第20話

 翌朝は芝生の草刈りから始まった。伸びすぎた雑草を、見栄えがいいくらいに揃えておくの。そのお仕事自体は難しくない。

「はあ……参ったなあ」

 しかし今朝の私は、簡単な作業に集中してもいられなかった。杏さんとリカちゃんは相変わらず険悪なムードを引きずってて、間に立つのもいい加減、疲れてきたところ。

 NOAHは結成間もなく危機に瀕してる。

ひとりで草むしりをしていると、怜美子さんがチェックにやってきた。

「ちゃんと働いてるー? 結依ちゃん」

「やってますっ」

 私はふんっと鼻息を鳴らして、そっぽ向く。

 仲違いの原因を作ってくれた怜美子さんには、反抗のひとつもしたくなった。悪趣味なドッキリを仕掛けようって言い出したのも、このひとらしいし。

「怜美子さんのせいでもあるんですよ?」

「あなたたちの問題でしょう? それに遅かれ早かれ衝突してたわよ、あれは」

 怜美子さんの補足のような分析には、私も納得した。

 杏さんはリカちゃんの実力を認めているからこそ、怠慢が許せないんだろうな。リカちゃんは短気なところがあるから、杏さんのお小言にも過敏になっちゃう。

 杏さんがもう少し柔らかくなって、リカちゃんがもう少し練習に身を入れてくれさえすれば、不協和音は解消できるはずなの。

「見てる分には面白いわよ? ギスギスしたシーンの参考になるもの」

 怜美子さんの立場はあくまで、我関せず。

「若い連中が隠れてやるよーなイビリに比べたら、あれくらい、可愛いもんだわ」

「じゃあ今、怜美子さんが私をコキ使ってるのは、何なんですか」

「健全な新人イビリ」

 新人の悩みなんて、傍若無人な女王様にはわかってもらえそうにない。

 それでも私は、誰でもいいから聞いて欲しかったのかな。

「はあ……バスケでもこういうこと、あったんです。パスワークの上手い子とシュートの上手い子がいても、ギクシャクしちゃったりして」

「ああ、バスケやってたのね。道理で……」

 しょげるしかない私の頭を、怜美子さんが楽譜のコピーで叩いた。

「そうそう、これをあげようと思ってね。ドラマのエンディングの楽譜。ド素人の結依ちゃんでも、ちょっとは芸能界の気分に浸れるでしょう?」

その誌面では、五本線にオタマジャクシの群れが絡まってる。

「あ、あの、私、読めないんですけど」

「じゃあねー」

 怜美子さんは私に手を振ってから、監督さんのもとへ合流に行った。

 もらった楽譜と睨めっこしてみても、無学な私には何が何やら。井上さんも音楽学校とかでスカウトしたほうが、よかったんじゃないの?

