第70話 好機と囁き
消えかけの街灯、弱々しい淡い橙色は心許なく照らす。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯」
「しぶといね。《ヴェント》」
激しく肩を上下させながらダルは曲刀を握り締める。腕や足からは激しい出血、涼しい顔で対峙するケルウスとは対照的な姿で前を睨んだ。
ケルウスは詠う。
風の刃と共にしなやかな剣がダルを襲う。
風の刃を反射的に躱すと、躱した先にはケルウスの握るフルーレが襲った。線の様に細い刀身はしなり、空気と共にダルの体を少しずつ斬り裂いて行った。
致命傷だけは何とかしのいでいるが、ジリジリと刻まれて行く様に打開策が見いだせない。
「ふぅー。まいったね」
「強がるな。大人しく首を差し出せば、苦しまずに仕留めてやるぞ。温情ってやつだ」
「お断りするよ」
ダルは軽口を零すと力を振り絞り、前進する力へと変える。
もっと速く。
傷口から流れる血が後ろへと流れ落ちる。一瞬で間合いを詰めると、間髪入れずに剣を振って行く。横に、縦にと激しく振り続け、金属音を何度も鳴らした。
ヤツに詠わすな。
もっと速く。
「《ヴェン⋯⋯》」
ダルの切っ先がケルウスの頬に届いた。
もう少し。
頬に傷を負うとケルウスの表情は一転、頬をひきつかせ怒りの形相を見せる。
「貴様!!」
ケルウスは吠え、激情に任せる激しい突きの嵐をダルに向けた。
無理を押したダルの体は悲鳴を上げ、動きが止まる。ダルに嵐をやり過ごす力は残ってはいない。急激に力の抜ける体、緩慢な動きで突きの嵐に抗って行く。
腕に刺さった、投げナイフを引き抜くと、投げ捨てていた剣を拾う。突き刺さっていた右の腕からは血が溢れ、鋭い痛みが伝わった。
「ちょっと! 邪魔しないでよね! 私の獲物よ」
「はぁ~。本気で言っているのか? 死にかけていたクセに」
背中越しに男の声が聞こえ、カルガはすぐに横へと跳ねた。声の主はゆっくりとキキの横に並び立つ。
「⋯⋯モルバン」
「久しぶりだってのに残念だね、カルガ。またすぐにさようならしなきゃ⋯⋯永遠のね」
「なるほど。おまえは冷たい土の中で永遠にお休みなさいをするって事か。ま、ゆっくり休んでくれ。オレからの手向けの言葉だ。やさしいだろう」
「相変わらず口の減らない野郎だ」
口調は穏やかだが、その青白い顔は明らかな怒りの熱を見せた。モルバンは剣を握り、潜るようにカルガの眼前へと迫る。斬り上げるモルバンの刃を、顔を引いてなんとか躱した。
刹那、頭上からキキの槍が振り下ろされる。頭上で払いのけると足元からは、モルバンがせり上がり素早い突きを胸元に見せた。
カルガはモルバンを蹴り飛ばし、勢いのまま後ろへと転がって行く。
ひとりでも厄介なのにふたりかよ。
下からモルバンが潜り込み、上からはキキが槍のリーチを生かした。
「だから、邪魔だって! 私ひとりでいい! 充分だって!」
「仕留めてから言えよ」
互いに罵り合いながらも、息はぴったりと合わせていた。獲物を追い詰めているという実感からか、必死のカルガに歪んだ笑みさえ、ふたりは見せる。
上下のコンビネーションを何とかしねえと。
逡巡するカルガにお構いなしに刃が襲う。少しずつ傷は増え、カルガ自身を赤く染めて行く。切り結ぶ度にジリっと後退し、気が付けば背中にはボロボロの壁があるだけだった。
「終わりね」
キキの言葉に最速でモルバンが突っ込みを見せ、キキもその後ろに続く。
カルガは左手でポケットをまさぐると、硬質な鉄の塊を手にした。
突っ込むモルバンを睨む。
一瞬の間。
ここ! カルガは目を剥く。
腕に刺さっていた投げナイフをモルバン目掛けて投げた。
「バレバレだっつうの」
モルバンは簡単に避ける。出所が分かっていれば、ギリギリだろうが避けるなんて造作もない事だ。
ただし、キキは違う。モルバンの直後に張り付いていたキキに、いきなり現れたナイフを避ける術はない。これで終わりという慢心からの油断もあった。
背の低いドワーフ。攻撃の時なら、背後に完璧に隠れ、相手を翻弄する事も容易い。
ただ、それが仇となった。死角から急に現れたナイフは眉間へと突き刺さり、膝から崩れ落ちる。
モルバンは背後に異変を感じ、カルガの笑みを見やる。
振り下ろされるカルガの渾身の刃。
モルバンは強引に後ろに跳ねると、カルガの剣は地面を叩く。
「チッ!」
カルガは盛大な舌打ちをして、モルバンを睨んだ。
カルガの圧にモルバンはジリっと後退して行く。表情から余裕はなくなり、カルガの口端が上がる。その顔を睨みながら後退するモルバンの足元に何かが当たった。一瞬、視線を下へ向けると転がっているキキの足が見え、悟る。
クソ! モルバンは心の中で悪態をつくと、視線をカルガへ戻す。
刹那、眼前に迫る刃に表情はひきつる。カルガがこの一瞬の隙を見逃す事などしない、痛む体でずっと好機を、この時を、ひたすらに待っていた。
「終わりだな」
振り下ろすカルガの刃は、モルバンの体を捉えている。
モルバンは目を剥き、反射的に後ろに下がった。
!!
