第13話 聖女の憂鬱

 両腕から止めどなく流れ落ちる血。暗闇に浮かび上がる無数の目玉。

 別れが惜しい。

 小瓶に浮ぶ目玉は何の意思も示さない。それでもマリアンヌは、愛おしいと視線を向け、終わりを迎えようと決意した。足掻いた所でこの子達とは引き裂かれる、ならばみんなに見つめられながら終わりを迎えよう。マリアンヌは小瓶を慈しむかのようにひとりひとりの名を呼んでいく。

 

「⋯⋯ラルク、イルタ、ああ⋯⋯ダニー⋯⋯⋯⋯⋯⋯ジョゼフ!!! あなたはここにいない!! ここにはいない!」


 突然、声を荒げる。目を剥き、棚の一点を見つめ吼えた。

 空が白み始めると視界が狭くなって行く。自らの終焉が、もう目の前だと悟る。

 私の愛おしい子供達。

 静かに朽ちて行く。

 呼吸の間隔が広くなると、意識に厚い膜が張り混濁して行った。

 ゆっくりと目を閉じて行く。

 刹那、一瞬の覚醒。


「⋯⋯あの⋯⋯男⋯⋯!」


 私と子供達を引き裂いた。許さない。

 目を剥き、口から言葉が零れ落ちて行くと意識の糸がぶつりと切れた。





 ミヒャの意識に警告が響く。【生命感知ヴィーテセンソ】からまたひとつ気魂プシケが消えた。

 太陽が上り始めた早朝、過度な調度品が一切ない殺風景な部屋が明るくなり始めたばかりの時間に、質素な寝台から飛び起きる。


「なんて事⋯⋯」


 この短期間で勇者がふたりも消えた。かつてない異常事態に自然と顔つきは険しくなっていく。狙われたふたりは共にマジックユーザー。肉弾戦が不得手な者を狙った? それはある。

 だが、アサトのように裏の顔がある⋯⋯とか? いや、しかしマリアンヌでそのような噂は聞いた事がない。自分が知らないだけでユウは知っているのか? 答えの出ない堂々巡りを繰り返していると窓の外は明るくなっていく。急ぐべき案件なのだが、思考と体が硬直した。とりあえず、ユウに伝えねば。

 ミヒャは寝台を抜け出て、重い足取りでユウの元へと向かった。

 夜も明けきらぬ早朝、少しばかり躊躇して扉をノックする。


「どちら?」

「⋯⋯ユウ。緊急事態だ」


 ミヒャの声にすぐに扉は開く。シルクの寝間着に身を包むユウが眠そうに顔を覗かせ、ミヒャの姿を確認するとすぐに中に招き入れた。ミヒャの部屋とは違い豪奢な調度品で飾られた部屋。すぐに大理石で出来たテーブルへと案内される。

 ミヒャは座るか座らないかというタイミングで早々に口を開いた。


「⋯⋯マリアンヌが死んだぞ」

「ぇっ!?」


 ユウの覚醒しきれていなかった頭が一気に覚醒した。ミヒャと思う事は一緒、この短期間でふたり、なぜ?


「場所は?」

「⋯⋯位置的に西、サーゴ村の中だろう」

「村の中? イヤな予感しかないな。準備してすぐに行こう」

「⋯⋯分かった。みんなに伝えて来る」

「頼むよ。しかし何だって⋯⋯」

「ユウ、ひとつだけ教えてくれ。マリアンヌに良からぬ噂はあったか?」


 ユウは顎に手を置き、逡巡する。すぐさま顔を上げ、首を横に振った。


「いや、僕は聞いた事はない」

「⋯⋯そうか」


 ミヒャはそれだけ言うと、各勇者の部屋を叩いて回る。眠そうに顔出すがミヒャの言葉にすぐに目を覚まして行った。


 

 一行はサーゴ村へと急ぐ。馬車の両輪は激しく回転し続け、誰もがイヤな胸騒ぎを掻き立てられた。馬車の中は比較的静かで、リアーナがひとりでしゃべり続け、みんなが生返事を繰り返していた。


「同じ犯人に違いないよね! 勇者を狙うなんていい度胸しているわ。そう思わない?」

「ああ⋯⋯そうだな」


 ジョンは、面倒くさそうに答えた。頬杖をつき窓の外へと視線を向ける。街道をひた走る馬車の中、重い空気がのしかかった。立て続く勇者の死、リアーナの言う通り、同じ人間が噛んでいる可能性は十二分に考えられる。仮にそうだとすると、マリアンヌにも裏の顔があるのか? 接している分には至って常識人だ。アサトのような性格の破綻は感じた事はない。

 ただ、気になるといえば、彼女の事を良く知らないという点だ。パーティーも違うし、絡む機会が少ない事もあるが、何を考えているのか掴めない所はあった。でも、それで裏の顔があるのかと言われれば首を傾げる。

 とすると、殺しやすいから殺した? 