 杏さんとリカちゃんが互いに距離を取りつつ、こっちに駆け寄ってきた。

「遅くなってごめんなさい、結依。お父さんとの電話が長くなっちゃって……今からでも手伝えることってあるかしら」

「お父さん~? パパ、じゃなくってぇ?」

 飽きもせず、また火花を散らす。所構わず一触即発だわ、もう。

 杏さんの視線はリカちゃんを素通りしつつ、私の手にある楽譜を見つけた。

「その曲、なあに?」

「このドラマのエンディングらしいですよ。でも私、読めなくって……」

「ちょっと見せて。へえ……いい曲」

 杏さんが楽譜を手に取り、鼻唄でメロディを再現する。さすが、オペラ歌手の卵。

「結依は読めないのよね。歌ってあげるわ、こんな感じよ」

「あたしのほうが上手いってば。もーらいっ!」

 ところがリカちゃんが楽譜を奪い取って、杏さんの歌いだしを妨げた。

「何するのよ! 歌のことなら、わたしに任せてくれればいいの」

「うっさいなあ。あたしが聴かせてあげるってんの」

 杏さんを振りきって小高い丘へと登り、大きく息を吸い込む。

 撮影の準備でざわついていたスタッフさんらが、急に静かになった。私も、杏さんも、リカちゃんの歌声にどきりとする。

 初めて聴くメロディだけど、私にだって、音程がずれてるのがわかった。単純に歌う分には、下手なの。声自体なら、杏さんの発声練習のほうが桁外れに出てる。

 でも、みんな聞き入ってた。歌詞すらないのに、切ない情景が浮かんでくるの。これは悲しい失恋の曲なんだってことが、自然とわかる。

 合間の息継ぎさえ、熱を帯びていた。私の耳に強烈に残って、訴えかけてくる。

 それは歌声だけでなく、指の先まで使ってメロディを『演じて』いた。その表情は涙を浮かべ、今にも嗚咽になりそうな声色で、失恋の一節を歌いあげる。

 少し音を外してることなんて、まるで気にならないわ。

 リカちゃんが歌い終わると、拍手が起こった。私も飲まれるように拍手に加わって、リカちゃんの表現力に感服してしまう。

「えへへ、どお? なかなかのもんでしょ」

 胸がどきどきしていた。感想を伝えるだけで、興奮気味になってしまう。

「すごい! リカちゃん、なんかね、すごくよかった!」

 漠然と月並みの言葉にしかできないのが、悔しいくらいだった。

 しかし杏さんは鬼気迫る顔つきで、ずかずかとリカちゃんの真正面に迫っていく。

「杏さんっ? 待ってください!」

 私が止めに入る間もなく、杏さんの両手がリカちゃんの胸ぐらを引っ掴んだ。リカちゃんも敵意を剥き出しにして、挑発する。

「なっ何よ? やる気……」

「わたしに教えてっ!」

 私とリカちゃんはきょとんとして、疑問符を浮かべた。

「あ、杏さん?」

「……は? 教えるって、何を?」

 杏さんがリカちゃんに向かって、前のめりになる。

「さっきの歌い方。お願い! 今までのこと謝るから。どうやったら、あなたみたいに歌えるの?」

 スタッフさんはみんな、首を傾げてた。

 私にも何が何やらだけど、喧嘩を始めるつもりはないみたい。

「お礼だってするわ、いいでしょう? 教えて!」

「ち、ちょっとちょっと! 放してってば!」

 杏さんとリカちゃんが組んず解れずになって、ぎゃあぎゃあと揉める。

 私だけ置いてけぼりでぽかーんとしていると、怜美子さんに大声で呼ばれた。

「そろそろ撮影始めましょうか。結依ちゃん、こっち来てー」

「あ……はっ、はーい! 杏さん、リカちゃん、もう撮影だけど……聞いてないか」

 杏さんとリカちゃんはお取込み中から、私だけでも急ぐしかない。

 怜美子さんは監督と打ち合わせの最中だった。

「本気かい? 観音さん。昨日撮っちゃった分はどうするの?」

「昨日のあれじゃ、明松屋さんごとドラマも叩かれるわよ。試しに、ね」

「うーん……そうだなあ、井上さんとこの人材だし」

 怜美子さんの美貌に不敵な笑みが浮かぶ。

「結依ちゃ~ん、いらっしゃい」

「な……なんですか?」

 警戒しながら近づいたつもりだったのに、怜美子さんの手が素早く私を捕まえた。

「明松屋さんの役、代わりにさせてあげるわよ。た、だ、し……下手な演技したら、ペンションの廊下磨きね。はい、決定!」

「えええっ? ちょっ、私、経験ないんですから!」

「だから今、ここで経験するんじゃないの。さあ着替えて、着替えて!」

 当の杏さんはリカちゃんを追うばかりで、お仕事のことを忘れちゃってる。

 おかげで私は台詞つきの役をもらって。しかし女王様の独裁のもと、たった一言『おはようございます』のシーンで四回もリテイクとなり、迷惑を掛けまくるのだった。

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