浅い!
振り下ろした刃は、斬り裂けない。止めを刺し損ない、カルガは険しく眉間に皺を寄せた。
モルバンは転がるキキに躓き、無様に後ろへと転がって行く。立ち上がるモルバンの頬と体から薄っすらと血を滲ませながらカルガを睨みつけると、指笛を鳴らし逃げて行った。
「クソが。ダルは⋯⋯」
モルバンの逃亡で、カルガは少しばかり弛緩すると激痛が体を襲う。アドレナリンで抑えていた痛みが一気に体中を駆け巡った。
「いってぇ⋯⋯」
どこを押さえればいいのか分からない程の全身の痛み。体を引き摺るようにダルの元を目指した。道端で目を剥くキキを一瞥し、ダルの元へと急ぐ。
指笛。一瞬の躊躇。ダルは倒れるように地面へと転がり、崩れた壁へと身を隠した。
「卑怯者! 出て来い! 斬り刻んでくれる!」
ケルウスの怒気を孕んだ言葉。
今まであった余裕は一瞬で塗り潰されていた。壁に背中を預け、ダルは激しく肩を上下させている。壁に隠れた所で時間の問題。手詰まり感が覆う。
考えろ。考えろ。
「なぁ、あんたが【魔族】に手を貸したお尋ね者か?」
物陰から男の囁きが届く。新手か? ダルの顔はさらに険しさを見せる。
「《ヴェント》」
風の刃が壁を吹き飛ばす。吹き飛ぶ壁の瓦礫が、ダルの横で勢い良く爆ぜた。
考えている余裕はねえ。どうする?
「なぁ、手を貸そうか?」
静かな声色で再び語り掛けて来る。
「そうかい。何とかして貰えるなら、そうして貰おうか」
半分ヤケクソぎみに、ダルが答えると物陰から灰色の髪をした男が現れた。顔はマスクをし、見えない。彫りの深い切れ長の目に、耳まで隠れるほど伸ばしている髪も相まって、一見して男とは声を聴かねば分からなかった。
腰のバッグから一枚の布切れを出すと、ダルの横へと滑り込んだ。
「《ヴェント》」
男はケルウスの詠う声に、壁から立ち上がった。
「おい! バカ! 頭を下げろ!」
ダルは反射的に叫んでいた。
吹き飛ばされる為に飛び込んだのか?
男の頭が吹き飛ぶ姿が頭を過り、ダルは頭を抱え縮こまった。
((ゴオオオオォォォオオ))
男は吹き飛ばず、握っていた布切れは消えかかっていた。風の刃は消え、ケルウスに業火が向かう。
突然の出来事にパニックを起こす、ケルウスの頭。
何が起きている?
今、目の前で起きている事象に頭が付いて来ず、反応は遅れる。
目前に迫る業火に尻餅をつき、無様な姿を晒し頬を焼いた。
「なぁ、あんた。あと2、3発は魔法を何とかしてやる。決めろよ」
「簡単に言うねぇ」
魔法を気にしなくていいのなら、かなり楽だ。しかも、ヤツは今混乱している。
好機。
男は腰のポーチからまた布切れを取り出し、握ったままケルウスへと駆け出した。得体の知れない男に、得体の知れない技。ケルウスは混乱から抜けきれぬまま対峙する。得体の知れないものに対する恐怖が、判断を狂わす。
「《ヴェント》」
男は布で風の刃を受け止めると、緑光の刃はまるで水が沁み込むように布に消えて行った。その刹那、爆発音を伴い業火がケルウスを襲う。目を剥き、腰を抜かすケルウスにダルは業火の後ろへ回り込む。
千載一遇。炎と共にケルウスへと疾走する。態勢の崩れているケルウスへ湾曲する刃を振り抜く。
ケルウスは倒れる程のけ反り、刃はケルウスの顔に一文字の傷を付けただけ。
ゴロゴロと後ろへ無様に転がり、そのまま逃げて行ってしまった。今のダルに追う気力はなく、膝から崩れ落ちると体を引き摺りながらカルガが現れる。
「おっせえぞ」
「うるせえ。こっちはふたりと遊んでいたんだ。てめえこそ、ひとりに何をチンタラしてやがった」
「あんなもんそう簡単にいくか、ボケ」
「もういい、疲れた。休ませろ」
「そいつは同感」
「で、こいつは何だ?」
カルガが親指で指すと、灰色髪の男は軽く手を振って答えて見せた。
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