私は雨でも傘を差さない

江沼ラムネ

負け犬

 ポタポタと雨の滴が滴る。幾度となく聞いた飽きた音。空虚な音。

 長い長い坂道を下り、途中にすれ違うカップルを睨めつけながら、そんな自分に嫌悪感を抱く。奴らは勇気を出したのだ。自分の気持ちを告白するという高い高いハードルを、奴らは勇気を出して見事跳んで見せた。私だって幾度かそのハードルにぶち当たった。でも私は結局跳ぶことなんでできずに、しようともせずに、下の穴を潜り抜けるばかり。そうやってずる賢く図太く粘着質に生きてきた。

 分かっている。分かっているのだ。頭の中では分かっている。私が間違っているんだって。奴らを羨み妬むのはお門違いもいいところだって。けれどそんな理性的なものに意味なんてない。私はきっと奴らに本能的な部分で嫉妬しているのだ。いくら理論を並び立てて、自分を貶したところでそんなのは納得する理由にならない。

 私には何もない。才能なんてなかった。運動も恋愛もなにもかも。私だって何か誇れるものが欲しい。絶対に誰にも負けないような才能が欲しい。私は常日頃からそう思っていた。今も思っている。もしも七夕に織姫と彦星が本当に短冊に書いたことを叶えてくれるのであれば私は何の躊躇いもなく、「才能が欲しい」と書くだろう。しかし、私は

 私にとって奴らはあまりにも強大だ。身体的な面でも精神的な面でも。私は元来身長が高くない。むしろ低すぎるくらいだ。私の目線はいつも奴らのにある。さながら負け犬のように地面を這いつくばっている。そんな私を奴らは嗤いながら見てくるのだ。きっと醜くて仕方ないんだろう。間違いなくそうだ。

 私はあまりにも無力だ。自分よりも強大なものが敵になったとき、例えば奴らが敵になった時、私はことしかできない。バカみたいに吠えたてる。弱い者ほどよく吠えるという言葉がある。私はこの言葉が酷く嫌いだ。なぜならば、この言葉は私という存在のためだけに造られた言葉な気がしてならないから。もしもこの世界から言葉一つを完璧に消滅させられるのであれば私は迷うことなくこの言葉を選ぶだろう。

 そんな劣等に塗れた私に声をかけるものがいた。でも、なにを言っているのか分からない。私は。きっと、私を罵倒しているのだろう。私から溢れ出す負け犬オーラにしてやられたというわけだ。ざまあないな。

次に奴は私に手を伸ばしてきた。殴るつもりだろうか。身の危険を感じた私は、必死に。威嚇した。とっとと帰れと、この場から消えろと祈りながら、喉が枯れるまで吠え続けた。

 奴が諦めて去っていった。危ないところだった。ひょっとすれば死ぬところだった。私は奴を退散させたことに束の間の達成感を得た。しかし、それも次第にまた劣等感へと変わっていく。また吠えてしまった。また吠えることしかできなかった。とかもできただろうに、足が竦んだ。やはり私には勇気が足りない。そんなことを考えながら私はまた長い長い坂をトボトボと下っていく。

 言い忘れていたが、私には名前がある。奴らが私に、我々につけた不名誉な名前が。私の同類でこの名前を好きな奴はたりとも知らない。それほどまでに酷い名前だ。もはやそれは差別的ですらある。きっと奴らは我々のことが、私が奴らを嫌っているのと同じように嫌っているのだろう。因果応報とも言える。

 そろそろ、あまり言いたくはないがその名前を言っておこう。無駄に引き伸ばすのは趣味じゃない。

 奴ら、人間は我々を精一杯の侮蔑と忌避を込めて忌奴イヌと呼ぶのだ。

 

 

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私は雨でも傘を差さない 江沼ラムネ @shumikko

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