追跡者

第48話 優しい時間

「起きたかい。大丈夫か? しかし、どうした? そのひどい火傷は。ばあさーん! 娘が起きたぞい!」


 顔色の悪い老人が、心配そうに覗き込む。見知らぬ人に見知らぬ天井。木のぬくもりを感じる部屋で柔らかな布団を掛けられていた。

 ここはどこ? ぼやけていた視界のピントが合ってくると、寝ぼけていた頭も覚醒して行く。瞳の奥に深い憎しみを写したが、それを隠し笑顔を向けた。


「おじいさんが助けてくれたの? ありがとう」

「今、食べ物と飲み物持ってくるから、ちょっと待っていなさい」


 森のエルフシルヴァンエルフのやさしさ。おでこに当てている濡れた手ぬぐいを絞り直し、またおでこに当てる。体が熱を帯びているのが分かる、ひんやりとした感触がとても気持ち良かった。


「あれあれ、良かったね。一時はどうなるかと思ったけど、ゆっくり休んでいきなさい。どれ、ヒールでも当てようかね。《キュアオーブ》」


 おばあさんがスープと水の入ったポットをベッドの脇に置くと、回復姿に破顔し、柔らかな光を詠う。

 女は瞳の奥に鋭さを隠し、柔らかな笑みを浮かべた。その様子に老夫婦が破顔して見せる。

 女はただれた自らの腕を見つめ、ただれた顔に手を触れた。その姿に老夫婦から笑みは消え、複雑な表情を見せていく。


「ごめんなさいね。傷は治せたけど、ただれた皮膚までは治せなかったのよ⋯⋯」

「謝らないでいいよ。助けて貰っただけで充分、スープ貰うね」


 ただれた顔の皮膚がつっぱり、スープを上手く飲み込めない。二度、三度と飲み込み老夫婦に笑顔を向けた。


「美味しいね。何からなにまでホントありがとう。ねえ、私どれくらい寝ていたの?」

「そうさな、ここに連れて来て四日ほど経ったかな」

「そっか。湖のほとりにある集落ってここから近い?」

「あそこかい? あんな所にあんた用があるのか? ここからあんたの馬なら半日も掛からないで行けるぞ。南に下ればすぐだ」

「ちょっと忘れ物をねえ⋯⋯。私の事って誰かに話した?」


 老夫婦は顔を見合わせ、揃って首を傾げて見せた。


「いんや。なんせ人と会う事なんてほとんどないんでね。代わりに忘れ物を取って来てやろうか?」

「やさしいね。でも、私が行かないとダメなんだ」

「遠慮するな。今日の午後にでも買い出しに行くつもりだ。そのついでだ」


 おじいさんは、柔らかな笑顔を向けると女は感情の薄い笑顔を返す。


「そういや、お嬢ちゃん名はなんというの?」


 おばあさんは、やさしく問い掛けた。


「私? 私は⋯⋯リアーナ・フォス。クランスブルグの勇者よ。良くして貰ったのにゴメンね」


 リアーナはベッドから起き上がると、おじいさんの首を簡単にねじ切った。

 恐怖と混乱で腰を抜かしているおばあさんの首もねじ切ってしまう。

 一瞬の出来事。叫び声も、助けを呼ぶ声すらも上げる時間など無く、床へと無残に転がってしまった。


「治してくれてありがとう。勇者を救ったって誇っていいよ。天国でだけど。生きている事はバレたくないのよ、ゴメンね」


 血の池に沈むふたりに優しく声を掛ける。部屋中に溢れ返る鉄の臭い。リアーナは気にする事もなく残ったスープを飲み干すと、鋭い瞳を見せて行く。


「勇者と人じゃ、生命の重さが違うのよねぇ~。こればっかりは仕方ないのよ」


 血溜まりの出来た部屋へ捨てセリフを残し、小屋をあとにした。

 馬に跨り、南へと疾走する。焼けただれた顔の眼光は鋭く前だけを見つめていた。


◇◇◇◇


 僕は目を覚ますとアジトの居間へと、起ききらない頭で大あくびをしながら向かった。久々に深い眠りにつけた気がする。居間の扉を開け、中へと入って行くとすでに全員が揃っていた。


「みんな早いね。おはよう」

「アーウィンが遅いんだよ」

「ラランは良く眠れたの?」

「シシシシ、ぐっすり」


 僕は笑顔を返して、目の前に置かれたパンを手に取った。スープに浸さなくても、ふわふわと柔らかなパンに庶民と勇者の落差を感じる。こんな美味しいパンを初めて食べた。

 カルガは黙々と食べ、席を立つ。その姿に慌てて声を掛ける。


「カルガ、この後はどうするの?」

「ああ? とりあえずオレは、アベールの所でマインと合流する。【魔法陣】の事で確認したい事があるんでな」

「そっか」


 僕はもそもそとパンを頬張りながら、今後の動きについて考えた。

 このタイミングで鍵屋に戻るってわけにはいかないよね。

 ふと前へ視線を移すと、未だ落ち込みを見せるミヒャの姿があった。アーウィンはさらに逡巡する。


「ララン、街を見に行くかい?」

「行く! 行きたい!」


 紅い瞳を爛々と輝かせ、ラランは破顔して見せた。

 その姿に釣られて笑顔になる。僕は前にいるミヒャへと視線を移し、意を決した。


「ミ、ミヒャ。よ、良かったら、ラ、ラランと一緒に街を散歩しな⋯⋯してくれないかな? 情けない話、ひとりで連れて歩くの、まだ少し怖いんだ」

「シシシシ、行こうよ! お姉ちゃん!」


 ミヒャは顔を上げると、少し固く微笑むアーウィンと破顔するラランを交互に見つめた。ジョン達の方へ視線を移すと、ジョンは黙って笑顔で頷いて見せる。


「⋯⋯いいのか」

「いいも何もお願いしているのはこっちだよ」


 

