湖畔
第63話 揺らめく光
見た事の無い美しい装飾を見せる建物。集落の入口から、ふたりはそれに見入っていた。集落の人間は物々しい姿を見せている軍勢に首を傾げるだけで、さして興味を示さず通り過ぎて行く。
「なんか、あっさりとしていますね」
「そうね」
予想外の反応を見せる
「こんにちは。ちょっといいかしら?」
整った顔を見せる青年に声を掛けてみた。青年は澄んだ瞳でミンを一瞥すると、すぐに視線を外す。
「いくない」
それだけ言ってスタスタと立ち去ってしまった。
「アハハハ、フラれちゃいましたね」
「じゃあ、ユリカ。あんたがやってみなさいよ」
ユリカは咳払いをひとつすると、少し高めの声で壮年の男性に声を掛けた。
「あのう~。もし、ちょっとよろしいかしら?」
男性は不機嫌を隠さず振り向いた。ユリカの顔を見るとあからさまにイヤな顔をして見せる。
「すいません。ここの方々は、人がお嫌いなのですか?」
「ああん? んなこたぁねえよ。人が嫌いじゃなくて、あんたらが嫌いなんじゃよ。だあれも関わり合いになりたくねえんだ」
ユリカは眦をひくつかせながら、無理矢理に笑顔をキープした。素直な一言は時に人の心を抉る。
「ひ⋯⋯ひとつお聞かせ下さいません事。私共、【魔法陣】について調べているのですが、何かご存知ありませんか?」
男は眉をピクっと一瞬動かしたが、首を横に振る。
「ああ、知らねえなぁ。何の事を言っているのかさっぱりだ。力になれなく悪いな、じゃあな」
男性は踵を返し、ユリカを背にする。
ドゴァッ。
男性は背中越しに聞こえた大きな粉砕音に振り返ると、入口に建つ支柱の一部が吹き飛び、大きく抉れている。傍らには銀に輝く戦鎚を構えるユリカの姿があった。
「あちゃあ。早いのよ」
ミンは頭を抱え、戦鎚を構えるユリカを睨んだ。普段の弓なりの双眸は、冷ややかな眼差しを向けて行く。
「下手に出ているのに⋯⋯何だぁ~その態度は」
震え上がると思われた壮年の男性は、変貌したユリカに冷ややかな視線を返す。
「ほれ、見ろ。本性を現しやがった。あんたらどこの者だ? クランスブルグの人間じゃねえな」
冷静さを失っているユリカの肩を掴み、ミンが眉をひとつ上げて見せた。
「へぇー、するどいじゃない。そうよ、私達はラムザの人間よ。【魔族】が、ラムザに不法侵入した上に、施設の破壊を行った可能性があるのよ。犯人がここにいると踏んでいるんだけどね」
「はぁ? 何バカな事を言っているんだ。そんな得にならねえ事をするバカなんて、ここにはいねえよ。回れ右して帰れ!」
次の瞬間、男の首は地面に転がり何も言えなくなっていた。振り抜いた戦鎚には、べったりと血糊が付き、転がる首をユリカは冷ややかに見下ろす。
ミンの表情はといえば盛大に強張りを見せ、頭を抱えて見せた。
「何しているのよ! 話ししていたのにー!」
「こいつ、バカ呼ばわりした」
「いいじゃない、そんなの! ああ、もう!」
ミンはふくれっ面で、ユリカを睨みつけた。ユリカはざわつき始めた集落を睨みつける。
「何しやがんだ!」
「帰れ! クズが!」
「ルータス!!」
壮年の女性が、首の取れた体と頭に駆け寄った。
罵声と怒号が飛び交う集落。ミンは困り果て、頭を何度も掻いた。
「こうなっちゃうと穏便にって訳には行かないわよねぇ⋯⋯。ラムザに不法侵入した人間と【魔法陣】の情報を可及的速やかに差し出しなさい!」
その中をひとり、長身の老人が前に進み出る。しっかりとした足取りで、ミンの前に立つ。道で亡骸を抱え泣き崩れる女性の姿を一瞥し、眼光鋭くミンを睨む。
「こいつがあんたらに何か危害を加えたのか?」
老人は首の無い男性を指す。無言を貫くミンを鋭く静かに見つめた。
「黙っていては分からん。どうなんだ?」
「いやぁ、別に何もしてないわね」
バツの悪いミンは言いづらそうに答える。老人は目を細め、怪訝な表情を見せ続けた。
「何も⋯⋯? では、殺された理由は?」
ミンは答えられず、首を傾げてとぼけるだけだった。老人は顎に手をやり、深く逡巡の素振りを見せる。