 いや、その前に殺されたかどうかは現場を見ないと分からない。病死や事故死の可能性だってあるんだ。

 でも、ここにいる人間が病気や事故を疑っているかといえば答えはノーだ。治療師ヒーラーが病に侵されたら、治せばいい。

 では、事故? ありえるが、村落で命を落とす事故なんてそうそう起きないし、それに巻き込まれる可能性なんて皆無に等しい。危険なモンスターの存在。ありえなくはないが⋯⋯。

 考えだしたらキリがない、現場見るまで止めだ。

 窓の外を見つめる者、俯く者、目を閉じている者、各々考えている事に大きな差異はなかった。続けざまの不祥事、偶然ではないと、全員がそう感じている。

 


 馬車が村の入口へとたどり着いた。豪奢な馬車の登場に村がざわつく。早朝に突然現れた勇者の一団に、村の住人達は困惑していた。眠い目をこすりながら窓から顔を出し、その様子を遠巻きに眺める。


「勇者様、こんな時間にどうかされましたか?」


 着の身着のままに飛び出た犬人シアンスロープの村長が、馬車へと歩み寄る。ユウはニコリと笑顔を向け村長を制した。


「騒がせてすまないね、村長。目的地の通り道だったので、マリアンヌを拾いに来た。すぐに出るよ。それとすまないがひとつ頼まれ事を。いろいろ機密事項があるので、治療院の周りの人払いをお願いするよ」

「かしこまりました」

「村長さん、宜しく」


 柔らかな雰囲気でユウは村長に対峙した。村長は疑う事もせず大きく頷く。ユウは馬車の中へ顔を戻すと嘆息した。


「なんだか、心苦しいね」

「本当の事言えないからか?」

「ああ」


 ユウは苦い顔をジョンに向けた。外に顔を向けると村長が、住民達に落ち着くようにと釘を刺していた。



「ここか、降りよう」


 治療院の前に停め、ユウを先頭に馬車を降りた。長い作りの治療院を眺め、勇者達の表情は険しく緊張が走って行く。


「ミヒャ、どの辺りだい?」


 ユウの言葉に、一点を顎で指した。


「こっちに入口あるよ!」


 コウタが裏手から声を上げた。その声の方へと駆ける。


「開かねえ」


 ジョンがノブを回すがカチャカチャと音を鳴らすだけで開く気配がない。


「そういえば、マリアンヌにお付きの猫人キャットピープルがいるじゃない。彼なら持っているんじゃない?」


 リアーナが顎に指を置きながら笑顔を向けた。ユウもその言葉に頷き、パーティーからエルフを呼び出した。


「リッセル。すまないがマリアンヌの付き人を呼んで来てくれないか?」

「ユアンですね。分かりました。探して来ます」


 青い髪をたなびかせエルフは足早に村の中心部へと駆けて行く。

 しばらくもしないうちに肩で息をする、美丈夫の猫人キャットピープルが現れた。


「みなさん、お揃いでどうされたのですか?」


 事情を知らないユアンは首を傾げて見せた。早朝に現れた一団にその切れ長の瞳は怪訝の色を浮かべる。ジョンはその姿を見つめ、問いかけた。


「マリアンヌが、気になってね。昨日はどんな感じだった?」

「いつもとお変わりありませんでしたが。何か?」

「ま、とりあえずここ開けてくれ」

「あ、はい」


 裏口が開くと長い廊下が見えた。一直線に伸びる長い廊下へと足を踏み入れる。右側には部屋が三つ、どれも扉は閉まっていた。左側は窓が並び朝日を照らし出し、教会の壁が見える。さらに奥へと進む一番奥の部屋、左側にひとつだけある部屋。

 ユウがミヒャを見ると、ミヒャは黙って頷いて見せた。堅牢な錠前で閉じられている扉。


「ユアン、開けてくれ」

「ユウ様、申し訳ありませんがこの部屋の管理はマリアンヌ様が行っていますので、私は鍵を持ち合わせておりません」

「マリアンヌ以外開けられる者はいないのか?」

「はい。おりません。鍵がどこにあるのか⋯⋯もしかしたらマリアンヌ様の寝室にあるかも知れませんが⋯⋯」


 一同が顔を見合わせる。どういう事だ?


「第三者が絡んでいるって事じゃない。マリアンヌを襲って鍵を掛けて逃げた⋯⋯。て事で壊すわよ。《イフリート》」


 リアーナの細身の剣が真っ赤な炎を纏う。鍵に切っ先を当てると堅牢な鍵はぐにゃっとひしゃげていく、リアーナの真剣な眼差しが鍵を見つめ、一気に斬り落とした。


「お見事」


 ジョンが軽く拍手すると、直ぐに扉へ手を掛けた。ゆっくりと開く扉。カーテンの閉じている部屋はうす暗く目が慣れるまで少し時間が掛かった。ジョンの目に飛び込んで来た物、理解するのに時間を有した。


「何だこりゃあ⋯⋯」


 口から言葉が零れ落ち、続く言葉が出て来なかった。

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