 王城から遠ざかるように王都クランスの西部地区を歩く。鍵屋からも離れ、知る人などいない地区。ラランはミヒャを真似て布で顔を覆った。紅い瞳のふたりは端から見れば姉妹に映るに違いない。大勢の人の波、高い建物群、忙しなく動く人々にラランは目を白黒させながら見る物全てに感嘆の声を上げていく。

 ラランがふたりの腕を取り、破顔して見せるとアーウィンもミヒャも笑顔を見せる。


「少し休もうか。どこかお店⋯⋯あ!」


 ラランとミヒャの顔を晒す訳にはいかない、お店はダメだ。何かいい方法はないかと逡巡する。


「⋯⋯人目につかない場所がある。何か買い出しして、そこで休むのはどう?」

「いいね! そうしよう。ラランの食べたい物を買って行こうか」

「やったぁあ! シシシシ、何にしようかな~」


 店や屋台を見て回る。食欲をそそる香ばしい香りや、フレッシュな甘い果実の香り。たくさんの食べ物と飲み物を抱え、集合住宅の一室に案内された。

 簡素な作りの何の変哲もない集合住宅の一室。居間と寝室しかないお世辞にも広くはない部屋。飾り付けもなく必要最低限の物だけが置かれた部屋。


「ここは?」


 僕は部屋を見回しながら、顔を覆う布を外しているミヒャに問いかける。ショートヘアーが凛々しい。布が椅子に掛けられると綺麗な顔立ちが現れ、薄い大きめの口が柔らかな笑みを向けた。


「ここは私が私でいられる部屋。給金の使い道がなかったから、部屋を借りているの。あまり来られないけど。ここにいる時は出来るだけ何も考えない。ひとりになる為の部屋」

「え?! いいの?!」

「みんなには内緒よ」


 いつも見せる凛々しいミヒャと違い、柔らかな表情にドキドキしてしまう。


「さぁ、食べましょう」

「シシシシ、美味しそう! いただきまーす! うまっ!」

「ララン、ゆっくり食べなよ。喉に詰まっちゃうよ」

「なんだかアーウィン、じいちゃんみたい⋯⋯」

「じいちゃんって! おっさんよりひどいよ」

「ぷっ! クククククク⋯⋯」


 ふたりのやり取りにミヒャは口を押さえ必死に笑いを堪えていたが、耐えきれず吹き出す。その姿をアーウィンはひと睨みすると、諦めたのか柔らかな笑みを見せていく。

 ゆっくりと流れる、幸せな時間。ずっと続けばいいのにと誰もが願う。勇者も魔族も何も関係ない、ただただ流れる温かな空気と時間に身を預けた。

 ただ全てが終わるまでは、かりそめでしかない。この幸せな時間の揺り返しが必ず来る事も知っている。でも、今だけは憂鬱にならず、この幸せな時間を満喫するんだ。

 笑顔、笑顔、笑顔。

 笑顔しかない空間。温かな気持ちと空間。


「はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯」


 椅子の上で苦しそうにラランが胸を押さえた。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫⋯⋯。ふぅー。ちょっとはしゃぎ過ぎて疲れちった」

「今、ベッドの準備してくる。ちょっと休むといいわ」

「うん。お言葉に甘える」


 ミヒャは立ち上がり寝室へと向かった。心配だけど何も出来ない自分がもどかしい。


「あとでヒール掛けて貰おうか」

「ううん。いい大丈夫。少し横になれば復活するから。楽しかったなぁ。こんなに楽しかったの初めて。アーウィンもお姉ちゃんもありがとう」

「何言っているのさ。また、落ち着いたらいつでも遊びに来られるよ」

「そうだね⋯⋯。楽しみ。シシシシ⋯⋯」

「準備出来た。ララン、いらっしゃい」


 ミヒャに肩を抱かれて寝室へと入って行った。昨日今日と一気に刺激が強すぎたかな。慣れない環境で緊張していたのかも知れない。


「大丈夫そう。すぐに寝ちゃった」


 ミヒャが居間へと戻って来た。僕は黙って頷く。


「あ、ラランがお姉ちゃんありがとう、楽しかったってさ。良かったよね」

「そうね。私も楽しかった。こっちに来てから誰かとこんなにリラックス出来たのは初めてかも」

「そうなの? でも、良かった。僕も久々に楽しかった。ずっとこんな日が続けばいいのにって思ったよ」

「本当にそうね。穏やかで優しい時間⋯⋯。アーウィンのおかげね。ありがとう」


 柔らかな笑みを向けられ、照れに照れる。


「い、いや。な、何もしてないし⋯⋯もっとしっかりしなくちゃって、思うばかりだよ」

「あなたは、そのままでいて欲しい。そのままで充分よ。私が絶対にあなたを守ってみせる」

「それ! 僕が言いたいセリフじゃない!」

「先に言った者勝ちよ」

「ずるいよー」


 不貞腐れる僕をからかうように、柔らかな笑みを向ける。そんな綺麗な笑顔を向けられると何も言えない。

 僕も笑みを返すとテーブルの上に置かれたふたりの指が触れ合った。

 ミヒャの長くしなやかな指が、僕の指と絡み合う。ふたりとも照れ笑いを浮かべ、長い時間見つめ合っていた。

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