第18話
私たちNOAHは三人で一部屋を使うことになっていた。浴場で入浴を済ませたら、部屋に戻って、私は最後にドライヤーを当てる。
杏さんは明日の準備に余念がなかった。台本を開き、繰り返し目を通してる。
「結依、寝る前に少しだけ、練習に付き合ってくれないかしら」
「いいですよ。じゃあ、リカちゃんに教えてもらって……」
その一方で、リカちゃんはイモムシみたいに布団に包まっていた。怜美子さんの怪談が気になってしょうがないみたい。
お風呂から戻ってくる時も『なんかいる!』って言ってたし。
「やだやだ、も~! あんな話聞いちゃったら、眠れないじゃん。ねえ?」
青ざめてばかりのリカちゃんを、杏さんがしれっと諭す。
「はあ。ユーレイなんているわけないでしょう。ばかばかしい」
「ば、ばかにしてると呪われんのよ?」
リカちゃん、杏さんと喧嘩する余裕はあるのね……。
布団の傍に置きっ放しの、私の携帯電話がメールを受信した。だけど私はドライヤーの最中で、手が離せない。
「ごめん、リカちゃん。ちょっとメール見てー」
多分お母さんか、友達でしょ。お母さんがサインの件で念を押してきた気がする。
「そお? 読んじゃうわよ」
リカちゃんは私の携帯電話を拾うと、慣れた手つきでメールを開いた。
「えーと、ゴゼン……じゃなかった。御前センパイ、こんばんは。なんだか寂しくなっちゃってメールしちゃいました。やっぱり実は今も好きで、す……?」
とんでもない文面が頭に入ってくる。
「ちちっちょっと、ストップ! それはだめ!」
ドライヤーなんか放って、私は一直線に自分の携帯電話を回収した。
メールの差出人は夏まで交際してた、後輩の女の子。連絡を取りあうこともなくなってたから、完全に予想外だったわ。
慌てふためく私の顔を、リカちゃんが訝しむ。
「ねえ、結依? さっきの……名前からして、女の子でしょ?」
疑惑の視線が痛い。
杏さんは台本を閉じ、いそいそと布団のほうに移ってきた。明日の予習なんてそっちのけで、寝る体勢になり、枕の上で頬杖をつく。
「さっきのメールについて、じっくり聞かせてもらおうじゃない? 結依の学校は共学だもの、そういう話のひとつやふたつ」
コイバナが始まるものと思ってるみたい。杏さん、こういうの好きだったのね。
「いやいや、杏? それがさあ、女の子からのメールだったんだって」
「えっ? 年下の男の子から来たんじゃないの?」
携帯電話を懐に隠しつつ、私は自分の布団に潜り込んだ。
「ノーコメントでお願いします。も、もう別れたことになってますし……」
「なによぉ、教えてくれたっていいじゃん。もうバレてんだし」
しかしリカちゃんと杏さんは追及をやめてくれない。一方のまなざしは疑念を、もう一方のまなざしは期待をありありと孕んでた。
怖がらずに済むせいか、リカちゃんの食いつきもいい。
「あー、別にいいのよ? この業界、男女は問題アリだけど、同性だったらさ」
引くに引けなくなった私は、消灯時間までの時間稼ぎに打って出る。
「じ、じゃあ……そうだ! リカちゃんが映画にハマったきっかけとか、杏さんの今までの話とか、聞かせてください。そしたら私も白状します」
こうして三人で一緒にお仕事するようにはなったけど、私たちはまだ、お互いのことをよく知らなかった。今夜はいい機会かも。
「そーいえば、あんま話してなかったっけ?」
イモムシ状態だったリカちゃんも、布団から肩まで出して、頬杖ついた。
「あたしの家さ、日舞やってるでしょ。でも、うちのは男子じゃないと教えてもらえないのよ。それがなんか悔しくってさ、ドラマとかに向いてった感じ」
険悪なムードになることもなく、杏さんが頷く。
「日本舞踊って、指先まで使って感情を表現するんでしょう? わたしも浅知恵だから、具体的なことまでわからないけど」
「へえ……」
私には『へえ』という程度の相槌しか打てなかった。日本舞踊の表現力なんて、考えたことがないもの。でも、リカちゃんの出発点は納得できた。
「で、杏のほうはどうなのよ? オペラ歌手」
今度は杏さんが口を開く。
「マ……母の影響よ。今も世界じゅうを飛びまわって、歌ってるわ」
私とリカちゃんは同じ笑みを浮かべた。
「ふぅん。杏さんのマ……お母さん、すごいひとですもんね」
「甘えん坊でちゅねぇ、杏たんはー」
「い、いいじゃない、別に家で『ママ』って呼んでても」
ばつが悪そうに杏さんが赤面する。
「とっ、とにかく。お父さんも演奏やってるから、わたしも音楽の道に進んだわけ」
私は両手を頬杖にして、ふたりの話に聞き入ってた。
ふたりとも、子どもの頃から特殊な環境にいて、プロになるべくしてプロになってる。それに比べたら私なんて、怜美子さんの言う通り、単純に感化されちゃっただけ。
「な、なんか、私、恥ずかしくなってき……」
「結依が羨ましいわ」
そんな私の自嘲を遮ったのは、杏さん。
「……私なんかが、ですか?」
目をぱちくりさせる私の前で、杏さんが無念そうに溜息を漏らす。
「あなたは自分の実力だけで勝負できるじゃない。わたしたちはいくら頑張ったって、親の名前がついてまわるけど。ねえ、リカ?」
「そーそー。あたしの場合は、子役時代と比較されるのがほとんどだし」
親の七光りってやつなのかな。もし杏さんが音楽家夫妻の娘じゃなかったら? もしリカちゃんに子役の経験がなかったら?
私と同じような高校に通って、試験の結果に一喜一憂したり、放課後はみんなで寄り道していたかもしれない。
「で、でも、そういう環境だったからこそ、実力もついたんですし」
「もちろんわかってるわ。要は自分次第ってこと」
それでも私には、ふたりはコネなんかなくっても大成できるように思えた。
逆に私がオペラ歌手の娘だったとしても、杏さんみたいに綺麗な声で歌えるわけじゃない。リカちゃんのように日本舞踊に興味を持つとも限らない。
大丈夫なのかな、私で……。
胸の奥には疑問がつっかえていた。経験も実力もないのに、本当に杏さんやリカちゃんと肩を並べてやっていけるんだろうか。
私が追いつく頃には、ふたりはもっと先に進んでるに違いないもの。
ふと、リカちゃんが頬杖を外した。
「……やば。寝る前のお手入れ、忘れちゃってる」
「一晩くらい問題ないでしょう?」
杏さんや私の夜の手入れは、せいぜい保湿くらい。校則だってあるし。しかしビジュアルを売りとするリカちゃんにとっては、大きな懸念事項らしかった。
「よくないのっ! どうしよ、トイレまで行かないと……」
このペンションには、お風呂も化粧室も共用のものしかない。
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