遺稿 七
「で、どうだった?」
ケーキを食べていると、帰ってきてしまった姉がそう話し掛けてきた。
いつも通りの高圧的な態度に舌打ちしたくて堪らなかったけど、そうすると面倒なことになるから我慢して、手洗いうがいをし始めた姉にユキさん家でのことを話した。
「……でさ、四季坂先生の遺稿を視てほしい、とは言われたけど、ちょっとだけ、アレは原稿用紙じゃなくてただの紙の束だとか、原稿用紙だけど何も書かれてなかった、とかだったらどうしようって思ったの。まぁ、そんなことなかったけど。終わりまできちんと書かれた、四季坂先生の遺稿だった」
「ふーん」
自分から訊いてきたくせに、姉はつまらなそうに返事をすると、私がいるダイニングテーブルの方まで来て、そのまま自分の席に腰掛けた。
向かい合わせに座る私と姉。
真ん中には、食べかけの苺のケーキがある。
姉がじっとケーキを見てくるが、それを無視して話を続けた。
「ユキさんの願った通り、ユキさんの好きな人は生きてて、頑張った末に無事に夢を叶えた」
「なら良かったじゃん」
「……だけど、さ」
ケーキを一口運ぶ。
姉の視線が鬱陶しい。
「遺稿を視ながら、用意してもらった原稿用紙に書かせてもらったんだけど、それを読んでユキさん泣き出したの。『だから旦那様は私に見せたくなかったのね』って」
「どういうことよ」
苛立たしそうに目を細めて問い掛ける姉。
言って分かるか不安だけど、都度都度、説明すればいいか。
「ユキさんの好きな人は生きてた。だけどその代わり──好きな人のライバルが死んだ」
本来ならその人が死んだ場面で。
「ライバルのことも好きだったの?」
「普通」
更に目を細める姉に、私は続けた。
「原作で、好きな人が死んだ時に誰よりも泣いていたの。決着はまだついてないのに、何で死んだんだよって。ライバルが死んだ所を読んで、そのことを思い出したらしい」
好きな人の夢が叶ったのは嬉しい。
だけどあの時、共にその死を悼み、悔しがってくれた人の無念が晴れなかったのが悲しい。
「ユキさんは長年の願いを叶えた。だけどその代償に、違う願いが生まれてしまった」
理想はどうしたって、思い通りにはいかない。
「めんどくさいわね」
ほんとそれ。
「でも、めんどくさい思いをしたからこそ、あんたはお金だけじゃなく」
姉はケーキを指差し、
「それと、」
次いで私の目元、そこにある眼鏡を指差し、
「それを、得ることができた。……眼鏡はいいや。ケーキは一つだけなの?」
ついに言ってきやがった。
どちらかと言えば眼鏡の方が嬉しいのに。
「ううん。姉のも冷蔵庫に入ってる」
「姉ちゃんと呼びなさい」
お姉ちゃんでも姉さんでもなく?
ユキさんは今回、私が来るということで、ホールケーキを買っておいてくれたらしい。
申し訳ないけれど、過去視をし過ぎた影響で、すぐにケーキを食べれそうにないと言うと、それならお家で冬乃達と食べてと、何切れか持たせてくれた。
どうしてショートケーキじゃなくて、ホールケーキを買ったんですかと、その時に何となく訊いた。
『秋羅ちゃん、三日前が誕生日だったじゃない? ちょっと遅いけど、お祝いしようかと思って』
随分会ってなかったのによく覚えてたなと思ったけど、そういえばユキさんは、現実架空問わず、誰かの誕生日を調べるのが好きだと言ってた気がする。何が楽しいのか知らないけど。
……ユキさん、ああ言ってたけど、多分私がメインではないんだろうな。
だって、確か今日は──。
「先に言いなさいよね、たくっ」
少し怒り気味に呟きながら席を立ち、冷蔵庫へと向かう姉。
怒りながら甘い物を食べると余計に脂肪付いちゃうよ、なんて思わず言いそうになった。
そんなことを言ったら間違いなく取っ組み合いの喧嘩になってしまう。姉妹でだってそんな喧嘩はありえるのだ、我が家だけでは断じてないはず。
そうなっては御免だ、だって私は今、世にも大切な眼鏡をしているから。
妻への愛情と、
作家のエゴを天秤に掛け、
どちらも選べず命を絶った、私の好きな作家の遺品なのだから。
大切にしないと、ね。
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