第12話 救済

 救われた?

 どういう事? マリアンヌの心は激しく揺れる。懺悔室を訪れる住人の言葉が全く届かない。気を抜くと口元から笑みは消え、厳しく口元を結んでいた。

 いつもと様子の違うマリアンヌに住人は小首を傾げながら懺悔室をあとにする。

 途中で切り上げる? いや、何かを勘ぐられて困るのはこちら。

 ユアンを行かそうにもあの部屋の事を知られるわけにはいかない。

 あの男何者? 

 何を知っている? 

 気が付くとその事ばかりが頭を占める。心の警鐘は激しさを増して行き、マリアンヌは狭い懺悔室の中で、早く終わってと心の中で願い続けた。





 暗闇でふたり息を潜める。ジョゼフに何が起きていたのか聞く気にすらならない。僕がもっとしっかりしていれば、元気づけてあげられるのに⋯⋯自分の不甲斐なさがもどかしい。

 ジョゼフに落ちていた布を羽織らせ、肩を抱き続けた。震えは治まったが口を開く事は無かった。

 カチャ。

 静かに扉の開く音がすると、ジョゼフは激しく体を震わせ、強張りを見せた。


「大丈夫。彼が戻って来たんだよ」


 カルガは周りの様子を伺いながら、慎重に中へと進んだ。


「おい」


 小声の呼びかけに、僕達は体を起こした。


「どう?」

「大丈夫だ。早速、頼まれろ。お前達ふたりは向かいの部屋に隠れて、オレが合図するまで出て来るな。いいな」

「分かった」


 僕とジョゼフは頷く、その姿にカルガは満足気な表情を見せる。


「それとここを出たら、鍵を外から掛けてくれ。鍵が掛かっていれば、中にはジョゼフしか居ないと思うはずだ。油断させる」


 カルガは僕にこの部屋の鍵を手渡す。僕は黙ってそれを受け取り、力強く頷いて見せた。


「ジョゼフがここにいる時点で目的は九割達成している。後は綺麗に終わらせるだけだ。殺しはしない、死ぬか生きるかはヤツに決めさせる。ジョゼフ、心配するな。ヤツが仮に生きたとしてもお前に手を出す事は二度とない。約束する」

「よし。ジョゼフ行こう」

「あと、これ預かってくれ」


 カルガは羽織っていた外套を渡してきた。それを受け取り、僕達は秘密の部屋をあとにする。鍵をしっかり掛け、向かいの部屋へと滑り込んだ。部屋というには雑然としている、倉庫かな? 埃っぽさを感じながら僕達は息を潜める。


「もう少しで終わるね」

「⋯⋯うん」


 ジョゼフは始めて声を出して頷いた。大きめの嵌め殺しの窓からは、月明かりが射しこむ。ぼんやりと照らす部屋の中はいらなくなった物をとりあえず放り込んだのか、折れたほうきや割れたバケツが転がっている。

 ふと、何かの気配を感じ、耳を澄ました。男の声がする。何か話しをしているのが聞こえてきた。


(鍵閉まっているか確認してこいって、何だよな)

(盗まれる物なんざぁ、ねえだろ)


 まずい。表と繋がる裏口の鍵、カルガは鍵掛けたのか? 扉から裏口を覗くが、離れている扉は見えるはずはない。脈拍がみるみる上がって行く。

 クソ! 考えるな。


「ジョゼフ、隠れていろ。動いちゃダメだ、すぐ戻る」


 扉を開けて、裏口へと急ぐ。

 外を歩く男達の足が不意に止まった。


(あれ? 今なんか動かなかったか?)


 嵌め殺しの窓から、ランプの光が差し込む。ジョゼフはボロ布を頭まで被り、言われた通りにじっとしていた。ランプの光が布越しに照らしているのが分かった。ジョゼフは目をきつく閉じてやり過ごす。震えそうな体を勇気を振り絞り、じっと堪えた。


(どうした? 何かあったのか?)

(⋯⋯いや、気のせいだったみたいだ)

(さっさと終わらせようぜ)


 遠のく足音にジョゼフの体は弛緩していった。



 まずい、まずい。僕は裏口へと急ぐ。男達より先に鍵を回さなければ。もつれそうになる足を必死に動かし裏口へと急ぐ。男達の気配を感じる。ボソボソと何かを話している声が聞こえてきた。

 急げ。

 荒れる呼吸のまま鍵に手を伸ばす、男達の気配をすぐそこに感じる。

 焦るな。

 急いで回せば、気配でバレる。僕は細心の注意を払い、ゆっくりと鍵を回す。

 カチッとサムターンが音を鳴らした。こんなに大きな音がする物か!? 心臓音がひとつ跳ね上がり、僕は扉の裏で気配を消す。

 同時にカチャカチャと男達がノブを回して鍵を確認した。

 はぁーと吐息が漏れていく。間に合った。良かった。


(閉まっているな)

(マリアンヌさんの思い過ごしだったんだろ。戻ろうぜ)

(ちょっと一服していかないか?)

(それもそうだな。火貸してくれよ)

(ほらよ)


 何やっているんだよ! 早く戻れよ。呑気に煙草ふかしている場合じゃないだろ。

 扉の裏で気配を消しながら、僕は顔をしかめる。早く吸い終われと祈る事しか出来ない。


(おい! あれ、マリアンヌさんじゃないか?)