「獣だな。こんなやり方、人とは思えん。人ひとり殺しておいて、その不遜な態度。怒りが爆発しそうじゃ」
「アハ、爆発すればいいじゃん。大体、犯罪者を匿っている時点でここの人達はアウトでしょう」
小馬鹿にするようにユリカが割って入ると、老人は何度も首を横に振った。
「犯罪者とは何だ? ここにいるという証拠は? そもそも、その犯罪者とやらは誰だ?」
「【魔法陣】に精通している人間って言ったら、【魔族】しかいないじゃない。それだけで充分でしょう」
「ここに【魔法陣】に精通している人間などおらぬ。私らはここで静かに暮らしているだけだ、いい加減にして貰おうか」
老人は静かに滾る。理不尽な横暴に屈する事はない。
一触即発。今にも互いに爆発せんと空気が張り詰めて行く。誰しも緊張を何度となく飲み込む。
ただひとり、興味を失い退屈そうにこの場を眺めていた。
やり取りを嘆息しながら眺めていると唐突に詠う。
「《イグニスプレガドール》」
唐突なミンの詠唱に、老人は顔を蒼くした。
その刹那、大火炎が集落を襲う。特大の火炎は大きな生き物のようにうねり、人も建物も眼前の物全てを焼き払う。老人も亡骸も抱いていた女性も、軍勢を睨んでいた
「ミン! 何しているのよ! 聞ける人いなくなっちゃったじゃない!」
「なんか、もう面倒になっちゃって。どうせ奥にまだいるでしょう? そっちで聞けばいいじゃない」
大量虐殺と言っても過言では無い行為。自軍の兵士さえ、震えあがっている事に気付いていなかった。カラカラとじゃれ合うふたりの姿を悪魔と重ねる者も少なくない事に、本人達は気付いてはいない。仮に気付いたとしても、きっと気にも止めないだろう。
ミンはざわつく自軍に怪訝な表情を見せた。
「ほら、あんた達行くよ」
焼け跡が生々しい集落を奥へと進む。付近から人の気配が消えた。
日は落ち、夕闇が建物の長い影を映す。普段であれば夕餉の煙が立ち込め、大人達は一日の疲れを労っているはずだった。静まり返る集落から夕餉の煙など一切立ってはいない。
逃げ出した? 隠れているのか? ミンは集落の様子を確認しながら進んで行くと、ちょうど中央の辺り、少し開けた場所で部隊を止める。
「ちょうどいい感じだからここに陣を張っちゃおうか。それとあんた達、建物の中に人がいないか見て来てよ。いたら誰でもいいから連れて来て」
「子供でもですか?」
「当たり前でしょう。なんか知っているかも知れないんだから。ほら、サッサと行った、行った」
半円を描くように馬車を停め、中央で松明が燃える。我が物顔で居座るミンとユリカ。ふたりの表情は優れない。
「何か適当に話聞いてさ、次に進めるとばっかり思っていたのに、モブキャラに足止め食らっちゃったよ。もっとサクサク~と進むものでしょう」
「ミンが台無しにしちゃったんじゃない。なんで、あそこで焼き消しちゃうかなぁ」
「元はと言えば、あんたが短気起こすから、ややこしくなったんじゃない」
「違うよ、ミンだよ」
「いいや、違わない」
不毛な会話を続けるふたりに緊張感の欠片も、罪悪感の欠片もなかった。
人気の無い集落に闇が訪れると、静けさが不気味さを増して行く。
暗闇に淡く映る、橙色の揺らめきを獣人の目が捉える。湖畔を通じて感じるはずの人の気配が無い。ユランとアンは目配せすると集落を前にして、馬車のランプを吹き消した。
「どうした?」
カルガは獣人が感じた異変を問う。そのやり取りに一気に馬車内の緊張が跳ね上がった。手綱をユランに任せ、アンはカルガへと振り返る。
「生活の光が無い、気配が無い」
「あ? 生活じゃない光はあるのか?」
「ある。光が揺らめいている。焚火か松明か何か⋯⋯。ちょっとまだ遠い、ここからは少し慎重に行こう」
生活の光が無い⋯⋯。それが何を意味しているのか、今の段階では分からない。ただ、ひたすらに不穏な感覚が圧し掛かる。
みんな、大丈夫なのかな。僕はまた月に向かって願う事しか出来ず、憂鬱な気分になった。
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