ちょっと? そんなので……」

 ところが杏さん、いじらしい瞳で私を見詰めてきた。

 今日は洋服が決まってるせいもあって、美少女ぶりが上がってる。花のように甘い香りがして、可憐なたおやかさに満ち溢れていた。

 自分より可愛いひとに見詰められたら、どきどきだってする。

「結依……ほんと?」

「し、しっかりしてください、杏さんってば!」

 そうこうしてると、化粧室にほかの利用者が入ってきた。

「こらこら、キミたち。声が外まで聞こえてるよ?」

 藤堂さんが鏡を間近で覗き込む。

「ちょっと睫毛が目に入ってしまったみたいでね。……あぁ、やっぱり」

「私、目薬ありますよ。どうぞ」

「本当かい? 悪いね、えぇと……みさきくん、だっけ」

 珍しく初対面のひとに『御前』の読み方を間違えられなかった。

 杏さんが我が身をかき抱いて、叫ぶ。

「きゃああああっ! ととっ、藤堂さん? こ、こっちは女子トイレです!」

 私とリカちゃんは回答を重ねた。

「え……藤堂さんって、女のひとですよ?」

「藤堂旭は女じゃないの。やっぱり勘違いしてたのね、杏」

 当の本人も苦笑する。

「性別なら公開してるはずなんだけどね。驚かせてしまったかな?」

 リカちゃんは当然、私も最初から藤堂さんの性別を知ってた。

「結依みたいな前例が身近にいるからさあ、杏もそっち系なのかなーって」

「あの、リカちゃん? 藤堂さんも聞いてるんだし」

 どうやら杏さん、藤堂さんを男性って勘違いしちゃってたみたい。

 リカちゃんは肩を竦めつつ、改めて藤堂さんを紹介した。

「藤堂旭は男優と同じように活動してる、業界きっての演技派なの。作曲家としても有名よね。特にダンス曲で定評があるわ」

「ははっ。ご紹介にあずかり、光栄だよ。あとはご存知の通り、声優もやってる」

 藤堂さんが免許証を出し、女性ってことを証明する。

 杏さんは口の端をぴくぴくさせていた。

「え、えぇ……も、もちろん知ってたわよ、わたしも? や、やあね、リカったら」

 無理やり誤魔化しながら、ばつが悪そうに目を泳がせる。

「あれ、杏くん? 何だか目が赤いようだけど」

「こ、これはその、季節病なんです。たまに目が痛くなっちゃって……」

「大変そうだね、お大事に。じゃあ、僕は先に戻ってるよ」

 藤堂さんは私に目薬を返すと、一足先に化粧室を出ていった。

 糸が切れた人形のように、杏さんがへたり込む。

「わっ、わた、わたし……わたし、今日は帰るっ! お仕事なんて無理よぉ~!」

「何言ってるんですか、杏さん! 恥ずかしいのはわかりますけど!」

 私とリカちゃんは往生際の悪い杏さんを捕まえ、『せーの』で引っ張りだした。

「五分! 五分だけ待って? 心の準備だけでもさせてっ」

「藤堂旭はオトナだから、察したうえで黙ってくれてんだってば」

「余計にだめじゃない! やだやだやだ~!」

 せっかく早めにスタジオ入りしたのに、遅れそうになる。

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