(うわっ! やべっ! 消せ、消せ)

(あ、マリアンヌさん! 鍵閉まっていましたよ)


「あら、そう」


 はっきりとマリアンヌの声が聞こえた。マズイ、マズイぞ。戻らないと。間違いなくこの鍵を開けて秘密の部屋に向かうはずだ。マリアンヌひとりならまだいいが、このタイミングで見つかったら護衛が突っ込んで来る。

 僕は腹をくくる。扉から離れ、急いでジョゼフの元へと駆け出した。背中で扉に鍵を差し込む気配を感じる。

 急げ! なりふり構わず廊下を駆け抜け、倉庫へと飛び込む。音が鳴らぬように留意しながら倉庫の扉を急いで閉めると、ギっと裏口の開く音がして廊下の空気が動くのが分かる。

 危なかった。

 もうワンテンポ遅れたら見つかっていた。

 ジョゼフの肩を抱き、扉に耳をそばだてる。廊下の軋む音、足早に進んでいるのが分かる。大丈夫、こっちには気づいていない。荒れる呼吸を無理やり抑え込み、僕達はまた息を殺した。

 カチャカチャと向かいの扉の鍵を音が聞こえる。その音からマリアンヌの焦りが聞き取れた。



 扉の鍵を開ける気配。カルガは部屋の隅で息を潜める。腰の剣に手を置き、静かにその時を待つ。扉が開き、少し焦りの見える魔女が現れる。純白の法衣がランプの灯りに照らし出され、扉をしっかりと閉めると奥へと足早に進んで行った。鍵が掛かっていた事に加え、部屋の様子が変わらぬ事でマリアンヌの心は少しばかり弛緩していた。

 カルガは悟られぬように扉側へと回り、魔女の背中へと回り込む。

 マリアンヌはジョゼフの居た、部屋の隅を覗き込んだ。


「もう居ねえよ。言っただろう、さっき」


 マリアンヌはその声に振り返り、驚愕の表情を見せた。

 カルガは口角を上げ、間髪入れずに右腕へと剣を振り下ろす。真っ直ぐなその軌道は見事なまでに右腕を斬り落とす。返す刀で左腕を斬り上げると、マリアンヌの左腕は少しばかり跳ね上がり、ドンっと鈍い静かな音と共に床に転がった。


「ぎゃあああああああああああ!!」


 失った両腕から血が吹き出し、マリアンヌは叫びを上げる。その姿に小首を傾げながら冷ややかな視線を向ける。


「これじゃあ、もう手当ヒールて出来なくなっちまったな。いくら叫んでも、どうせ聞こえやしないんだろ。魔術で結界でも張ってんのか?」

「ぁ⋯⋯ぁぁぁぁ⋯⋯」

 

 カルガはマリアンヌの長い黒髪をワシ掴みにして、顔を寄せて行く。カルガの鋭い瞳は怒りと冷笑を讃える。その射抜く視線にマリアンヌは震える事しか出来なかった。


「最後は自分で決めろ。どうせ魔法で勇者達を呼べるんだろ? 呼んでこの状況を見て貰ったうえで、生きながらえるか。朽ち果てる姿を小瓶に詰めたガキ共に見守れながら、死を選ぶのか。お前の自由だ。好きな方を選びな」


 何が起こったのか、起こっているのか、マリアンヌは困惑と動揺で何も考えられない。叫ぶ事さえ忘れて地面に転がる。涙に濡れる瞳はどこを見つめているのか分からぬまま、見開いていた。その姿をカルガは見下す。冷めた鋭い眼光で一瞥すると、錠前を布で掴み部屋をあとにした。



「アーウィン」


 カルガの静かな呼び声が聞こえ、僕達は倉庫をあとにする。

 ふたりを見ると大きく頷き、カルガは秘密の部屋に掛かる錠前を顎で指した。僕はすぐに鍵を閉じる。一回開けた物を閉じるのなんて分けない。

 カルガが急いで外套を羽織り、血塗れの姿を隠す。僕達は急いで治療院をあとにし、真っ直ぐジョゼフの家へと急ぐ。

 明日への英気を養う為、住人達は家路についていた。先ほどまでの喧騒がウソのように村の時間は静かに流れている。窓から漏れるランプの灯りが平和な一日の終わりを感じさせた。

 静かな村を進む。治療院からそう離れていない一般的な一軒家を、ジョゼフが指差す。カルガはしゃがむと、ジョゼフの肩にそっと手を置いた。鋭かった眼差しは、柔らかな笑みを湛えている。


「ジョゼフ、良く頑張ったな。お前はあの魔女の隙をついて逃げた。いいな。オレ達の事は言うな。内緒だ。男同士の約束、守れるな」

「うん」

「よし」


 ジョゼフの力強い頷きに、カルガは頭を乱暴に撫で、破顔して見せた。


「みんな心配している。さぁ、行け」


 カルガの言葉にジョゼフは、家へと駆け出した。精神も体もすり減らしているはずだが、帰れる喜びにその足取りは喜びに満ち溢れていた。僕達はその後ろ姿を見つめる。

 ジョゼフがふいに足を止め、振り返った。


「ありがとう!」


 そう言うと、駆け出して行った。僕達は視線を交わす。この先どう転ぶか分からない、だけど、今この瞬間は心の底から良かったと思えた。


「オレ達も急ごう」


 カルガの言葉を受けて、僕達は街の暗闇へと溶け込んで行った。

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