第22話
紅葉のシーズンも過ぎ、寒さが身に染みる季節になった。
今日も今日とて私、御前結依は、仲間と一緒にスタジオでレッスンに励んでる。
この時間はカメラの勉強。複数のカメラが順番にシャッターを切るのを、中央でポーズを決めながら追っていくの。これがすごく難しい。
杏さんはしょっちゅう枠を外れてた。
「また3番あたりからズレてるって、杏。顔が入ってなーい」
「ええっ? そんなはずは……」
この手の技術はリカちゃんの専売特許で、私と杏さんは教わるばかり。
リカちゃんはタオルを首に掛け、ドリンクで一息ついた。
「ふー。ふたりとも、まだまだ。杏はカメラワークがイメージできてないし、結依は真中の立ち位置をキープしすぎて、動きが少ないしさぁ」
三次元的に複数のカメラを把握するなんて、なかなか思うようにいかない。
ほかにも、カメラのほうで操作することなく顔をアップにするとか、私の知らない小技がたくさんあった。杏さんも同様に苦戦してる。
「休憩にしましょうか。根を詰め過ぎちゃっても、何だし」
でも歌の練習のほうでは、杏さん、めきめき上達してた。リカちゃんの技術を取り込んで、歌に感情的な深みが出てきたの。
私とリカちゃんも、杏さんのオペラの先生に教えてもらえるようになって……。ただしそっちでは、リカちゃんが悪戦苦闘しちゃうのが恒例になっていた。
「ずっと説明しっぱで、つーかーれーたー」
リカちゃんが暑がって、ジャージのファスナーを緩めちゃう。
「ちょっと、リカ! こんなところで……み、見えちゃってるじゃないの」
「カタいこと言わないでよ。女同士なんだし、別に」
「け、けれど……結依が」
杏さんは警戒するように私を見据えた。
実は、女の子と交際してたってことがばれちゃって……。私は赤面しつつ、両手をぶんぶんと振って、我が身の健全ぶりをアピールする。
「待ってください、杏さん! 私、そんな、見境なしってわけじゃないですから」
「ご、ごめんなさい。気にしないようにはしてるつもり、なんだけど」
リカちゃんは素っ気ない調子で椅子で横になり、あくびしてた。
「男じゃないんなら、いいじゃん。でも結依、あたしを襲ったりしないでね」
「……だったらちゃんと前、閉めて」
そのうち更衣室から追いだされそうだわ。
練習の後は井上さんに呼びだされて、事務所のほうへ。
もしかしたら『湖の瑠璃』で何か動きがあったのかも。年が明けたらコンサートもするらしいけど、まだ具体的には聞いてない。
部屋の数が少ないため、ちょっとした相談事には客間を使っていた。杏さんが井上さんの分だけじゃなく、私やリカちゃんにもお茶を淹れてくれる。
井上さんがファイルから今回の企画書を取りだし、テーブルで広げた。
「行き当たりばったりでアレだけど、面白い仕事が取れたの。先方にはもう『NOAHで引き受けます』って言っちゃったから」
ひょっとして、また外泊とか? 前回の定期試験がいまいちだった私は、ぎこちない素振りで企画書から目を逸らす。
「……結依。考えてることが顔に出てるわよ。泊まりじゃないから安心なさい」
「うっ。じ、じゃあ、どんなお仕事なんですか?」
NOAHの三名は井上さんに正面切って、息を飲んだ。
「声優」
杏さんと私は揃って首を傾げ、リカちゃんは『ふぅん』と頷く。
「確かリカも、声優は経験なかったんじゃないかしら」
「声優はありませーん。あっ、洋画の吹き替えだったら演りたいかも!」
概要くらいは私にだって想像がついた。アニメのキャラクターに声を当てたりするお仕事、でしょ? ヒーローショーで似たようなことも経験した。
「そう構えなくてもいいわよ。結依でも何とかなるレベルだから、取ってきたんだし」
井上さんの一言がぐさりと刺さる。
「私でも、ですか……」
企画書には『カルテットサーガⅡ』というタイトルが記されていた。ファンタジー世界で少年少女が大冒険する、定番のゲームって感じね。
杏さんは企画書を捲りつつ、目を点にした。
「ゲーム……ですよね、これ。声が出たりするものなんですか?」
「それくらいトーゼンでしょ? もしかして杏、ゲームってやったことない?」
「弟も全然やらないし……わたしにできるかしら」
私もこういう、家でプレイするタイプのゲームについては、よく知らない。
「あら、触ったことない? じゃあ事務所にゲーム機、置いておくわ」
そんな私たちのため、井上さんが要点を掻い摘んでくれた。
この『カルテットサーガⅡ』は、メインキャラクターの全員がフルボイスで、そちらはすでに収録が終わっていた。ところが後になって、残りのキャラクターも音声つきで喋らせたい、っていう要望が出たわけ。
企画書に挙がっていたのは、武器屋や道具屋などの、店員さんの役だった。
「配役は台詞の量なんかを見て、決めるといいわ。役は四つだから、誰かが二役ね。でも杏は時間掛かりそうだから、少ない役が無難かしら」
「……ハイ」
名指しされた杏さんがうなだれる。
リカちゃんはまじまじと企画書を眺めていた。
「社長って、よくこーいう……お弁当箱の隅つっつくようなの、探してくるよねー」
「それを言うなら重箱の隅、ね。フォローは頼んだわよ、リカ」
やっぱり井上さんの営業力ってすごいみたい。多方面にコネクションを持ってるし、強引な時もあるけど、NOAHをしっかりプロデュースしてくれる。
そのはずが、リカちゃんには疑問がある様子。
「それよりさぁ、社長ー。いつになったら、あたしたち『デビュー』すんの?」
NOAHの結成、実をいうとまだ公式には発表さえしてなかった。普通はお客さんを呼んで、歌を披露したりするらしいけど……。
杏さんもリカちゃんと口を揃える。
「曲なら『湖の瑠璃』がありますよ? 練習だってしてますし」
「ちゃんと考えてるわよ。確定したら伝えるから、待っててちょうだい」
当事者となる私たちにも、まだ教えられない段階なのね。
「あっ」
リカちゃんが何気ない声をあげた。
「このゲームって、前作はあれでしょ? 藤堂旭が出演したっていう」
「とととっ、藤堂旭さんっ?」
杏さんが急に勢いつけて立ちあがり、目を見開く。
女性に大人気の美男子俳優、藤堂旭。甘いルックスと殺し文句の数々は、年齢を問わず女子の憧れになっていて、私のお母さんもドハマリしてた。
「そうそう。メインキャラのボイスに取り残しがあるとかで、藤堂旭も来るわよ」
「藤堂旭さんも収録に来るんですかっ?」
杏さんの瞳がきらきらと輝く。藤堂旭に会えるとわかるや、杏さんは赤く色づいた頬を押さえ、悦に入ってしまった。
意外に面食いだったんだ? 杏さんって。
「でも藤堂旭って、確か……」
私が言いかけるのを、リカちゃんがかぶりを振って制す。
「聞―てない、聞―てない。どうせ当日になったら、わかることよ」
杏さんはすっかり陶酔しちゃってた。
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